日記2023.5.18 自分の幼児期の全記憶、体調回復の兆し
2023.5.18木
・生い立ちの話。幼児期の話。
前は生家の話をした。ようやく生活の話だが、とにかく僕はその川崎の借家で暮らしを始めた。
幼稚園に入る前のことは覚えていない。気付いたら生きていた。
姉とは4歳違いだから、僕はベビーカーで幼稚園の送迎に連れ立ったりしたのだろうが、覚えてはいない。
専業主婦の母、サラリーマンの父、4つ上の姉、そして僕の4人暮らしだった。
母方の祖父母は熊谷に、父方の祖父母は中野に住んでいて、つまりどちらも近所には住んでいなかった。
母の話だと、父が育児に参加したことはないという。
まあ90年代初頭のことだし、サラリーマンの父おそらく帰るのも遅かったのだろう……と今の僕は思うが、母はとにかく父の悪口を言うのが大好きなので、「お前の父親は育児に参加しない最低の父親だ」とよく吹き込まれた。
ただ僕が思うに、父がたまに育児に参加しようとしても、母が「勝手に触らないで!」「そんなやり方しないで!」と怒って止めていたんじゃないだろうか?
結局母は一人で物事をこなすのが好きなのだ。それで「まったく、私以外はダメな奴ばかりなんだから」と思うのが好きなのだ。
そんなわけで、僕はほとんど母の手のみによって育てられた。
繰り返すが幼児期の記憶はほとんどない。
聞いた話だと、父が空き缶を灰皿代わりに使っており、それを0歳の僕が飲んで大騒ぎになったことがあるらしい(別に入院とかはしなかったらしいが)。
あとは、発育(ミルクの飲み具合とか、身長とか、立つ時期とか)が人より遅く、心配ばかりかける迷惑な子供だった、という話もよく聞かされた。
ただ食べ物を食べるのと、言葉の成長は早かったらしい。
今の僕からすれば、どうせどれも「人並み」だったのだろうが、それを母が思いつきで強調して話しているだけだろうが。
幼児期についてはそんな所だろうか。 明るい話がなくて申し訳ないが、まぁ僕のせいではない。
・今日の日記。
・体調上向き。良い感じです。
・仕事は出張。新しく出来る拠点の見学。暑い! 場所の確認などしたが、工事中だし細部はあんまり分からず。何のための出張?
・重い仕事(マニュアルの策定)の修正版を出せた。やっぱこういうマニュアルの作成は嫌いじゃないな。細かいところ詰めるのは難しいんだけど。
・朝は体調悪く、もう休もうかなと思ったほどだったが午後から回復の兆し。
娘も元気になり保育園に行けて良かった。