憲法審査会 2023年5月18日 議事録


◆参考人の発言
大石眞(参考人 京都大学名誉教授)
大石でございます。今日はお招きいただきましてありがとうございます。
それではお手元のレジュメに従って私の考えを申し述べます。第一のところは、原則と例外という話ですから繰り返しませんが、まずは憲法上問題になるのは、憲法が、衆議院が解散された時に開催可能としている参議院の緊急集会の規定ですが、これ以外の場合に類推適用ができるかという点であります。
衆議院が不在となるのは、衆議院が解散された時に限られません。衆議院議員の任期が満了したものの、何らかの事情によって総選挙が実施不能となった場合も当然あり得る訳です。
そこでこの場合に、衆議院が解散された時に準じて参議院の緊急集会を求めることができないかという論点があります。思うに、解散による場合と、任期満了後の総選挙の実施不能という場合とのあいだには、ある限定された期間における衆議院の不在という意味で類推を持つわけです。その期間における参議院の役割を同じように維持するということには十分な合理性が見出されると思いますので、総選挙実施の不能による場合について、衆議院が解散されたときの類推解釈として参議院の緊急集会を求めるという事は、憲法上可能ではないかと考えます。
他方、解散に起因する衆議院の不在期間というのは、憲法上最長で70日というふうに限定されておりますが、この期間そのものについて拡大解釈が可能かと言うと、やはり日にちの問題というのは、その一義的に明白なわけですから、これ自体を延長するというような解釈はちょっと取れないと考えられます。
これに対して、任期満了後の総選挙不能という事態における衆議院の不在の場合も、参議院の緊急集会は開催可能だとした場合に、その期間の問題をどう考えるかという点が当然問題になります。といいますのも、その期間についてはあらかじめ憲法所定の手続きを踏むことができないわけでして、緊急状況の如何によっては、一律に判断できるものではない。したがって解散による衆議院不在の場合と全く同列に論じるということもできないと思われます。しかしながらとは言え、憲法は例えば毎年の常会招集、毎年の決算審査、予算案についても単年度制を前提とした毎年議決を定めているわけです。そうすると1年を超える緊急集会を求めるという事は、最低限そうした財政民主主義の在り方を崩すものとして許されないと、しかもその前提のもとに、衆議院に予算案の審議権を与え、その議決に優越的な効力を認める現行憲法の基本的な枠組みとありますから、これとも相容れないということになります。
そもそも参議院の緊急集会が上院の活動の原則に対する違憲例外をなすものであることを考えますと、その期間は憲法上やはり最大で70日という制約に服すると考えるのが合理的だろうと思います。
もしこれを遥かに超えて、参議院の緊急集会の期間を認めるとすれば、憲法54条の類推解釈として出発しながら、実はその限定的な規律から大きく逸脱するということを意味するわけでして、もはや憲法54条の類推解釈の名の下に__できるものでは無いのではないかと思います。さて、その次のページに参りますが、内閣が国に緊急の必要がある時に、参議院の緊急集会を求めることができる事由、あるいは範囲について、憲法上の制限があるかどうかということも問題になります。これについては、緊急集会開催の要求権は内閣の権限であり、国に緊急の必要がある時、認定権も内閣にあるわけですから、基本的にはその実行範囲も内閣の判断に委ねられると考えられる。その点からは内閣の判断によっては、緊急集会中の参議院の権能は国会の権能の全てに及ぶ可能性もあります。もっともそうした権限を参議院が行使できるのは、あくまでも衆議院解散後総選挙を経て、特別会が召集されるまでのいわば最長70日間に限られるということ、その点に注意する必要があります。
またこの期間の限定が示しますように、そこで取られるべき措置は、いわば緊急対応措置に限られますから、そうじゃない性質のものというのは対象から外されると言わざるを得ません。実例としてはあるいは先例としては、参議院緊急集会には、過去2度ありますが、この先例で注意すべき事は、暫定予算だという話でして、衆議院が衆議院で予算を通過したその後に衆議院の解散が行われました。そのために予算不成立となってしまった場合の緊急対応措置であって、したがって年度の本予算ではなくて4月から5月だけの2カ月間にわたる暫定予算だったということであります。その実例を根拠として一般的に一年にわたる本予算まで含めると解するのは、もはや緊急対応措置を超えるものとして妥当でないと考えます。と言いますのも暫定予算と本予算とのあいだにはかなり大きな違いがあると言うことを考えざるを得ないからです。実際、本予算の場合、執行の前提となる特例公債発行法の制定とセットになっているわけです。この点を踏まえますと、参議院の緊急集会で本予算を議決するとなれば、特例公債発行法の切り替え年度にあたる場合、その制定も緊急集会集会で行うということになりますが、これは向こう4年間の財源問題を固定化する意味を持ちます。このような事態まで例外的な緊急対応措置として許されると言うのはちょっと考えられないと思います。他方、現行法上、緊急集会中の参議院議員は案件に関連する議案の発議権というものが認められております。この発議権はどこまで拡大的に認められるというのでしょうか。この問題は「内閣から示された案件に関連のあるものに限り」という文言の国会法の文言の解釈に関連しますが、憲法54条の解釈上、内閣による提示案件は議案の発議権を拘束するという考え方を強調しますと、つまりその拘束は憲法から導かれるのだと考えますとその範囲が限定されることになります。
しかし、内閣が提示する案件に関連のあるという限定は、それ自体、具体的には国会法という法律によるものに過ぎません。この点を強調しますと、その規定の改正は参議院の緊急集会でも取れる措置というふうに考えられますので、その参議院緊急集会中の参議院議員の発議権は、発議権に対する制約は、法律上の原理的には、相違しないということになるのでありましょう。こういう風に考えますと、参議院の類推解釈として出発しながら、その参議院の緊急集会の権限がどんどん拡大するということになると、もともと内閣の緊急集会の解散要求権、案件提示権と参議院の審議議決権というのは単独の国家機関による権限簒奪の危険を回避するために、権限の分立を測ったものだというふうに解されておりますが、一方的な緊急集会の権限の拡大は、内閣と参議院の関係を大きく変えるというだけではなくて、その期限に関する拡大解釈、あるいは無限定解釈などとと結びつきますと、そのような危険をもたらしかねないというふうに考えられます。ちょっと時間が早めになりましたが、以上で私の意見の発表とさせていただきます。どうもありがとうございました。

