コロナ的ビフォーアフター

どこに属するのか

緊急事態宣言から1ヶ月が経過し、
さらに期間が延長されました。

先の見えない状況が、
いったいどこまで続くかわからない。

そんななかで、いま一度、
自分はどんな未来を描くのかについて、
考えてみたいところです。


ご商売をされている人であれば思い当たるでしょうが、
お客様の中にも大きく分けて3通りの方がいらっしゃいます。


こんなとき“だから”、来なくなっちゃったねという人。

こんなとき“こそ”、頼ってあげよう、使ってあげようと、
いつも以上に来てくださるお客さん。

こんなとき“でも”、変わらずに以前と同じペースで来てくれるお客さん。


この差っていうのは、
お客さんとしてだけではなく、
実は、私たちみんなが共通するところじゃないかなと思います。


こんなとき“だから”、だからやめておこうとか、
こんなとき“だから”、しょうがないでしょみたいなところ。
諦めの気持ち。

こんなとき“こそ”、がんばらなきゃ、
こんなとき“こそ”、みんなで力を合わせよう、みたいな。
前向きに頑張ろうとする気持ち。

こんなとき“でも”、別に普段と特別なにも変わらないよね、とか。
いつもと変わらない姿であり続けたいという気持ち。


こんなとき“だから”、ってのはBefore Coronaの常識のなかで生きていて、
こんなとき“こそ”、ってのはAfter Coronaの世界観で生きようとしている。
こんなとき“でも”変わらない姿というのは、With corona。

それくらいの違いがあるんじゃないかなと思います。


Beforeの常識

こんなとき“だから”ってのは、
その外的な状況に結局は振り回されてる。

周りがこうだから自分もそうしようとか、
やめておけと言われるから、やめておこうかな、
そんな、周りの人の常識にとらわれる。

あと、この人たちは
すごく恐れを抱いているようですね。
コロナウィルスに対してすごく恐怖心を抱いていて、
外出自粛をしているにも関わらず感染者数が増え続けているというニュースを聞いては、
すごく不安になっている。

あれってさ、あくまでも感染判明者数なんだよ、
感染している人の数で言うと、その何倍も何十倍も何百倍もいるよ、
なんてことをこちらが言ってみると、怒り出すんですよね。

真実を見れないのね。

発表されているのは、あくまでも感染判明者数。
検査して陽性と判定された人。
感染していることがはっきりした人の数。
感染者数なんて、潜在的には数万人単位でいるはずだからね。

だけれどもメディアの情報を鵜呑みにして、
ただ不安で仕方がないっていうね。

こういう人たちというのは、
もしかしたら学校の勉強とかものすごくできたのかもしれない。
正解が一つしかないような問題に対しては
その正解を導き出すことに長けてる。

そんな優等生だった過去があるのかもしれない。

そういう意味では、過去の価値観においては、
どちらかといえば恵まれた人なのかもしれません。

結局は、これまでに見てきた常識を捨てきれないんだね。

過去に手に入れたものがあって、
それに執着してしまってる。

それが、Boforeの常識なんじゃないのかな。


Afterの世界

こんなとき“こそ”、っていうのはすごく頑張ってる人だよね。

こんなときだからこそ、頑張って、なにかできることがあるんじゃないかと、
できることを探して、すごく頑張ってる。

その頑張りは、とても尊いと思います。

こんなとき“こそ”頑張ろうとしてる人は、
アフターコロナの世界に生きてるといえるでしょう。

この人たちの多くは、
もしかすると現在進行形で、
例えばなんちゃらリレーチャレンジみたいなことに取り組んでおられたりとか、
もしくはオンラインの広まりに対応し、
オンライン一辺倒の毎日を送っている。

きっと流行に敏感な人なのでしょう。

今日も一日中パソコンの前にいるのかも知れません。

こんなとき“こそ”って思って頑張ってる、
その心の裏側にあるのは、
いつかコロナ騒ぎも終わると思ってるからでしょうね。

いま頑張って頑張ってやれば、いつかは終わる。
そのときまで、とにかく頑張ろう。


あのね、

たぶん、

終わらないですから。


知ってます?

人類が、過去に根絶できた感染症って、
天然痘だけなんですよ。

鳥インフルエンザも、
そこから広まった新型インフルエンザにしても、
あとSARSとかにしても、
終息宣言は出ていません。

根絶できてないんだから。


だから、新型コロナウィルス感染も、きっと終わらない。

いつかは終わると思って頑張っているんだろうけれど、
先に、あなたの方が息切れします。

で、終わったと思って一息つけば、
今度は第2波・第3波がやってくるから。


だから、あんまり肩肘張って頑張ることじゃないんです。

そもそも、いつかは終わるという思い込みね。

これも先ほどの“だから”と同じように、
実は外的な状況に振り回されてます。

こんなとき“だから”仕方がないという諦めも、
こんなとき“こそ”頑張ろうとする姿勢も、
自分の内側ではなく、外側に軸があるという点では、
まったく同じ。

コインの裏側と表側の違いみたいなもの。

本質的には、似通ってるんじゃないでしょうか。

Withの未来

こんなとき“でも”変わらない、変わろうとはしない人。

あまり他人には目を向けなくて、
淡々と、自分の目の前のことをやり続ける人だね。


こういう人はきっと、
普段からあまり外的な要因に左右されないし、
良くも悪くも周りに自分を合わせようとはしないというか、
わがままを通しちゃう人かも知れない。

人から何を言われようと、
自分が納得しないと動かない。

人から指示されるのは好きじゃなくて、
自分で考えて自分で動いちゃう。


人には寄り添ってないように見えるんだけれども、
実際のところ、
半年前も、
1か月前も、
現在も、
大きくは日常は変わっていない。

その意味において、
With Coronaだと言えるんじゃないでしょうか。

コロナにも左右されない。

だから、コロナと共存していける。

そもそも、コロナと闘おうとはしていない。

マイペースゆえの幸せってのは、
周りの人たちからは理解されないかもしれないけれど、
自分がそれでいいんだから、
いいんだと思う。


コロナ的ビフォーアフターとは

こんなとき“だから”、ってのはBefore Coronaの常識のなかで生きていて、
こんなとき“こそ”、ってのはAfter Coronaの世界観で生きようとしている。
こんなとき“でも”変わらないのは、With corona。

いかがでしょうか。

どれが良いとか悪いとかいうことではなく、
あくまでもどんな選択をして、
いままで自分自身が生きてきたか。

そしてどういう未来を描いて、
どういう選択をこれからしていくのかということなのです。


そして、もしも自分の立ち位置のポジションチェンジをしたいのならば、
Before Coronaの人は、テレビを見るのを止めればいいし、
After Coronaの人は、ちょっと休んでみればいいし、
With Coronaの人は、ちょっと周りを眺めてみればいい。

それだけのことで、ちがいに気づけると思います。


くどいようですが、
なにが正しいか間違いかではなく、
どんな未来を生きたいのか。

それだけです。

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