蛇口をひねると水が出てくるように、自然に流れ出てくる

 
note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。


 創造のために必要なのは「締切」だとしばしばクリエーターが言うけれども、これには実際に深い意味がある。

 時間を区切って、この時までにこれをやれ、と自分に無茶振りすると、本当に脳はそのプロダクトを用意してしまうのだ。

 その時のその人の脳で可能な限り。

 しばしば、何もしない人は、脳の中に何もないと思っている。

 「言うことなんか、何もないです。」
 「書くことなんか、何もないです。」

 そうではない。10年生きたら10年分の、20年だったら20年分、30年だったら30年分の経験や知識が、脳の側頭連合野にそれこそ「腐葉土」のようにつもっている。

 あとは脱抑制をして、その中から関連する情報を取り出してくるだけなのことなのだ。

 「正解」があるという思い込みも、アウトプットを躊躇させる。

 学校教育の中で、表現すること、脱抑制することよりも、教師側が意図した「正解」を求められるという経験をしすぎているからだろう。

 本当は、その人ならではのアウトプットをするならば、それはその時の「正解」なのである。

 だから、締切は自分で設定して、あとはフローで集中すればいい。

 アウトプットは苦しい、無理していると思っている人が多いが、実はそうではない。 
 蛇口をひねると水が出てくるように、自然に流れ出てくるものなのだ。

とりあえずこうやってメモしておきます。

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