長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
本日はこのような場、お話をする機会を与えていただきまして、どうもありがとうございます。
レジュメをお配りをしておりますが、時間の制限もございますので、この中すべてお話しをすることができません。いくつかかいつまんでお話をすることにいたします。
まず第一にレジュメで申しますと、2の(1)になります。参議院の緊急集会の実態的な要件といたしまして、憲法の条文には「衆議院が解散された時」という定めがあるわけです。このことから、衆議院議員の任期満了による総選挙、これが実施される場合に緊急集会に求めることができるか、これが論点となります。
そもそも解散がされずに衆議院議員が任期満了となることも、極めて稀なことではございますが、さらに公選法は議員の任期が終わる日の前30日以内に総選挙を行うことを規定しております。従いまして任期満了によって衆議院議員が存在しなくなってしまうという事は一般的には想定しにくいことではございますが、最も極めて例外的には任期満了直前まで国会の会期が続くということも理論的にはあり得ます。従いまして、任期満了によって衆議院議員が存在しなくなるということもあり得るということにはなります。こうした場合に内閣は緊急集会を求めることができないという説もございますが、ただこうした説は、衆議院議員の任期満了の期日はこれは解散の場合と異なりまして、事前に明らかであります。従いまして内閣として当該期日までに必要と考えられる措置をあらかじめ講じ得るはずであると、そのことを根拠としているものと考えられます。ただ尤も天災等、事前に予測しがたい危機が生じまして、そのために総選挙の実施に支障が生じるという場合には例えば臨時会の召集まで日数を要すると、これも理論的にはあり得ることだということになります。そうした場合に内閣の独断専行を避け、可能な限り憲法の定める制度を活用して権力の抑制均衡を確保すると、そのためには衆議院議員の任期満了による総選挙の場合にも憲法54条の規定を類推いたしまして、内閣が緊急集会を求めることができると考えることが適切だと思われます。
こうした考え方は、私の見るところ現在では、学会では多数説ということができるのではないかと考えております。続きまして下のレジュメですと4の項目に移らせていただきます。
最近のことですが、外国による武力の行使ですとか、大規模自然災害等のために衆議院議員の総選挙を行うことが長期にわたって困難と考えられる事態におきましては、この場合、参議院の緊急集会ではなく既に失職をした、あるいはこれから失職するはずの衆議院議員の方々の任期を延長することで、これに対処するべきであると、これは憲法を改正してということになると思われますが、そういう議論があるということを伺っております。
こうした提案についてでございますが、第一にそうした場合は果たしてどれほどの蓋然性で発生し得るのか、また仮に発生し得るとして、長期にわたって総選挙を実施しえない事を、果たして事前に予測し得るという状況が、これもどれほどの蓋然性で発生し得るのかという論点があるように思われます。
重大な緊急事態が発生したために、広範にわたる地域で総選挙の実施が困難となる、これはあり得ることだろうと思います。これは条文の引用になりますが、「天災その他避けることのできない事項により、投票所において投票を行うことができない時」ここまでが引用ですが、これについては衆議院議員の選挙を含めまして、公職選挙法が既に繰延投票の制度を設けております。また投票だけでなく選挙の実施そのものの延期が必要となると、これもあり得るかもしれません。ただその場合は参議院の緊急集会が選挙期日を延期をする、臨時特例等を定める法律で対処することとなるでありましょう。解散の日から40日という憲法54条の定める期限を超える延長となる、結果としてそうなるということも考えられますが、これは土井真一教授がご指摘の通り、法は不可能時を要求するものとは考えられませんし、また後で述べます40日という期限がなぜそもそも設けられているのか、この期限の趣旨からいたしましても、憲法はこれを容認しているのではないかと私は考えております。
多くの選挙区で繰延投票や選挙の延期が行われる、これは好ましい事態では無いことが確かでございますが、これまた理論的に申しますと、衆議院の定足数にあたる総議員の3分の1の議員の選出がなされれば、国会を招集して審議・議決を行うことは可能のはずであります。しかもいずれの地域から選出された国会議員も、全国民を代表しています。これは憲法43条が定めているそのとおりでございます。従いまして、すべての衆議院議員の選出が終わらないまま既に選出された議員のみで国会としての審議議決を行うことに正当性がないとまでは言いにくいように私は考えております。また郵便投票制度の拡充等、自然災害などの場合に避難先からの投票を可能とするような公選法の改正、こういった制度改正を行うことによりまして投票の繰延ですとか、選挙自体の延期、必要な場面を減らすこともおそらくは可能でございましょう。最高裁の判例は選挙権の制限は、これは引用になりますが「そのような制限をすることなしには選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能、ないし著しく困難である」以上が引用ですが、そういった場合にのみ許されるとしております。
憲法自体を変えてしまう以上は、現行憲法の規定を前提とする判例法理は妥当しないという主張は、ありえないではございませんが、緊急の事態におきましても基本権これは可能な限り従前に保障されるべきでございまして、正当な目的のもと必要最小限度においてのみその制約が許されるとの比例原則は、これはなお妥当するはずでございます。
選挙の実施が部分的とは言え可能である以上は、緊急の事態においても困難が解消され次第、可及的速やかに順次選挙を粛々と実施するということが基本権の観念からしても要請されているはずでございます。以上のような考察から致しますと、総選挙の実施を長期にわたって先送りしなければならない状況、おそらく簡単には発生しないでありましょう。そしてそうした状況が実際に発生し得るかと言うと、かなり疑いを持ってもよろしいのではないかと私自身は考えております。
さらに仮にそうした状況が万一発生し得るといたしましても、果たして総選挙の実施を長期にわたって先送りせざるを得ないことを果たして前もって予測をするということを果たしてどこまで可能なのかという問題もございます。
理論的にはそうした状況が発生するということもあり得るではありましょうが、ただ先の事は人間には基本的にはわからないはずでございます。繰延投票等の実施も可能なのにあたかも将来のことが確実にわかっているかのように総選挙の実施を長期に亘って先送りすることは、果たして国民の皆様の目にどのように映るか、そういう問題もあり得るように思われます。
レジュメで申しますと4の(2)になりますが、こうした対処策、つまり緊急集会に代わるような対処策を取るべきでない理由は実はもう一つございます。これはドイツの憲法学者で、憲法裁判所判事も務めたエルンスト・ヴォルフガング・ベッケンフェルデ教授が強調しておられる点なんですが、「緊急事態に対処するための制度的対応にあたっては、あくまで臨時の暫定的措置にとどめるべきだ」ということを教授が主張しておられます。現行の憲法54条の定める参議院の緊急集会による対応は、これは条文自身にもあります通り、限られた期間しか通用しない臨時のしかも「措置」であります。前にも述べました通り緊急集会の権限にそもそもの限界はあります。そして、緊急集会を行い得るのは暫定的な臨時の措置である、このことは権限にそもそも限界があると考えられてきた事と対応していると思われます。これに対しまして衆議院議員の任期を延長いたしますと、そこには総選挙を経た正規のものとは異なる、言って見れば異形のものではございますが、国会に付与されたすべての権能を行使し得るある種の国会が存在する。そこでは通常の一般的な法律が成立することになります。そうなりますと、言い方が問題かもしれませんが、緊急時の名を借りて通常時の法制度そのものを大きく変革する法律が次々に制定されるリスクも含まれているということになりかねません。悪く致しますと、任期の延長をされた衆議院と、それに支えられた従前の政権とが、長期にわたって居座り続ける。緊急事態の恒久化を招くということにもなりかねません。
こういった緊急事態の恒久化を防ぐためには、平常時と非常時とは明確に区分されるべきでございます。他方、参議院の緊急集会による緊急事態への対処、これは平時の状況が回復した時は可及的速やかに通常の制度へと復帰することが予定されていると、そういった制度であります。繰り返しになりますが将来の状況を確実に予測することは極めて困難でございますので、平常の事態に長期にわたって戻る事はないと予断をしてしまうべきでは無いのではないかと考えられます。これに対しましては現行憲法の規定は緊急集会は長期にわたって継続する事は想定していないのではないか、そういった疑問もあり得るところです。確かに憲法54条の規定を素直に読みますと、緊急集会は解散後40日以内に行われる総選挙までの期間あるいは長く考えたとしても新たな国会召集までの最大70日間にしか求めることができないかのようでございます。しかしながら今議論の対象となっておりますのは、国家の存立に関わるような非常な事態でございまして、通常時の論理がそのままの形で通用すると考えるべきではないとも思われます。そうした非常の事態への対処にあたりましてはあらゆる考慮要素がくまなく総合的に勘案されるべきでありまして、特定の論点、特に日数を限った規定の文言にこだわって、それが動かし得ない切り札であるかのように捉えて議論を進めるべきではないのではないかと、そういうわけです。そもそも憲法54条が40日そして30日と、日数を限っているのは何故かと申しますと、解散後も何かと理由を構えていつまでも総選挙を実施しない、あるいは総選挙の後いつまでも国会を召集しないなど、現在の民意を反映していない従前の政府がそのまま政権の座に居座り続けることのないようにとの考慮からであります。同様の規定は各国の憲法にも見られます。緊急集会の継続期間が限定されているかのように見えるのはその間接的、派生的な効果に過ぎません。にもかかわらず結果として緊急集会の継続期間限定されているかのように見えることを根拠といたしまして、従前の衆議院議員の任期を延長する、そしてさらに従前の政権の居座りを認めるというのはまさに本末転倒の議論ではないかとの疑いもあり得ます。条文のそもそもの趣旨・目的は何なのか、何が本来の目的で何がその手段に過ぎないのか、その論点を踏まえた解釈が求められているように思われます。緊急の事態に参議院の緊急集会で対応するということには、今も申しました通り平常時と非常時とを明確に区別すると、それとともに緊急集会ではあくまで暫定的な臨時の措置のみが取られる、そして選挙を経て正規の国会が召集され次第その当否が改めて審議決定されるものであるとこのことを国民に広く示す、そういった意味がございます。このように考えていきますと、現行憲法の定める参議院の緊急集会制度には、これは十分な理由によって支えられた制度である、そういうふうに考えることができるわけでございまして、これに新たな制度を追加する必要性これはにわかには見出しにくいのではないかというふうに私は考えているところでございます。
以上で私のお話は終わりです。どうもありがとうございました。

