5月のはなし。
2013年5月の事。
自分が勤めているFM局で、一度東日本大震災の地を訪れたいと話し合った。
2011年3月11日。
自分は、番組の新企画の為にフィットネスジムにて運動をしていた。
14時46分。
運動を終えてシャワーを浴びようと着替えていたらあの揺れが来た。
小さなFMラジオ局とはいえ、災害が発生すると緊急放送をしないといけないわけで、慌てて局に電話をかけて、「今すぐ戻ります」と伝えた。
最中にラジオやケータイのワンセグから流れてくるのは、東北に津波が到達した話。そしてあの映像だった。
あれから2年。(2013年当時)
1年後の被災地の様子はテレビや、うちの局の社長の出張報告から見聞きはしていた。
でも、自分の目であれを実際に見て体験してみないと、しゃべり手として想いは伝えられないと思った。
そして、2年が経過した今、復旧(2年が経った時点でも復興といえる状態ではないと現地の人から聞いていた。)する前の姿を目に焼き付けるには今しかないと。
そこからはトントンと話が進んで、東北出張の話が決まって…。
山元町、亘理町、女川町、南三陸、陸前高田と海岸線を回っていった。
冒頭の写真は陸前高田の道路。
このノートを書こうと思った体験のその場の写真は実は残っていない。
ただ、そこに生活があったんだって。
自分はそこに踏み込んでしまったと思った事があった。
道路を走っていたら、そこに「線路」があった。
その周りは瓦礫もあったけど、全て流されてしまっただだっ広い土地。
そこに、すれ違った車が一台。
その車は、「線路」だった場所の手前で一時停止をした。
そう、何も無くなってしまった踏切の、線路の手前で。
自分はその線路を普通に通過してしまった。
地元の人たちにとって、そこは今まで生活していた場所で、何も変わらない踏切だったわけだ。
一時停止して去って行ったその車を見送り、胸が痛んだ。
やっぱり、その場に行って経験しないと伝えられない事はいっぱいある。
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