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信頼の自覚

緊急事態宣言が出てから一週間になろうかとしています。

いま現在、様々なことに気づかせてもらえるタイミングじゃないかなというふうに考えられます。

緊急事態宣言が発令されるのが遅すぎたんじゃないかとか、
もしくは欧米諸国並みにもっと厳しく規制をした方がいいんじゃないかとかと
いうような声もあったりしますね。

あのね、振り返ってみたら、
規制が緩いとか遅すぎたとか、
そういう批判をしてる人って、
ご自身は外出してませんか。

これってもしかして、
規制が緩いから自分は外出してるとか、
もっと規制を厳しくしてくれたら自分は外出しなくて済んだのにって、
そういうことなのかなと思うんです。

これって、人のせいにしてるんじゃないでしょうか。

自分で考えて行動ができない人ほどを
人から強制されることを求めているような気がするんです。

それって裏を返すと、
私は人から指示をされないと動けませんって、
その自分自身の無能さをさらけ出してるような気がします。

緊急事態宣言が出るのが遅すぎたってのも、
同じように考えると、
自分自身が気付いて目が覚めるのが遅すぎたってことなんですね。

自分自身が目が覚めないから
みんな一人一人がいつまでたっても目が覚めないから
政府が緊急事態宣言を出さざるを得なかった。

もっと最初の外出自粛って言っていた時に、
みんながきちんとしてればこんなことにならなかったないでしょうか。

厳しくしろとか、
もっと早く出してくれてればよかったって、
そういう批判は、
自分に跳ね返ってくる言葉だと思うよね。

自分の馬鹿さ加減をさらけ出してると言うか、
そういう批判をすればするほど、
視点を変えてみれば、
ものすごく惨めになっていくような気がする。


ここからが本当にロックダウンに向かうのか。

いや、都市封鎖しなくても
この事態を切り抜けることができたって言えるのか。

ここからは、一人ひとりの行動が、
この事態を切り抜けるためのその責任を負っていく。

「セルフロックダウン」とでも言えばいいのか、
都市封鎖してしまわずとも一人一人の力でもって事態を切り抜けられた、
自分たちで物事を考えて自分たちで動くことができたんだっていうことができれば、歴史に名を刻めると思う。

人のせいにばっかりするんじゃなくて、
自分自身振り返って考えてみたらいいんじゃないかな。


欧米諸国がそこまで都市封鎖を厳しくせざるを得なかったっていうのは、
もちろん新型コロナウイルスの感染の拡大状況はあると思うんだけれども、
もっと根本的なところで考えてみます。

日本っていうのは、手洗い文化があるんですよね。
きちんと手を洗うことが文化として定着している。

例えば、神社仏閣なんかに行った時に、
必ず御手水(おちょうず・おてみず)っていう手を洗うところがありますよね。

それがあるというのが、
ここから聖域と言われる所に入るっていうときに、
きちんと手を洗って、
汚れを払い落としてから、
聖域に入るっていうケジメ。
こういうことが文化としてDNAに沁みついてるんじゃないかなという気がします。

例えば欧米でね、
教会に入る前に手を洗うところなんて見掛けることはないんじゃないですか。

でも日本だとほとんどの神社で見かける。

この差って何なんだろう?
こういう文化的背景の違いっていうことがすごく大きい気がします。


道を歩いていたって、
犬の散歩をしてる人たちが、ワンちゃんのウンチをきちんと自分が拾って袋に入れて持ち帰るということも、
人の場所を汚さない、公共の場を汚さない、
そういうのが染み付いてるんじゃないかなと思う。

それでもう一つ言えば、靴を履き替える。
外履きは、玄関で履き替える。
自分の家に入る時には、外のものを持ち込まないっていうことで、
内と外とかを区別している。

文化的な違いとはいえ、
国によっては、
いたるところに犬のウンチが落ちてるところを歩いてきた、
その靴のまんまでベッドのとこまで来るんですよ。

そういうのと、
道がクリーンで清潔に保たれてるところを歩いてきた靴でも玄関で脱ぐ。
その違いもすごく大きいとは思いませんか。


さらに、文化的背景から言うと、
日本ではよほど仲良くならない限りは、お辞儀ですよね。
礼をしてね。

よほど仲良くならない限り相手の体に触れることがないわけですよ。

ソーシャルディスタンスなんて特別に意識せずとも、
実はパーソナルスペースをきちんと保ってるっていうことがあるんじゃないでしょうかね。

こんなときに限ったことじゃなくて、
そもそも日本ってそんなところなんです。

だから日本人ってそういう意味で、
世界に対していろんな見本をこれまでにも見せてきた。

3・11の東北の震災後を考えたって、
略奪が起きることもなく、暴動が起きることもなく、
静かに立ち上がってきたでしょう。

そう外国からは見られてきたし、
これから先も見られる。
それぐらいの意識があっていいんじゃないかな。

最後にもうひとつ。

いま、病院がすごく空いてます。
大きな病院ほど空いています。

この状況を、どう見るか。

これは当然のことのはずなんです。

病院が、次から次へとあっちにもこっちにも出来上がって行く、
病院が増えるということは、
病人がいないと社会は回らないことになる。

そこを考えたとき、
むしろ今までがおかしかった。

その当たり前に気が付いて、
病院っての空いてるもんだよね、
本当に困った時だけ行くもんだよね、
行かなくて済むなら、それが健康ってことだよね。

このことをきっかけに見直してみたいところです。


さて、話を戻します。

強制されないということ。
それは国民一人一人が信頼されてる証だっていう風に捉えませんか。

都市封鎖してしまわなくても、
自分で外出を控えることができる人たちなんだ。

そういうことを自分たちで行動で示していきませんか。

信頼されてると思えば、行動は変わってくる。

ここで信頼されてると思える人は、
それを行動で示してくれる。

信頼されてないとしか思えない人は、
強制されるまでそのままかも知れない。

そして今、この文章を最後まで読んでくださったあなたのことを、
私は信頼しています。


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