◆参考人に対する質疑
新藤義孝(自由民主党・無所属の会)
自由民主党の新藤義孝でございます。両参考人にはご多忙の中ご出席いただきまして、まことにありがとうございました。
ただ今の専門的見地からのご意見極めて興味深く拝聴致しました。これらを踏まえまして両参考人に、質問させていただきたいと思います。
参議院の緊急集会は二院制国会の例外と理解されていますが、これは所定の期間内に総選挙が行われ、国会が召集される見込みがあることを前提にした一時的・暫定的な制度、いわば平時の制度あることを両参考人のご意見をお聞きして改めて認識した次第でございます。
一方で、選挙を実施するめどが立たず、長期にわたって新しい衆議院議員の選出が見通せないような、いわゆる有事が発生した場合にはどう対処するのか、という懸念を感じました。東日本大震災の例のみならず、この高い確率で発生が心配されております首都直下型や南海・中南海トラフなどの大規模自然災害、さらには強力な感染症の蔓延事態など長期かつ広範囲にわたる甚大な影響が予測される有事の発生というのは、今や現実の脅威となっていると思います。このこうした所定の期間内に選挙が実施される見通しが立たず、国会招集の見込みが定まらない状況が発生した場合に備え、日本国憲法は緊急集会以外のいわば有事に備えた何らかの制度を準備する必要がないのでしょうか?
そもそも緊急集会の開催可能な期間を何日とするか、であるとか、その適用対象にどの程度の拡張性を持たせておくかに加えまして、本質的な議論として、選挙実施の見通しがつかない事態においても二院制の例外である緊急集会のみを活用した議会機能の維持を憲法は想定していると言えるのか、ということでございます。
今、長谷部先生のお話にも平常時と非常時というお話がございましたが、日本国憲法において、そうした非常時の規定というのは、今、規定されていると言えるのでしょうか?そこのところを既に触れていただいておりますけれども、もう一度この件につきまして両先生からご意見を頂戴したいというふうに思います。

大石眞(参考人 京都大学名誉教授)
お答えいたします。先ほどから申し訳ありません。少し喉の具合が悪いので、お聞きぐるしと思いますが、ご容赦願います。確かにおっしゃったように、いわゆる有事といいますか、広い意味でいろんな事態が起きるということを全て想定した規定にはなっていない事は確かです。ただその問題はずっと昔から指摘されておりまして、特に昔の内閣の憲法調査会でもこの参議院の緊急集会に関連して、あるいは別個の条項の問題として、もう少しその根本的な問題が起こったときにどうするのかと言う点についての議論が足らないのではないかと、当然、憲法改正すべきかどうかという問題に直結するわけではなくて、その事態を考えた場合に、我々はどう考えるべきなのかという点についての議論が深まっていないということをかなり前から指摘されているわけであります。もちろんその場合に問題となっていたのはいわば伝統的な有事といいますか、大規模な内乱・戦争、今ここで先生がご指摘いただいたような強力な感染症の蔓延事態というのはそこでも議論されていましたが、最近ではウクライナの情勢もあって、あるいは地震の問題もあって、新たにその問題が加わってきた事は新たな論点になろうと思います。ただしかしその共通するのは通常の事態とは異なる事態が起こった場合、先ほど長谷部参考人は、国家の存立うんぬんというお話もされましたが、そこまでの問題を掘り下げたときに、現行憲法がどこまで対処しているというふうに考えるのかは、はっきりしないですね。やっぱりそれははっきりしないというのは、それまでの事態がそこまでには生じなかったということもありますし、それがしょっちゅう繰り返し起こっているものではないという前提がありましたから、それこそ全てを見通すという事は不可能なので、とりあえずは必要な部分だけをちゃんと手当てをしていくという思考でずっとわれわれはきたものですから、根源的にこれをどうするかという問題がなかなか立ち至らない。もちろんその問題をやると、かなり強力な力を発揮することも考えざるをえません。それに対するアレルギーというものも理解できないわけでは無い。ですから今回は参議院の緊急集会の問題に絞られていますが、これ自体はもちろん大切なことなんですが、それを離れて一般的に、いわゆる深い問題として、いわば国家緊急事態というものを、条文化するかは別として議論がなさすぎる事は確かなんです。その点についての検討が進められていけばいいなというふうに個人的には思っております。以上でございます。


長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
どうもありがとうございました。本日土井真一教授ご執筆の『注釈 日本国憲法』の条文の解説と資料として配布をされているかと存じます。そのうちの692ページのところをご覧いただきますと、ここでは参議院の緊急集会、どういった実体的要件が整った場合に集会を求めることができるのか、この問題が論じられているわけですが、上から第3段落目、「次に緊急の必要については」というその段落ですが、憲法制定過程の議論に鑑みますと、他国からの武力の行使、内乱または大規模自然災害等による国家緊急事態がこれにあたることが明らかとなっております。これは多くの学説がそのように考えているわけでございますし、それから次の次の段落になりますが「他方緊急集会が」という段落ですが、このような国家緊急事態の場合に限定されるのかと言えば、憲法制定過程において総司令部の側はそのように考えていたということが記されています。ただ実際の過去の事例はこれは大石参考人がご指摘の通り、国家緊急事態と言えるような場合ではなかったというのはその通りですが、ただこの国の存立に関わるような事態に関しましても緊急集会を求めるということが想定されていたと、そのこと自体は言い得ることかと思います。ただそれ以外の場合ですね、先ほど冒頭の所見でも申し上げましたけれども、代わるような制度を設けることが適切かどうかということに関しましては、私といたしましては、果たしてそういった総選挙を長期にわたって実施することが困難だということが事前に予測ができるという状況は、そうは起こらないであろうと、それから実際には可能になった場合つまり困難が解消され次第、すべての選挙区での選挙の実施を可及的速やかに実施をしていくということがむしろ憲法の求めている事態ではないかとそういうふうに考えているところでございます。

