メモの達人の驚きの境地。


note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。


前田裕二さんの「メモ」の本が流行っているようだけれども、メモというのはそれを書くこと自体に意味があったりする。

極端なことを言えば、書いて、あとはそれを見返さくてもいいくらいである。

というのも、脳は、アウトプットを強制されて初めて気づくことがあったり、自分自身と対話できたりする。

もちろん、声に出したり書いたりしないで自分の中で思考をするということもできるのだが、その情報容量には限界があるし、何よりも経由する回路が異なる。

だから、メモ書きすることで、強制的にアウトプットして、自分が何を考えていたのかを知るということがあるわけだ。

以前、メモの達人を見たことがある。
その方は、セミナーにいらして、いきなり「何かメモする紙はない?」と聞かれた。

それで、紙が用意されると、話を聞きながら、熱心にメモされていた。
それで、セミナーが終わると、「ああ、面白かった」と言って、そのメモを机の上に置いて涼しい顔で行かれてしまったのである。

つまり、メモは書くという行為自体に意味があるのであって、それを見返すということはその方にとってはどうでも良いことだったのである。

ある種、メモの究極の達人の境地であるが。
その方は、ソニーでCDの企画立ち上げに関わったり、アイボを企画されたりした土井利忠さん。「天外伺朗」名義でも活動されている。

達人にとっては、メモは書くだけでいいのです。特に見返す必要もないのです。

あなたもメモを書いてみませんか?

とりあえずこうやってメモしておきます。

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