代表的な「お守り本」
note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。
世の中には、「お守り本」というジャンルがあると思う。
読むかどうかにかかわらず、持っているだけでご利益がある本である。
批評家の小林秀雄が、代表作の『本居宣長』を刊行した際、講演で聴衆に向かって、「買ってくれさえすれば、読まなくてもいいんです」と言って笑わせている。
冗談のようだが、案外本質を衝いている。ある種の本(特に古典)は、読まなくても、手元にあって、常に意識の片隅にあるということで脳は滋養をもらっている。
なによりも、世界にはそのようなものがあって、いつかは読まなくてはいけないんだけれども、自分はまだそれをしていないという「飢餓感」のようなものを生んでくれるだろう。
もちろんデジタル情報でも良さそうなものだが、紙の本の方が「身体化」されている点において効果が高い。
代表的な「お守り本」としては、トルストイの『戦争と平和』や、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』があるだろう。
これらの本は、たとえ読まなくても、手元に置いておくだけで、それだけのご利益があるのである。
とりあえずこうやってメモしておきます。
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