階猛(立憲民主党・無所属)
立憲民主党の階猛です。両参考人、今日はありがとうございました。私の持ち時間たった7分ですので、なるべく端的にお答えを、恐縮ですがお願いします。最初の質問ですが、憲法改正によって国会議員の任期延長を定めを置くべきだと主張される皆さんは、有事や大災害などの国難の場合にも、国会機能を維持する必要があるということを論拠にするわけです。しかし安倍政権では国難突破解散と称して、国難なのに国会機能を停止させたこともあれば、憲法53条に定める臨時国会の召集要求を長期にわたって無視して、国会を機能させないこともあった、という事実がありました。将来起こりうる国会機能の不全に備えて議員任期の延長規定を議論するのであれば現に起きている解散権の乱用や臨時国会の召集先送りと言う国会機能の不全についてはなおのこと議論するべきではないかと考えますが、いかがでしょうか。

大石眞(参考人 京都大学名誉教授)
確かにご指摘の通りでございまして、具体的な臨時国会の召集の是非はどうだったのかというその評価はこちらでは申し上げる事は致しませんが、おっしゃったように、現に起きている解散権の乱用、あるいは臨時国会の召集先送りといった事態については、私自身もその危惧を共有しております。ですから大いにそこは議論なさったほうがいいと思いますが、ただ問題は解散権の乱用の歯止めを儲けようと、あるいは臨時国会召集の先送りを避けようということでありますと、少なくとも解散権の問題についてはたぶん憲法改正事項になるわけですよね。
ですからそういうことも含めて、トータルに議論なさると、両方とも大事だと思いますので、その点を議論すべきではないかというご意見には全く賛成でございます。

長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
この53条の問題につきまして、私は現在進んでおります訴訟で、一方の当事者のために意見書を提出している人間ですので、あまりその具体的な問題に立ち入って発言するのは差し控えたいと存じますが、一般論として申し上げますと、53条の定めた規定している要件に基づいて、臨時国会召集の要求があった場合には、合理的な期間を超えて引き延ばしをするという事は認められないというのは学会の一致した意見であるということだけを申し上げられるのではないかと考えております。以上でございます。

階猛(立憲民主党・無所属)
長谷部先生、今53条の話をされましたが、もう一つの解散権の問題についてはいかがでしょうか。

長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
解散権の問題に関しましても、これは大石参考人ご指摘の通り、種々考えなければならない点があると思います。
果たしてその場合に、憲法自体の改正も必要なのかということも含めて、考えていかなくてはならないと考えております。

階猛(立憲民主党・無所属)
次の質問に行きます。国会の機能を果たす上で、任期延長必要説は国難においても両院のメンバーが揃った状況で審議することを重視していますが、本来選挙で民意の審判を仰がなくてはならない状況にあるメンバーには、民主的正当性が欠けているという問題点もあると思います。その意味で国難における任期延長不要説、すなわち緊急集会を活用する説とは、一長一短ではないかという問題意識があります。むしろ国難の備えを急ぐのであれば、憲法改正によるよりも、先ほど長谷部先生もおっしゃった国難の時に避難所から投票ができるような投票環境の整備を行う法改正であったり、緊急集会の開催要件や権限の範囲等を必要十分な範囲で拡大する国会法等の法改正の議論を進める方が有益ではないかと考えますが、両参考人、いかがでしょうか。

大石眞(参考人 京都大学名誉教授)
お答えします。今先生がおっしゃったように、単なる任期延長とかですね、あるいはそういう話ではなくて、トータルにいろんな問題が起きたときにどうするかという点がポイントなわけですから、重大事態を起こったときにどうするかと。その時にただ1点、議員任期の延長とか、ただ1点、投票所をどうするとかっていう、多分その問題に留まらない事態になり得るんだと思うんです。そのようないわばある意味で総合的な緊急事態が起こったときにどうするかというのは細部までは見渡すことができないにしても、現在の法秩序体系を乱さないようにして、できるだけの手当てをしたいと言うことであれば、1つの方策としていろんなやり方を考えるというのは、それはそれで合理的ではないかと思います。1つのことをとれば、全部権限の乱用につながるとかというのではなくて、総合的にどう進めればうまく国政の円滑な運用をできるだけ図れるかという視点が基本だと思いますので、そこに立った総合的な検討を、というものがどうしても必要なのではないかというふうに思っております。ちょっと抽象的な話になりましたが、これで私の話を終わります。

長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
私と致しましては、非常時と平常時と明確に分けると、そして非常時の対応はあくまで臨時のそれも「措置」にとどめるというそういう考え方からいたしますと、現行の憲法が定めている参議院の緊急集会に基づいて、非常時に対応するということには十分な理由があるというふうに考えているところでございます。

階猛(立憲民主党・無所属)
あと1問だけ長谷部参考人に確認までにお聞きしますけれども、任期延長必要説はお触れになった通りですね、緊急集会の活動可能期間が70日程度の短期間に限られるんだと、解されることを論拠の1つにあげているわけですけれども、明文上は緊急集会の活動可能期間に定めは無いわけです。そして国難により解散から総選挙までの期間が長期にわたり解散による衆議院不在期間が継続する時は緊急集会の活動期間もそれに応じて当然延長されると解して良いのではないかと、私は考えており、長谷部参考人も同じような立場に立っていると理解したのですが、それでよろしいかどうか最後にお尋ねします。

長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
冒頭の陳述でも申し上げましたが、40日30日という日数の限定というのは、民意を反映しない従前からの政権がそのまま居座り続けることを阻止する、これが目的で定められている規定でございます。70日に限定されているかのように見えることを理由といたしまして、言って見れば従前の政権の居座りを認めることにしようということになりますと、これは本来手段に過ぎないものを以て目的を没却するということになりはしないかと、そういうふうに私は考えております。

