「非ネイティヴの英語>>>ネイティヴの英語」という逆転の価値観


 最近、いろいろな国、地域の方と会話するときに、どうしても英語を使う。
 なにしろ世界には本来数千の言語があって、それをすべて知ることができないので、共通言語として英語を使う。

 そんなときに感じるのは、母語が英語じゃない人が一生懸命に話す英語って、素敵だなということだ。

 だって、そこには人生の元手がかかっているというか、努力と汗の結晶があるからだ。

 一方、ネイティヴの人が話す英語はきれいで心地よいが、ネイティヴじゃない人が話す一生懸命の英語ほどの付加価値が感じられない。

 その人たちにとって、英語喋れるの当たり前だろう、という感じがどうしても生まれるからだ。

 私は英国に留学していた経験もあって、いわゆるオックスブリッジの英語がいちばん自然に聞こえる。
 昨日のゴールデングローブ賞の授賞式を見ていても思ったことだけれども、アメリカの英語は「なまって」聞こえる。

 それでも、英国やアメリカのネイティヴが話している英語は、やっぱり自由闊達でいいし、自分が話す時の一つの目標になることは確かだ。

 一方、英語のネイティヴじゃない人が話す英語は、別の意味で素敵に感じるし、目標になる。

 大切なのは、伝えたいと思っているその内容と、情熱であって、ネイティヴのように話すことにはそれほどの価値がないと思うのである。
 もちろん、英語圏のテレビや映画などで活躍しようと思ったら、それなりに英語の発音を整えた方がベターだろうけれども。

 世間では、

 ネイティヴの英語>>>非ネイティヴの英語

 という思い込みが強いけれども、そこに注がれた情熱と努力という視点から見たら、

 非ネイティヴの英語>>>ネイティヴの英語

という見方もあると思う。
 私自身も何回か(被害者として)経験したことだけれども、日本人はお互いの英語をネイティヴと比べて(自分たちがネイティヴでもないのに)少しのミスや訛りをとらえてバカにしたりする傾向がある。

 それもあって英語をしゃべることに消極的になっているとしたら、本当にもったいない。

 むしろ、「非ネイティヴの英語>>>ネイティヴの英語」という逆転の価値観を身に着けて、積極的にしゃべるようになれば、ずいぶんと風通しがよくなるし、日本も良い方向に変わっていくと思うのである。

 確認ですけど、以上のように考えたら、ネイティヴじゃない人が話すヘタクソな英語、価値があるよね。

 そうじゃないですか?

 一番大切なのは、何を伝えるか、という話の中身であるし。

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脳科学者。作家。ブロードキャスター。