2024/6/21(金)

自分は、つい人生を甘く見てしまう傾向にある。成功する人は、血の滲むような努力をしてそこまで行ったのだ。でも、今の自分が何も持ってないまっさらなニートだと思うことの危険性もある。ただ、事実としてそれはあるし、こういう自分の文章を自ら読んでいてもまるで面白くないことからもそれは証明出来る。

ただ、今の自分(音楽への情熱を失ってしまった自分)がやれることとは、こうやって文章を書くことくらいなのだ。地獄とは自分で作るもので、今の自分は天国にも地獄にもいない。ただ、後に振り返って「あの四年間はまるで進歩がなかったな」と言える、そのくらいのブランクな期間として笑って振り返られるようになりたい。

何にしても、何かに尽力することが大事なのであって、まるで何も強制力のない(金を稼ぐこと以外)今、つまり無の状態から這い上がるには、自分が意味のあると思うことをやり続けるしかない。

基本的に、自分は「モラトリアム」とか「ひきこもり」と言われている人たちにマインドは似ていると思う。実際ひきこもってるかはさておいて。自分を他人と比べるのは馬鹿らしい、と思うが、憧れの人物を作っておくのは重要だ。

僕は、高校生の頃から村上龍が好きで、彼の考えを真似て生きて来たようなところがある。でも、それは考えを右から左へと流してるだけであって、創造的なことには結び付かなかった。それが凡庸というやつであり、僕が一番嫌っているのも凡庸とも言える。なぜなら、凡庸な家族に生まれ育ったからだ。

僕が育った環境は無味乾燥で、中学生くらいに、そこから抜け出したいという願望を持ち出すようになった。だから、高校生の時はバイトをしてエレキギターを買ったりフジロックへ行ったりして、ロックに憧れてロックな生き方にも憧れたものだが、大体、昔から「ロックな生き方」というフレーズがダサすぎることには気付いてる。

結局、自分に出来ることは自分だけの人生を構築して行くことで、誰を真似てもいけないということを、今の歳でようやく気付いた。「誰々がこうしてるから俺もこうしよう」じゃないんだ。そりゃ、憧れの人を参考にすることは大事だろう。俺だって村上龍みたいに生きたい。

下手ながらも、少しずつ文章を書いて行くしかない。自分には音楽の才能は無いし、あったとしてもプロになれるものじゃないということは分かっている。それでも音楽は少しずつ続けて行くが、それ以上に文章の分野で戦って行きたいという思いが最近は強い。もちろん文才はない。でも、面白い文章を書きたいという欲求はある。

文章で食べて行くなんてことは考えられない時代だが、ケチを付けずにロックな文章を書いて行くことを念頭に置きたい。もちろん、このnoteで書いているような文章とはちょっと違う類のものだ。

僕は特に頭がずば抜けて良いというわけでもなく、単なる凡才だ。それを自覚するのに、20年くらいかかった。ここから、凡才なりにどう物事をひっくり返して行くか。もう小説は書き始めている。止めてはいけない。

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