小野泰輔(日本維新の会)
日本維新の会の小野大輔でございます。お二方の参考人の先生、今日は誠に貴重なお話をありがとうございました。
長谷部先生のお考え、すごく私も新鮮で、すごく興味深くお聞きしたところなんですけれども、先ほど階委員の、幹事のご質問に答えられたことも非常に、私、すごく自分の刺激を受けたことなんですね。40日+ 30日というものが、これがなぜ期間が限られているのかと言えばですね、民主的なもともとの根拠を失っているような政権がそのまま居座っていていいのかと、それをなるべく日限を、期限を区切るというような事のために定めているのだと、そしてその事が根拠となって参議院の緊急集会の期間が70日以内と限定されるというのはおかしいだろうと、言うようなことなんですけれども。ただ思うのは、じゃぁその70日をそうやって限定しているからといって、参議院の緊急集会はそれをずっと続けていいのかと言うと、それも同じことが言えると思うんですね。
先ほど階幹事がおっしゃったように、緊急集会もそして議員任期の延長も、民主的正当性という意味で言えば、どちらも同じように問題があると。ただ、私たちは本当に国家の緊急事態において、どちらの制度がベターなのかということを考える必要があって、緊急集会の方を70日以上続けることに妥当性があるというふうに私は思えないというふうに思っています。
例えば衆議院の任期が満了した後も、その後緊急事態が続いたことによって緊急に対応しなければいけないことがあると、そういう中で二院制の原則を貫いた方が、より国民の権利を守ったり、あるいは我々の政権を維持することに資するのではないかという判断だってあり得ると思うんです。
そこで両先生にご質問したいんですけれども、参議院の緊急集会が仮に、先ほど階幹事がおっしゃったように、70日以上続くというような場合が許容されたとして、その場合に歯止めってなくていいものなんでしょうか?例えばですね、この参議院の緊急集会というのは、これは解除条件として国会法の102条の2に定められておりますけれども、
「緊急の案件が全て議決された時は参議院の緊急集会は終わること」とされているんですけれども、これも同じように乱用の可能性があるわけですね。まだ案件が終わってませんよと時の政権が言えば、それがそのまま続けられることにもなります。そして例えばですね、松浦一夫先生もおっしゃっていますけれども、内閣と衆議院が対立することがあった場合に、内閣が国会の鈍重な審議を嫌い、国会対応を簡略化するために、任期中の衆議院を敢えて解散し、参議院の緊急集会を以て国会の議決とする方法を取る危険というものがあると言うふうにご指摘をされています。
いずれにしても緊急事態においてどのように民主的正当性を保つのか、そして乱用の危険を防止するのかというのはこれは完璧な制度がないのでありまして、それをどのように歯止めをするかということをこれをちゃんと議論していくそしてどちらの制度がそれぞれ完璧な制度でありませんけれども妥当なのかということ、これを、憲法を守る守らないという議論とは別に、我々は考えなければいけないのじゃないかと思っていますけれども、この点についてお二方の先生のご見解をいただければと思います。


大石眞(参考人 京都大学名誉教授)
お答えいたします。70日という期限の問題なんですが、これをもし外してしまうと、一体その緊急の集会というのは一体どこまで妥当なのかというのが、期限的な限度が全く見えてこないんですね。で、あらかじめ最大で70日という設定がされてあるから、われわれはそれを前提にした議論ができるんですけど、数字の問題ですからそこを外したらじゃあ90日100日と一体どれが妥当なのかが全く判断の根拠がない。もちろん具体的にはその都度、制度化は重要だとおっしゃるんですけど、そのそれにしても数字そのものですから、どこの数字を持って合理性があるという形の議論ができない。ですからそこにやっぱり日限の区切りというのは、やはり大事なことだと思ってまして、あくまでやっぱりそれを基準にして持っていかなければならないというのが解釈の原点であるべきだというふうに考えております。


長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
40日+30日という数字ですが、これは憲法に限らず、法律の条項でもこういう数字が定められているということはよくございます。ただこれはどうしても40日じゃなければいけないとか、どうしても30日でなければいけないという根拠は実はないものでして、これは学者の使う言い方で恐縮ですけれども、「調整問題」と言われるものです。とにかくどれでもいいんだけれども、とにかく何かに決まってる事はとても重要で、それに基づいてみんなが行動するようになるのがこれが大事なんだと。例えばその道路の道路交通法で日本の場合は車が左と決まっていますが、外国では右を通る、そういう国もございます。これは左がいいのか、右がいいのかと言うのを議論してても仕方がない、とにかく日本では左だと決まっていることが重要だと、そういう問題です。
40日+30日という日限も、この調整問題を解決するために、とりあえず40日+30日と決まっている問題です。
これはですから、平時であれば国家の存立に関わらないような事態でございましたら、これが40日+30日必ず守らなくてはいけないと私は考えます。しかし国家の存立がかかっているような事態で、果たしてこの数字にそれほどこだわるべきなのか、そこはやはり考え直さなくてはいけないところがあるのではないかと私は考えております。


小野泰輔(日本維新の会)
長谷部先生、本当にそんなことをおっしゃっていいのかどうか、というのを私はわからないですね。
例えば衆議院の任期が4年とか参議院の任期が6年というのはこれはもう絶対に越えてはいけないというふうに思います。ですからこそ例外をどうやって議論しようかってことがあるわけです。そして先ほどですね、選挙が全国的に一体的に行うのが難しくても、例えば3分の1の定足数を確保できるだけの選挙が一部でできるのであればそれでいいじゃないのか、というようなこともお言葉がありましたが、ただここにいる国会議員の全員がそれは納得できないと思うんですね。つまり特定の災害を受けたところの地域の民意が反映されない状態でそれが民主的正当性があるのか、というふうに問われれば、それは従前から前国会議員が、ちゃんと選挙をされて選ばれて、その任期を延長された方が正当性が高まるじゃないかと、いう方が妥当だというふうに思うんですね。この点は今日の主な議論ではありませんけれども、ただ私はその選挙困難事態の範囲の問題という事についても、もっともっと厳密に議論しなければいけない。そこが民主制の本当に大事な部分だというふうに思います。
もうちょっと聞きたいことがあるんですが、時間がなくなっちゃいましたのでこれで終わりたいと思います。
両先生、ありがとうございました。


