小林秀雄さんに学ぶセレンディピティのための空白の技法。
note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。
よく、テレビなどでこの店のこれが美味しい、というのが紹介されると、それを食べに行く人が殺到することがある。
確かに、そのような情報によって店に行くのは合理的な行動ではある。
それなりに理由があって紹介されるのだろうから、行って食べてみたいというのは心情だろう。
一方で、どこかに「答え合わせ」というか、「確認する」というようなニュアンスがあることは否めない。
小林秀雄さんはそのようなことをなさらなかった。
ふらりと店を見つけると、入って、親父さんに、「何かうまいものあるかい」と頼んで、あとはすべてを委ねていたのだという。
いわゆる「おまかせ」だが、「おまかせ」には「おまかせ」の合理性がある。
その日にどのような素材が入っているか、何が一番おいしいか、知っているのはお店の人の方である。
だから、客がこれを食べさせろと要求するよりも、お店の主人がすすめるものを食べた方が良いこともある。
コミュニケーションとしてもすぐれている。
「何かうまいものあるかい」と言われて、店の主人は張り切るだろうし、緊張するだろうし、がんばろうと思うだろう。
それを見て、また小林さんはこの店はいいな、などと思われたのだろう。
一般化すれば、コミュニケーションにおいては、相手にこれをくれ、と要求するコミュニケーションもあるけれども、そうではなくて、相手がその時々で抱いている最も熱いもの、大切なもの、それを委ねて受け取るコミュニケーションもある。
それは想像力の隙間を空けておくことでもあるし、偶然の幸運、セレンディピティに出会うことでもある。
セレンディピティのための空白を用意する。
小林秀雄さんのやり方は素敵だと思う。
とりあえずこうやってメモしておきます。
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