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エドンマーティヌの墓⑨

「――さっきの質問の答えだけど」アスカが話を切り出した。私は、相変わらず麻婆豆腐を噛み締めている。白菜やばすぎ、どれだけ旨味成分を溜めているというのだ。
「シャクシャクシャクシャク」
「いや、複雑だよ。私の作った料理をおいしく食べてもらえてうれしいけど、それが原因で話聞いてもらえなくてイライラもしてるっていう」
「ジレンマね、シャク」白菜うまい。
「え? それ私のセリフだけど」アスカは目を丸くしている。
「セリフって――誰かのものなの?」
「私が言うべきセリフってことね! ああもう、これだから哲学科は! 言葉を厳密に考える病気にかかってる! ――そのくせ常識ないじゃん」
「ふっふっふ、常識なら知っているわ。白菜おいしい」
「……ありがと」
 アスカはまんざらでもない顔をして、麻婆豆腐を食べていた。――そうか、これが友達か。なんか悪くないな。

「――いやエジプト嬢、だからそれ友達じゃなくて、メイドですってば」大剣を雑魚敵に振り下ろしながらノヴァリスエルフェンシュドは言った。彼は、ギルドのお調子者で、いつもパーティを盛り上げてくれていた。
「草」棍棒を構えてそう言うのは、スープ茶漬けである。彼(彼女?)はいつも無口で、発するのはいつも単語だけだ。
「なんか人使いうまそうやしな」関西弁の盾使い、夕暮れの十字架。彼はいつもパーティのまとめ役として、ギルドメンバーに頼られている。
「ええ、でも結構良くしてくれるんだよね。オシャレも教えてくれたし」
「それをメイドと言うんやで」夕暮れの十字架がコンマ数秒で返信してきた。「召使いや」
「エジプト草」
「お嬢、彼女のことをどういう風に呼んでいらっしゃるのですか?」ノヴァリスエルフェンシュドは特攻を仕掛け、敵陣の中ボスと対峙していた。「まさか、苗字呼びとかじゃないですよね」
「んん~と、ええと……あれ? 私、あの子のこと名前で呼んだことないわ……」
「大草原草草」
「wwww」
「クッソwwwwやっぱメイドwwww」
 ノヴァリスエルフェンシュドがダンジョンボスを倒し、攻略が終了した。同時に、アスカから「明日早いし、そろそろ寝るよー」と声をかけられた。私はギルドチャットに「友達に呼ばれたからそろそろいくね」と打った。
「エジプト嬢、今日のうちにお友達さんを名前で呼んであげてくだされ」
「草不可避」
「頑張れやで」
 私はお辞儀のモーションを入力して、ユグドラをログアウトした。確かに、友達を名前で呼ばないのはまずい気がする。――よし、行こう。善は急げ。ちゃんと名前で呼ぶのだ。