北側一雄(公明党)
公明党の北側一雄です。両先生におかれましては、大変お忙しい中ご参加いただきましてありがとうございました。
私は時間も限られておりますので、今日のお話の中で長期間、国政選挙、特に衆議院選挙が実施することが困難ということが、なかなか想定し難いというお話があったかと思います。
また繰延投票制度があるじゃないかと。それを使えばいいじゃないかというご趣旨もあったと思いますので、私なりの意見といいますか、考えを述べさせていただきたいと思うのですが、まず繰延投票制度と言うのはですね、過去に何度も実施されているのですが、すでに選挙の告示がなされてすでに選挙戦が始まっていると、そういう中で災害等の不測の事態が生じて、決められた投票所で投票できないといった時に、その地域の投票所に限って、所定の投票日を延ばすという制度が繰延投票制度でございます。過去の事例を見ましても地域が極めて限定されていて繰延された投票期日も1週間後のような短期間の延期というのがほとんどでございます。
2011年3月の東日本大震災の時、その年はちょうど4月に統一地方選挙が予定されていました。繰延投票制度が想定します適用範囲をはるかに超えているという認識のもとで新たに国会では震災特例法というのを制定しました。
その結果、57の被災自治体で選挙期日の延期と、また議員や首長の任期が延長されたわけでございます。選挙期日が最も遅かった自治体は、2011年11月20日でございまして、予定された選挙期日から約7ヶ月先に選挙が延期され、さらに議員や、長の任期も選挙期日まで延期延期されたわけでございます。被災地域で選挙の適正な実施が長期間困難と認められ、その間、被災自治体の長や議会の議員が不在というわけにはいかないということで、このような特例法を制定したわけでございます。1995年1月の阪神淡路大震災の時も同様の特例法を制定しております。
ぜひ思い起こしたいと思うのですが、東日本大震災の際は、当然のことながら有権者である住民が極めて甚大な被害被災を受けて、とうてい選挙ができる状況にはないという事ですが、一方で選挙事務の執行も事実上不可能であったという事情もあります。多くの投票所となるべき場所が損壊し、また選管や地方公共団体の職員自身が被災者でありながら被災者の救助・救援・復旧に当然のことながら最優先に取り組みました。
一方、国会議員の場合は任期が憲法で明記されていますから、このような法律の制定で任期の延長はすることができないわけでございます。そもそも広範な地域での繰延投票の実施は、公平公正な選挙の確保、選挙の一体性の確保という観点からも疑問があります。国政選挙については全国一斉に実施するというのが原則と考えられます。その時の国民の意思を公正に議会構成に反映されることが必要だからです。公職選挙法の繰延投票制度があるから、国会議員の任期の延長は必要ないとは、言えないというふうに考えます。
具体的に申し上げたいと思うのですが、国政選挙の場合は衆参とも比例区選挙もあります。東日本大震災のように広域な地域で国政選挙の繰延投票を実施するとした場合には、被災地の繰延された投票の結果が判明するまで、比例区の当選者が長期間確定しない。また同様に多くの被災地の選挙区選挙での投票が繰延されて、被災地選出の国会議員が長期間存在しないと、こういうことが現実に東日本大震災のことを考えると想定されます。例えば衆議院の場合ですと、被災3県+茨木県で16選挙区あります。比例代表も2ブロックありまして、34名合計50名の衆議院議員が長期間この地域においては不在と。さらに参議院議員のことを考えますと、仮に参議院議員の場合この被災地では4選挙区で5名の参議院議員、そして比例代表は全国比例代表ですので、全国の比例ブロックが確定しないと当選者を確定しないと48名。53名も長期間いない、不在ということになるわけでございまして、やはり我々、現実に経験した東日本大震災のことを考えますと、長期間の間、総選挙又は参議院の通常選挙が実施することが困難という事、これは充分あり得ると。現実に首都圏直下型地震だとか南海トラフ地震というものは想定されているわけです。
起こらないほうがいいに決まっているのですが、想定されています。もしそうした事態になりますと、より広範な地域で選挙が適正に実施できないということになるわけでございまして、おっしゃっている繰延投票でやればいいんじゃないかとか、長期間困難と言うのは想定し難い、だから定則数が不足するという事はありえないんじゃないかと、こういうご議論は私には理解ができないというふうに考えております。
私の意見に対して両先生はどういう風なご所見を持ちか、ぜひ聞かせていただきたいと思います。


長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
どうもありがとうございました。土井真一教授の執筆の『注釈 日本国憲法』資料配布されているはずですが、土井教授の、この676ページのところで、ご指摘の統一地方選挙等、選挙の延期をするという臨時特例に関する法律のことを書いておられまして、先ほども申し上げました、繰延投票ですとか、あるいは選挙自体を臨時特例として延期するということもあり得るというそういう土井教授の指摘は、充分このことはわかった上で、そういう指摘をしているということになるだろうと思います。これは先ほども申し上げましたことですけれども、国会議員の方々いずれの国会議員の方も、全国民を代表していると、これは理念でございます。憲法43条1項にもその旨が書かれておりますし、このことはいわゆる1人別枠方式、これは合理性が失われてしまったのだとした最高裁の判例がございます。平成23年の3月23日の判決でございます。これは強調している点でございまして、人口の少ない県の意見が国政に反映をされないことが困るから、だから1人別枠方式にするのだとそういう主張は理由がないのだ、ということを最高裁は指摘をしております。それから現在議論になっておりますのは、主に衆議院議員の選挙についてというそういう話だと思いますが、衆議院議員の選挙がかなりの選挙区におきまして、実施が困難であるという場合におきましても同じ地域から選出をされている参議院議員の方がいらっしゃるはずでございます。そうしますと参議院の緊急集会でことに対応している限りは問題がないのであろうということになりますし、衆参両院で対応しているという場合におきましても参議院議員がおいでのはずでございます。そういった点で、まさに両院制の妙味が生かされるということに
なるのでは無いのかと、いうのが私の考え方でございます。


大石眞(参考人 京都大学名誉教授)
お答えいたします。先程の北側先生のお話、かなり深刻な事態だというふうに受け止めておりますが、ずっとお話を伺いますと、中にありましたように問題はその参議院は正常に機能しているけれども、衆議院議員の総選挙は実施不可能とか、というケースとはやや異なりまして、どうも衆参両院通じての選挙についての重大な阻害行為があったという事ですので、1つのケースに当てはまるかもしれませんが、それはそれとして、別に論点として立てなければならない重大な論点だろうというふうに思っています。
繰り返しますけれども、その選挙の事務執行にあたるもの、ずいぶん大変なことがあると、半年以上も延びるということも目にしましたし、解るんですけれども、でもその事は衆参両院を通じて起こり得ることで、衆議院が不在の時に、参議院はずっと機能しているという事態とは、全然意味が異なるのではないかというふうに私は分析しています。

玉木雄一郎(国民民主党・無所属クラブ)
国民民主党の玉木雄一郎です。両先生、今日はありがとうございます。
私もまず聞きたいのは、長谷部先生の『注釈 日本国憲法』の693ページに、佐藤先生も指摘してるのですが、緊急集会の乱用の危険性です。あまりにも解釈を広げすぎると、乱用の危険性が出てくるというのは先生の本にも書かれています。あとここにも書かれてますが、内閣が対立する衆議院を解散して、本来は国会会期中に審議するべき案件を参議院と連携して、要は結託して、緊急集会で成立させるという緊急集会を国会対策の技法として用いる危険性も『注釈 日本国憲法』では指摘されています。まずお二人の先生にお伺いをしたいのですが、ズルズルと解釈で緊急集会の権限を広げてしまうと、指摘される緊急集会の乱用が起こる可能性があると思うのですが、この点について改めて両先生のご意見を伺いたいと思います。


大石眞(参考人 京都大学名誉教授)
お答えいたします。確かにおっしゃるような恐れがないわけではないと思います。しかし問題は緊急集会の持ち方でして、関連のある事項も全部拾い上げていくという形でどんどん拡大していきますと、限りなく広がる恐れが十分にあると思います。ただそこは、参議院なら参議院の議長の議事整理権と申しますか、そこできっちり歯止めを設けることができるわけですよね。ですから、いろんな仕組みがあるその前提で成り立っている議事運営において、ある一点だけ突破されたからといって、全てが台無しになるという話には直接はならないと思います。だから大事な論点はやっぱり非常に押さえておく必要がありますけれども、ついでに申しますと、先ほど私は、本予算までは無理だろうということも申し上げました。それは現在の例で言えば、向こう4年間の特例公債発行法の成立のワンセットとなっているわけで、向こう4年間を拘束するような話が一体できるのかということで、やっぱりそこには限度があるだろうということを考えざるをえません。
とりあえず数字は1つの調整問題だと申し上げましたが、長谷部参考人がおっしゃいましたが、その数字が書いてあることの意味というのは捨てがたいわけでありまして、それを突破されたらどこまでが限度かはわからないという状況なので、その点は一応、最大限の区切りと念頭に置いておくべきだろうと私の意見です。


