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kanずる事

No.1 仕事
わたしは医療従事者
ただ食いっぱぐれがないようにと親に執拗に言われ、やってみた職業だ。一心不乱にやっていて、ふと、先輩に絵が得意なんでしょう?今度、バレーの大会でみんなで同じtシャツ着たいからデザイン考えできてって言われて、イラスト描いていたら、あれ、わたしって絵を描く夢を忘れていたー!
ってなるほど医療に従事していた誇り(笑)がある?っていうか、心にゆとりがなかった。
医療って没頭する何かがあるのかなって思ったけど、仕事と患者さんとの関わりは分けたいです。
なぜかは、医療は表向き患者さんとの関わりを通し、勇気や優しさなどが語られるけれど、違うと感じています。まず、仕事として、わたしが思うところ、現在パワハラってワードがいっぱいありますが、医療従事者会ではパワハラ会です。笑
いろいろな職業で、指導する立場、される立場があります、そこには指導する人の考えや、その人の機嫌や感情を考えなくてはならない状況に陥ってしまうこと、また医療従事者同士での機嫌の取り合いや機嫌にそぐわなくてはならないとか考えちゃうんですよね。そこに患者さんへの思いがないのです、お互いに自分のことしか考えないから相手の思いを汲み取らないから怒ったり、機嫌が悪くなったり、嫌な行動をとるってことは少なからず、そんな人は患者さんをみることはできないなぁって、わたしは医療従事者として語る時に表向きな言葉は言いたくない、仕事に患者さんは入りません!って感じます。

No.2 旅
前述した通り、わたしは医療従事者として働いてますが、あまり医療には向いてません、患者さんと笑って話したいし、医療なんかにあなたの時間を使わないでって思ってます。
早く退院していただきたいですし、病院なんか、医者なんか、看護師なんかって文句を言ってほしい。
そんな医療での仕事を抜けるには旅、小旅、大旅って感じながら旅してる。
わたしは引っ込み思案でコミュニティをとりたくないので、一人が好きです。
小旅ではロードバイクを車に乗せて、少し遠くへ
都会には行かず、古き良き山中の田舎や湖、海のほとりが好きで、車を置いて、周りを散策するために、ロードバイクにまたがり、いろいろ眺めて各地の文化に触れたり、森の中の鳥の声を聞いたり、水田に虫がいるのかなっとか、川は綺麗かなとか仕事は忘れます。
でも、やっぱり患者さんの顔や行動、言葉は忘れない、旅は暇をもてあます事かなって感じます
だから暇のなかで、患者さんにああしたらいいかなー、こうしたらいいかなーとか考えています。
わたしの生きていく時間では仕事は生きていくために必要だけど、さらに生きて生きていくには暇を持て余す小旅と大旅、さらには長旅が必要かなって感じます!
それは患者さんをこころに感じることができるから。

No3:夢
わたしは医療従事者は食いっぱぐれのないようについた職業です、ですが一生懸命です!
夢を見させてもくれないほどの職業でもあるのです。笑
しかしですが、振り返ると、夢を思い出させてくれたのも医療です。
高齢者の患者さんに似顔絵を描いたのです、自己満足で!笑
なんと無反応!その患者さんは認知症だったんですがわたしは認知症だからこそ、絵を描いてみました、その方の笑顔を見たかったから、わたしは撃沈しました。わたしの夢は通じない、実力も通じない!なんと、自己満足!そして、自分の絵は患者さんにも通じるはずだという思い込み!わたしはなんと愚かなんだろって。
でも、わたしはへこたれないというか、わたしはすぐに忘れてしまう性格なんですよ、ネガティブ感情が。笑。
それからは、わたしは何度も何度もイラストを描いて、いろいろな賞にも応募していきました。
そして、何度か受賞したのです!いまはSNSを通じて平和を祈りながらイラストを描いていまして
イラストレーターになりたくて、投稿していますがだれも声はかけてくれないです。ハハハー
仕事と患者さんを別にしてよかったです、仕事に患者さんを一緒にすれば、わたしは患者さんを置いてけぼりにしたかもしれません。
わたしは夢を患者さんに描きました、わたしは勘違いしていた自分が自分で気づかせてくれたのは患者さんです、患者さんはそんなことを思ってはいないでしょう、でも、患者さんと素直に向けられたからわたしはわたしでいられた感じがします
きっと、夢は自分であり、自分が夢なんだろなぁ

No.4 死ぬこと
わたしは医療従事者です、があまり寿命がない患者でもあります。
ある期間、死ぬかなって、自分はまだまだ死なないし、美味しいものや、いろいろな旅に行けて、
まだまだ、嫌なヤロウと付き合っていかなきゃならないんだって思っていたけど、、、
そんな当たり前の時間がなくなるんだ
もう、ないんだっていう思いにかられることになってました。泣いたし、消えたくなったし、生きるのに焦りました。死と向き合うとは?
なんだろうって、ずっと自問自答する日が続きました。
オペや担当Drからの言葉に緊張してきましたがついに、仕事に復帰しました。
以前とは違う面持ちで仕事をしていきました、その時、わたしは仕事と患者さんを一緒にしていた関わりをしていたのです。「つらいね、わたしの気持ちなんて先生わからないでしょー」って言葉に「わかるよ、辛いね、だから頑張りましょう」と患者さんを仕事の一環としてみてしまったのです。患者さんの想いを汲み取っていなかったのです。わたしは変わってしまった。わたしはいのちは助かったが何か、大切なものを忘れてしまいました、そう、わたしは死んだんです。
なんと暗い話ですねー、ですが、生きかえったんです、それは、なんだったのか。
仲間でもない、仕事でもありません。
自分の家族であり、患者さんや夢、そして旅がわたしを生きかえらせてくれたんです。
今まで、話してきたことがわたしの生きるを応援し(家族の話ないねー)てくれたんです!
段々と、徐々にですよ、何がっていうとないのですが、やっぱり自分は自分というのが自由という意味無しげで意味がある自由というエネルギーを今までの自分を作ってくれたのかな感じるんですよね。

終わりに。
仕事は生きることに欠かせないけれど、わたしの仕事はだれかのためにあります。そして、だれかとは患者さんであり、患者さんを救う事なんです
だから、わたしは仕事のために生きたくなかった
ストレスのために生きてもただの食いっぱぐれじゃないですか?笑
だから、わたしは命をかけて、かけられる家族や患者さんのために生きたいって、
感じます。

おわり





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#エッセイ部門

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