2024/6/7(金)

僕は15歳辺りから現実逃避の癖がつき始め、18歳になる頃には、後四年で社会人、ということで理想と現実の落差が折り合わなくなった。どういう現実逃避をしていたかというと、主に音楽、そして映画と本だ。同世代の、ゲームやアニメという趣向とは少しズレているが、まあ同じようなものだ。

僕が現実と向き合い始めたのはアラフォーになった今辺りで、それまでは誤魔化し誤魔化し、現実逃避をしつつ現実を生きて来た。

しかし、現実逃避にせよ、人生とは常に現実を生きるもの、というのは変わらない。例えば、大学時代辺り、僕は一生映画だけ生きて行ければどんなに良いか、と思ってた。むしろ中学生のような考えだ。

でも、僕は大人になっても幼く、延々とそういうことを考えていたし、それなら映画監督、映画批評家などを現実的に目指してもいいようなものだが、病気がそういった夢を一気に一掃した。

だが、個人的に「夢」というもの(目標に近い方)は何よりも大事だと思ってるし、自分としてはそれ無しには生きて行けない。それがどんなに非日常的で非現実的でも。それがあって初めて、目標を設定してそれに向かって一直線に歩んで行けるのであって、職業のことを考えて生きる、というのは自分にとっては無味乾燥で苦痛にしか感じられない。

勿論、これは非常に10代っぽい考えだろう。普通の大人は、40歳になる頃にはとっくに「夢」というものを諦め、ひたすら目の前にある労働に勤しむ。

ちなみに、僕が初めて衝撃を受けた映画は「インディペンデンス・デイ」だ。そこから、少しずついろんな映画を観て感銘を受けて来た。

25年以上情熱を注いで来た音楽に関しては、情熱を失いつつある。本に関してもそうだ。全ての本は、すでに自分が知ってることばかり書かれているように思える。

音楽は、今は嫌いではないけど、作り手に少しだけ周ってみたら、その限界が見えて来た気がする。映画は、映像と音声両方あるから、表現の幅がその分広い気がする。25年間くらい、ある程度音楽を聴いて来た身としては、もう聴いたことのないような音楽(ストリーミング、CD、レコード、ラジオ、テレビを介して)は無いように思えてくるし、それは事実はどうでもよくて、そう思える、という方が重要だ。

その反面、映画は自分にとってフロンティアで、観たことのないような映画がいくらでもある。映画作りの世界に関してもほとんど知らないし、自分は映画を作らないだろうと思うけど、観客として映画をもっと楽しんで行きたいと思う。

過去に映画は少しは観て来たが、最近見方が変わって来た。昔より、少しは知識が付いてきたからだろう。僕は「イメージ」としての映画が好きだが、「ストーリー」としての映画は苦手だ。最近の傾向として、ストーリー偏重なところがある。これは音楽に関しても言えて、「音色」の方が「構成」よりずっと自分にとって愛着がある。本に関しても、「文体」。

そんな難しい「っぽい」ことを考えても仕方ないんだけど、今日も一日中音楽を聴いて、「飽きたな」とふと思った。今までの人生充分ライヴにも足を運んだし、ギターに関しても個人的にはもう探検する余地はない。また言うが、事実はどうでも構わない。自分がそう「感じる」んだから仕様がない。

また、ここ四年くらいハマっていた哲学に関しても、「大体こんなもん」というのが分かったので、もういいかな、という気がする。文学に関してもそうだ。今一番興味があるのは社会学で、社会学に固執する必要はないけど、面白そうだと思っている。

今まで、社会学に勉強するには経済学も政治学も法学もやらなくちゃいけない、嫌だな、と思ってたけど、別に大学生じゃないのでその辺はスキップしていい。自分の好きな部分だけやる。

あらゆる義務から解き放たれているように見えるが、実はいろんなものの間にいる。そんな毎日だけど、夢と希望を持って一日一日を大事に過ごそうと思う。

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