長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
ご指摘のこの土井真一教授の執筆部分ですが、693ページで土井教授が言いたい事は何なのかというと、確かにおっしゃるには乱用の危険があると、乱用の危険があるので実態的な要件とされている緊急の必要というのが何でもかんでも緊急の必要だと内閣が言えばそうなるけどないのだと。例えば臨時国会を召集する必要に対応する程度の必要であればこれは緊急集会を求めることができないのだというのが、ここで土井教授がおっしゃっていることです。
ですから乱用の危険があるからこそ、そこは厳密に考えていく必要があるという結論にはなっております。
それから40日+30日の日数の重みということをいろいろ議論があるということになっておりますが、いろいろな人を引き合いに出して恐縮ですけれども、第3共和制のフランスの20世紀の前半で活躍したモーリス・オーリウという極めて著名な公法学者がいまして、彼は緊急事態の法理、そういうものを判例を素材として構築をした人として知られておりますが、彼の考え方ですと、こういう規則が定められて、日数も含めて、そういった時は、平常時はこれは100%守らないといけない、きっちり。しかし非常時になれば、まずは生き延びることが大事なのである。生き延びるために必要な場合には、可能な限りで守る、そういうことしかありえないことが生じ得るのだ、ということを言っておりまして、私はこの点に関しましてはモーリス・オーリウの言う通りではないかというふうに考えております。

玉木雄一郎(国民民主党・無所属クラブ)
前回の憲法審査会で申し上げたのですが、これは長谷部先生もおっしゃってますが、憲法の規定は「原則と順則」「プリンシプルとブルール」があって、例えば長谷部先生も2004年1月の『ジュリスト』の記事で、一般的に法機関と言われるものの中には、ある問題に対する答えを一義的に定める「順則」と、答えを特定の方向へと導く力として働くに留まる「原理」とがあると。
憲法の規定で言えば参議院の任期を6年とする憲法46条は「順則」にあたると考えるべきであろうとされています。私も数字が入っているようなところ、特に統治機構の部分については、そのまま解釈するのが憲法の求めるところだと思います。ただ今、先生がおっしゃった通り、平時のルールなので、有事になったときには他の法益とのバランスの中で、いわゆる順則とされるものも、多少の、例えばさっきの40日+30日の幅が出てくるという話だと思うんですが、私は逆にダメだと思っていて、過去の歴史を考えると、緊急時になった時ほどこの正気を失いがちになると。
あらゆる明文上規定されていることも、自由に解釈して、まさに時の権力にそれが左右されてしまうということがあるので、事前に明確に、緊急時を前提としたものを明文で規定しておくことが、立憲主義には適切ではないかと。
例えば、有事だからと言って6年が7年に延びたり、衆議院の4年が5年に延びたりする事は、さすがに私は憲法に予定している範囲を超えているのではないかと思います。
その上で70日を超えて長期に、あるいは本予算や条約の締結まではできないということですが、この『注釈 日本国憲法』の694ページが、補正予算のダメだというふうに書かれてます。土井先生は。つまりその、内閣の経済政策をより良くするようなものは緊急性がないということで、暫定予算はいいけど、補正予算・本予算はダメだという整理だと思います。私はその通りだと思います。その上で言うと、やはりこの70日という事は厳格に守るべきであって、緊急集会もやはり最大70日ではないかと思います。
長谷部先生にお伺いしたいのは、順則のうち、厳格な解釈が求められる条文と、順則の中でも一定の解釈が許されるものがあるのかないのか、あるとしたらその差を決める境目は何なのか、そして誰がそれを確定させるのか、そのことについてのご意見を伺いたいと思います。


長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
順則のうち、解釈の余地のあるものとないものと、条文自体を見て見分けるという事は不可能だと思います。
順則につきまして、解釈の余地が出てくるのは通常時ではなくて非常時だから、あるいは緊急時だからとそういう理屈立てになっております。これは1970年代のイングランドのとても有名な判決で、バーコック判決というものがございますけれども、これは当時のイギリスでは制定法上は「緊急車両が赤信号を通過しても構わない」というのが定められていなかった。それに対応してロンドン市の消防局が、消防車が火事の現場に急行しているときには赤信号を通過しても構わないのだという通達を出したところ、これの適法性が争われた、そういう事件ですが、イングランドの控訴審の判決では、今は赤信号であると、ところが目に見えるその先に火事があって、上の階で助けを求めている人がいる、そういった場合に赤信号だからといってここで止まるのか、そういうことを言っておりまして、そういった場合に赤信号を通過する緊急車両というのは罰せられるべきではなく、むしろ褒め讃えられるべきではないかというそういうことを言っている判決でございます。ですから、順則につきまして、一体どういう対応をするべきなのか具体的な場面になってみないと確定できない、結論は出ないと、そういうことではないかと考えております。


玉木雄一郎(国民民主党・無所属クラブ)
私は緊急時を理由に順則を解釈に開いてしまうことが、立憲主義の観点から危険だと思うので平時の落ち着いて物事を考えられるときに、憲法上の議論しておくべきだということで、具体的な条文を提案しております。
先生方の今日の意見をしっかり踏まえて、今後議論を深めていきたいと思います。以上です。


赤嶺政賢(日本共産党)
日本共産党の赤嶺政賢です。今日は長谷部先生、大石先生、大変参考になるお話ありがとうございました。
長谷部先生にお伺いをいたしますが、議員任期の延長の理由として、国会機能や二院制の維持が強調されております。しかしその大前提は国会が国民に正当に選挙された議員で構成されているという事でなければなりません。
国民が選挙権を行使する機会を奪って、国民の意見が反映されてない形で任期を延長された議員が、国政を担い続けるというのは議会制民主主義の根幹を揺るがすものだと思います。ましてや周辺有事への参戦という重大な意思決定に際して、国民が慎重な意思を表明する機会を奪う事は断じて許されないと思います。
国民の参政権を奪うのではなく、いかに保障するかという立場からの議論こそ必要だと思いますが、この点について長谷部先生のご意見をお伺いしたいと思います。


長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
冒頭の陳述でも申し上げましたが、まさにその点は大変重要な論点でございまして、最高裁の判例も選挙権に対する制限というのは、本当にやむを得ない場合でなければ制限をしてはいけないのだということを言っております。
従いまして、たとえ選挙の実施困難が生じるということがありましても、困難が解消され次第、順次やはり選挙を実施していくべきものであるというふうに考えている次第でございます。

赤嶺政賢(日本共産党)
もう1点、長谷部先生にお伺いしたいのですが、災害や感染症を理由に緊急事態条項を創設すべきだという主張について、この審査会に参考人として出席した東京大学の高橋和之教授は、極端な事例を出して議論をすれば間違う危険性が高いと言うことを強調されました。この点についての長谷部先生のご意見をお伺いしたいと思います。

長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
確かにそれは高橋参考人のおっしゃる通りのところはあるんだろうと思います。理論的にはいろいろなことが考えつくわけではございますけれども、実際に本当にそういった事態がどれほどの緊要性がある、あるいはどれほどの蓋然性で起こり得るものなのか、それはやはり重々慎重にお考えの上で対応策は考えなくてはならないものだと思いますし、そして先ほども申しました通り、現行憲法が規定をしております緊急集会制度というのは平常時と非常時と明確に分けるとそういう意味では極めて優れた制度であると私は考えているところでございますので、やはりなおさら慎重な考慮は必要ではないかと考えております。


