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本とのソーシャルディスタンス

ブックカバーチャレンジなるもの

好きな本を1日1冊、7日間投稿し、
FB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。

それが、ブックカバーチャレンジ。

本との距離感と、
本を間に挟んでの紹介者との距離感とが見える機会なのだろうとも思う。

まさに、ソーシャルディスタンスね。
 

最初にリレーが回ってきたのは、何週間前だろう。

Aさんから、直接メッセージが届いた。

「ブックチャレンジの次、回してもいいかな?」

ごめんやけども、
そういうのはアレなんで、アレさせてもらえるかな。

即効で断らせてもらった。
(“アレ”で通じたし)
 

それから数日後、

Bさんから、メッセージが届いた。

同じ質問に、同じように答えた。

「アレって、なに?」と質問が返ってきた。

そういう、みんなでなにかを頑張りましょう的なやつ、嫌いなので、
お断りさせてください。

丁寧な説明を加えて、お断りした。
(“アレ”が通じひんて、アレやな)

「なんで? みんなが大変なときなんだから、
みんなで力を合わそうよ!」

と、催促のメッセが届いた。

ごめんやけど、
僕は、自分のことだけで精一杯やねん、
そんな余裕あらへんから。

へりくだって、丁重にお断りさせてもらった。
(めんどくさいわ)

 
されに数日後、
Cさんからメッセージがあって、

「いま、ブックチャレンジやってて、
きっと断られると思ったから他の人を指名しておいたけど、
参加、しなくていいよね?」

という確認であった。

そういうアレやから、アレしてくれて、ありがとう。

と、返しておいた。
(よう、わかってくれてるやん)

 
時間が経って、先週のこと。

Dさんの投稿の中で、ご指名を受けていた。

ちょうど目の前に、格好のネタがあったので、
この機会を利用させてもらって、
バトンは止めた。
(タイミング的に、しゃあないなぁ~)

その翌日、

Eさんの投稿の中で、ご指名を受けていた。

また断るのも面倒くさくて、
目の前にあった本を取り上げて、
さらっと書いて、
そしてバトンは止めた。
(先に、言うてよ)

僕という人間は一人しかいないけれども、
Aさんには、多忙な人と映り、
Bさんには、変わった人と映り、
Cさんは、意味のない行動はしない人と理解してくれているのだろう。
Dさんは、いらん気を遣わせてしまって申し訳ないと謝って来られた。
Eさんは、本のことでは僕に振ればなんとかするであろうと信じていたと、後日聞かされた。

僕がどう映るかも、どう行動するかも、
相手との関係性と、タイミング次第ということなんだろか。


前科のカミングアウト

かなりの時間を遡る。
小学校の6年生くらいの頃だったと思う。

少し前に遠方へと転校した友人から手紙が届いた。
 

これは、不幸の手紙です。
この手紙を7人に送らないと、あなたに災いが訪れます。
3日以内に、同じ文面で7人に同様の手紙をお送り下さい。
そうしなければ、あなたには、想像を絶する不幸が訪れることになります。
・・・(そんな感じのやつ)・・・

 

いわゆる「不幸の手紙」であるが、
小学生である僕には、よくわからなかった。

その日一日、この手紙のことを考えた。
次の日も、考えた。

3日ほど過ぎて、母親が尋ねてきた。
「この前のMくんからの手紙、なんて書いてたん?」

手紙をそのまま見せて、どうしようか考えてることを言ったら、
「どうすんの?」

ん? 書かへん。
ここで、とめるわ。

そう、答えていた。
(すでに期限は過ぎてるしね)

 
そのとき、そう決めた理由は…

第一に、好奇心。
想像を絶する不幸がやってくるって、どんなんやろ?
そこに興味が湧いて、仕方がなかった。
のぞいてみたいと思った。

第二に、独占欲。
こんなにワクワクすること、他のヤツにわけてたまるかいな。
一人占めしたるねん。

第三に、正義感。
ほんまに不幸になるんなら、周りを巻き込まなくてよい。
自分が何日も考えたように、他の人たちも悩ませてしまう。
だったら、ここでやめようか。

そして、最後にして、最大の理由。

第四に、めんどくさかったのである。

便箋買いに行かんとあかん。
(その前に自転車の空気いれんとあかんやん)

書き写さないとあかん。
(習字の時間やあるまいし)

郵便局で切手代がかかる。
(アイスクリームでも食べとこ)

すべてが、めんどくさい。

そんなところだろうか。


そして、待ち続けた。

なにが、起こるのか。

来る日も来る日も、待ち続けたけど、

それから30年間、

なにも、

起こっていない。


ほんま、

おもろないわ。

 
骨折もしたし、
交通事故にも遭ったし、
祖父母も亡くなった。

だけど、
それが、
不幸の手紙に起因するものだとは、
まったく思わないのである。

ちなみに、この後にも、
不幸の手紙は、止めている。

しかも、2回。

いま、初めて明かした。


本とのソーシャルディスタンス

いまの、ブックカバーだけでなく様々なリレーチャレンジも、

何十年も前の、不幸の手紙も、

いわゆる、チェーンメールも、

すべて、本質は同じ。


参加しないと、なにかよくないことが起こりそうな気がする。
(起きひんから)

回ってきて、不安になる人は、
次の人に回す。

にもかかわらず、
不幸な目に遭う。

自分から、迎えに行ってるのよ。

それだけ。


だから、なにが起こっても、
そのせいだと思ってしまうのである。

シャープペンシルの芯が折れただけで

「不幸の仕業なのか」
とか考えてしまう。
(芯、替えたらいいやん)


さて、

Cさんとは、この先も友達だろう。
(疑いなく友達やね)

Aさん、Dさん、Eさんとは、会えば挨拶くらいはするだろう。
(知り合い以上ではある、でも友達かな…)

Bさんとは、もう会わないような気がする。
(道で見かけても、Uターンします)


本とのソーシャルディスタンスは、
本当のソーシャルディスタンスを教えてくれたみたいね。

貴重なチャンスを、ありがとう!


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