「おーい、イリアさん、ゲームはちゃんとログアウトしたー?」アスカの声は、寝室から聞こえた。もう、寝る支度を始めているらしい。「明日は結構忙しくなるからね、お墓ちゃんと調べなきゃいけないし。イリアさんの譲り受けた光の謎が解けるかもしれない」
「あ、あの……えっと、ア、ア……」
「うん? どうしたの?」私の声に気が付き、アスカが寝室から出てきた。パジャマは、部屋着と打って変わって黄緑色をしている。「そういえば、寝る部屋は別でいいよね? パソコン部屋使っていいよ」
「あ、いや、その……」
「え? もしかして一緒に寝たいの?!」
「ち、違う! そうじゃない! そうじゃないけれど! ……く……いや、たんま。仕切りなおす」
 急に目頭が熱くなって、私は即座にアスカから顔をそむけた。そして逃げるようにパソコン部屋に速攻して、持ってきた敷布団にダイブした。
「あ、寝るときはちゃんとパジャマに着替えてね! じゃなきゃ、しわになっちゃうから」
「わかりましたよーう」
 くっそ……無理だ。私は、ずっと友達がいなかったんだから。その、名前……で呼ぶなんて無理。頭の中じゃいくらだって貶せるのに、もう、こう名前ってさ、ほら、相手の一番プライベートな部分でしょ? でも、呼ばれるときはあんまり抵抗ないのにね……。いや、自分が呼ばれるように、相手の名前を呼べばいけるか? え、それってどういうことだ――? まあ、いいや、そういえば、アスカって私のことなんて呼んでいたっけ……「イリアさん」だ。あれ、そういえば私、「さん付け」で呼ばれているのか。どうして? 友達なのに、おかしい!
 私はパソコン部屋から飛び出して寝室に向かった。どうせなら直接聞いてみよう!
「ねえ! どうして私のこと「さん付け」で呼ぶのよ!」
 私がそう言うと、しばらく沈黙が続いた後にやがて寝室の扉が開いて、
「そうかあ、今度はそう来たんだねえ」と彼女は言った。うんざりしたような顔をしながら彼女は姿を現す。そして私の顔を一瞥し、突き放すような鋭い声で話し始めた。
「順序がおかしい。いや、思考回路か。とりあえず、イリアさんには、自分から変わろうって発想は出てこないの?」
「い、いや、今考えれば、はじめは頑張ってた――」
「さっきもそうだよね! こっちはさあ、イリアさんと友達になりたい一心であれやこれや色々働きかけて頑張ってんのに、そんなのお構いなしで。そんで、君は「あなたって友達なの?」って聞いてくるじゃん。しかも、ゲームの中で私、メイドってことになってるでしょ!」
 見られていたのか……。ほんと、ぐうの音も出ない。至極その通りだった。よく考えれば、友達を拒否していたのは私の方だったのだ。私は――何も言えなかった。
「まあ、イリアさんの出自とかを考えたら、友達作るのとか苦手なことは想像つくからいいけどね。私もそこまで得意じゃないし」アスカはため息をついた。「私だってね、あんまり友達多い方じゃないんだよ。それこそ、こうやって秘密明かして本音話せる人間なんていない。だから、私はイリアさんと友達になれたらなあって必死になってたんだよ。ほら、家まで上げてるわけだし! こんなん、初めてだよ!」
「どうして」私は恐る恐る聞いた。「どうして、あなたはそこまで……」
 私にはわからなかった。なぜアスカが私を気に入ったのか。絶対他の人と仲良くした方がいいに決まっているのに。知り合ったばかりの人を家にあげるのだって、相当勇気が必要だったに違いない。――私はアスカをじっと見た。アスカは、何かを思案するように、下を向いて目を瞑っていた。
「――一つは」アスカは顔を上げて答えた。「あの夢だよ。本音で話したいから言うけれど、端緒はやっぱり君のおじいさんの夢があったから。私はあの夢を信じてたんだよね」
「祖父か……」ちょっとガッカ――
「でも、それだけじゃやっぱ友達になろうとは思わない」アスカはキッパリと言い切った。
「え?」
「イリアさん、君がとてもおもしろいからだよ。個性的だし、理解困難だし、しかも危なっかしい。世間からずれてる。もっと言えば、勘かな。昨日今日と二日間いて感じた。友達になってみたいなって勘が――」
「アスカ!」
 今、自然と声が出た。嬉しかったのだろうか。なんの抵抗もなく、私は、友達の名前を呼ぶことができた。なぜだか自分でもわからない。でも――この高揚感が何か特別な気持ちだったということは、確かに真実だった。
 言おう、今を逃したらもう一生言えない気がする。
「アスカ……私も。私もアスカと友達になりたいわ」
 一瞬、沈黙が流れた。アスカは、自分の髪の毛をくるくると指でつまんでいる。その姿に、心臓の鼓動が心なしか速くなっていた。
「……へへ」彼女は、らしくないニヤケ顔で笑った。「やっと呼んでもらえたか。でも確かに……こそばゆいね」
 なんだか、私もつられて恥ずかしくなってくる。なんかこう、人とわかり合うことの照れ臭さとか。あるいは、今まで壁を作ってたのがすごく恥ずかしいとか。――でも大丈夫。何を恐れようか。私たちはもう、友達なのだ。
「よろしくね、アスカ」
「うん、明日は頑張ろうね、イリア」
 私たちは初めて握手を交わした。これで正真正銘の友達になった。俄然、墓参りが楽しみになってきた。祖父は、友達を連れてきたらいったいどんな反応をするだろうか。

「――でも、寝床はとりあえず別々ね。イリアはパソコン部屋で寝てね。ほら、急に距離が近づくと、決まって数話後に喧嘩回が出てくるじゃん。私、喧嘩嫌いだから」
 アスカはそう言って寝室のドアを閉めた。い、言われんでもそうするわ!
「あ、後」再びドアが開いた。「ちゃんと着替えてから寝てね」閉まった。
 ――やっぱりこいつは嫌いだ……。

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