赤嶺政賢(日本共産党)
引き続き長谷部先生に伺いますが、憲法54条の参議院の緊急集会に関する規定は、私たちは国民の自由と権利を奪い侵略戦争に突き進んだ歴史への反省と一体のものだとこのように考えてます。ところが今、戦争やテロなどの緊急事態に対応するためとして議員任期の延長や内閣による緊急政令・緊急財政処分の議論まで行われるようになってます。また今回、国会は安保三文書の議論が行われていますが、政府は安保法制に基づいて集団的自衛権の行使として敵基地攻撃が可能だという主張まで行っております。参考人は2015年、この憲法審査会で集団的自衛権の行使は憲法違反だという意見を述べられました。あれから8年になろうとしてますが、緊急事態条項の創設や敵基地攻撃能力の保有が議論される今の憲法状況について、どのようにお感じになっておられるか、ご意見がありましたらよろしくお願いします。


長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
憲法状況全般について所見を述べるというそういう用意が少なくとも今はございませんので、ただ冒頭におっしゃいました憲法54条の定めている40日+30日とこの規定のそもそもの目的は何かと言えば、これは民意を反映しない従前からの、現在の民意を反映していない従前からの政権の居座りを防ぐ、それがそもそもの目的でありまして、これは各国比較からも明らかな話でございますから、この目的をやはり第一に据えて物事を考えていただくと、これも必要なことではないかと考えている次第でございます。

赤嶺政賢(日本共産党)
ありがとうございました。大石先生にも伺いたいのですが、大石先生ですね、マスコミのインタビューで緊急事態条項には2つのレベルがあるとして、災害やテロ感染症などの対応については、国会や政府が現行法の中でどれだけ適切な措置を取るかという話に尽きるとこのように述べておられます。これは具体的にどのような考えでおっしゃっているのか、先生のご意見をお伺いできればと思います。

大石眞(参考人 京都大学名誉教授)
緊急事態という言葉をどう使うかというところで、すでにいろいろな議論があり得るのですけれど、先ほどから長谷部参考人もおっしゃっている通り、1つには国家の存立そのものが問題になるという局面がよく考えられて、それが国家緊急権という形で議論されたりするのですが、少なくとも54条が考えているような事態は全くそれではありません。やっぱり国会や内閣を始めとして国家機関の正常な活動が期待できないという場合に備えてどうするかというのは、これは憲法上の手当てが必要なのかなというふうに思います。その上でいろいろな災害上の緊急事態とかありますけれども、とりあえず国会が、内閣が正常に機能していれば立法的な対応で何とかできるという部分もあるわけでして、そういういろんな段階のことを、一応分けて議論をしなければいけないんだというふうに思います。
先ほど高橋和之先生の話が出ましたけれども、それを全部踏み越えて全部話をしなさいということに対する警鐘だろうというふうに私は受け取っております。以上です。


北神圭朗(有志の会)
有志の会の北神圭朗です。両先生に厚く御礼を申し上げたいと思います。
まず大石先生のレジュメには、原則に対する例外については法解釈上、限定的にすべきだという話がありました。その点について大石先生の任期満了時に類推適用をするという事について、これは限定的かどうかという、そこについて伺いたいと思います。それで長谷部先生には任期満了時もそうですけれども、さらに54条について70日間を超えて緊急時に対応できるようなそういう平時じゃない緊急時に起きる対応における解釈ということをおっしゃってますが、我々も法律を勉強したときに学んだのは、大石先生がおっしゃった例外については限定的に解釈すべきだと言う事についてどうお考えかということです。あともう一つは、長谷部先生の解釈では、この70日間というのは従前の政権が居座らないようにと、そういう配慮からだというふうにおっしゃいますが、素直に条文を読むと、特別国会が開催されて10日以内に承認を衆議院がするというところから導かれる70日間だと私は理解していたんですが、これは単なる形式的な話じゃなくて、これはやっぱり二院制の両院制の原則に基づいていることで、極めて変則的、例外的な緊急集会でありますので、つまり参議院が議決をするという意味では、できるだけ早く衆議院もそれを承認するという考えから来ている解釈が、70日間の計算だというふうに思いますが、その点についてどうお考えかと。
その上で最後に、70日間を超えるとこれは緊急時だったらそれが許されると。70日を超えるという解釈が許されるという事なんですが、その点ですね、そんなにそこまで緊急集会にこだわらなくても…。というのは、その二院制の問題がありますから、2回事例がありました吉田内閣のもとで、かなり乱用に近いような運用がなされていますが、例えば中央選挙管理委員会の任命をしたと、参議院が緊急集会でやりましたが、それを衆議院が例えば不同意、同意しないという選択肢はほとんど現実的にありえない、なぜならそこで不同意にしてしまったら、内閣総理大臣の委員の任命というものも無効になりますし、最高裁判所、裁判官の国民審査というものも効力を失うということなので、何を言いたいかというと、事実上これは、二院制の根本原理である参議院に拘束されず自由に衆議院が議論をして議決をするということに、非常に支障をきたす恐れがありますので、あまりここを拡大解釈せずに、素直に新しい制度を設けたほうがよろしいんじゃないかというふうに思いますが、いかがでしょうか。


大石眞(参考人 京都大学名誉教授)
お答えします。原則に対する例外は厳格にと、これは解釈の基本ですけれども、なのになぜ類推解釈で任期満了後の総選挙不能の場合にも当てはまるのかというお話だと思うんですが、その典型的な要件に当てはまらない、しかしそうだけれどもそれなりの類似性が認められて合理的な理由があれば、それは直接は書いてないけれどもそこは解釈でカバーできるというのが類推になるわけですね。ですからそれ自体は、解釈の問題としか考える限りは私は可能性は十分にあるんだと思います。もちろんおっしゃるように、そこを明文化するというんだったらそれは非常にはっきりしてますけれども、現状で現行憲法の解釈としてどうかと問われると、その類推解釈の可能性は成り立ち得るのだ、というのが私の立場です。ただ繰り返しになりますが、それが無限に続くということになると、全然趣旨が違うので、類推解釈と出発しながらしかし類推解釈のもとになるこの期限を遥かに超えて、ずっと存続するというのは、それは憲法で予想しないところなので、それについては私は否定的です。以上です。


長谷部恭男(参考人 早稲田大学大学院法務研究科教授)
私も原則に対する例外という場合には、これは限定的に理解していくべきだと、それはおっしゃるとおりであろうかと思います。ただ70日につきましては、これは繰り返しになって恐縮でございますけれども、もともとこれは現在の民意を反映しない政権の居座りを避けると、それを阻止すると、そこから各国の憲法にも似たような規定がいろいろございます。そして日本の憲法にもその規定があるというわけでございまして、他方で参議院の緊急集会というのはほとんど日本特有の規定でございますから、緊急集会のことを念頭に置いた上で70日の規定が設けられているというわけでは無いのではないかというふうに考えているところです。ただもちろんご指摘の通り、緊急集会はできるだけ短期でなければいけないと、それは全くその通りでございまして、そのことについてはおっしゃるとおりであろうというふうに考えているところでございます。
ただ、これまた繰り返しになりますけれども、緊急集会制度というのは、非常時に対する対応というものと、それから平常時に対する対応、これのはっきり明確に分けるというところにこの緊急集会の妙味がございます。
衆参両院があるということにしてしまいますと、これは緊急時ではなくなってしまいますので、むしろ緊急事態を恒常化する恒久化するそういうリスクを招くことにもなりかねません。それよりはやはり緊急集会、やはりこれを大事にしていくことには十分な意味があるというふうに考えております。


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