梅原猛先生に教わった、本当に素敵で大切なレッスン


note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。


梅原猛さんが亡くなって、ほんとうに悲しい。

ときどき、梅原さんはどうされているかな、どんなことを考えていらっしゃるかなと思い出すそんな存在だった。

再びお目にかかってお話を伺いたいと折にふれ思っていたけれども、もはやかなわない。

梅原先生、ほんとうにありがとうございました。

心からご冥福をお祈りいたします。

梅原先生にお目にかかって忘れられないのが、大学院生のときに結婚されて、そのときは自分で稼げないので、奥様に「食わせて」もらっていた時のこと。

梅原先生は、当時、自分でやる「野球ゲーム」に熱中されていた。
サイコロだか、鉛筆だかを転がして、その結果でヒットとかホームランとか三振とか決める。
それで、チームをつくって、リーグ戦を組んで、それで試合をやって年間130試合かなんかの熱い戦いをシミュレーションしていたというのだ。

その試合の結果の記録が、大学ノートにいっぱいになって何冊も書いたという。

ある時、奥様にそれが見つかって、あなたは、私に食べさせてもらって大学院生をやっているのに、こんなことをやってらしてどういうこと、と呆れられ、問い詰められたのだという。

私は、この話を、本当に素敵なこととして聞いた。

空想の世界、自分のつくった世界にそれだけ没入できること、熱中できることが梅原先生の本当にすぐれた性質だった。

後に、梅原先生は歴史学や思想の世界で大きな仕事を成し遂げられて大学者になられたが、大学院生時代のこのエピソードは、本当に大切なことである。

つまり、世間から見れば価値がない、意味がないことのように思えても、自分で工夫し、想像し、価値基準を決めてそれに没入、熱中できる人は、それだけで何かを成し遂げる素質があるということ。

もし、周りのお子さんや、思春期の方が、あるいはいい大人が、同じように自分でつくった何かの世界に熱中していたら、それを意味がないことと否定したり決めつけたりしないで、その没頭こそが意味があることなのだと温かく見守っていただきたい。

ハーバードなどのアイビーリーグの入試担当者は、自分でルールを決めてスポーツでもゲームでも一人でやって、長年に渡ってその向上を図っていくような人はぜひ取りたいと思うそうです。

梅原先生、本当に素敵でした。

上の話を私に下さったときの、いたずらっ子のような笑顔が忘れられません。

いつもは「とりあえずこうやってメモしておきます」と書いて締めるところですが、今日は、「梅原先生の教え、決して忘れません」と書いて、本稿を終えたいと思います。

梅原先生、改めて、ありがとうございました。
ゆっくりとおやすみくださいますよう。
天国で、心おきなく、ご自身の好きなことに熱中されてください。


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