背負って戦うことの意味

ワールドカップのアメリカ戦を見ていて気が付いたことで観客席にアメリカから応援に来ている人たちが物凄く多いということがある。その多くが女子サッカーの関係者そして家族だと言う。アメリカの女子サッカー選手は比較的裕福な良家の女子が多いというデータを裏付けるし、自分たちの代表に対する気持ちや熱の入り方も凄い。そして代表選手はその人たちの思いを背負ってピッチで戦う。

長谷川唯選手はワールドカップを楽しみたいと言った、それ自体はいいと思う。だが所詮自分の話だ。大勢の気持ちを背負って戦う選手とは差がある。もちろん日本の代表選手が他の人の気持ちを背負って戦っていないわけではない。だがやっぱりこの様な風景を見せられると差があると感じざるを得ない。

2011年のワールドカップではなでしこ達は東日本大震災の被災地の思いを背負って戦った。それが優勝を手繰り寄せた。アメリカのゴールキーパーだったホープソロ選手が語っていたが、何か大きなものが日本選手を後押ししていたという。今回はラピノ選手がトランプ大統領と舌戦を繰り広げつつサッカー以上のもののために戦った。

 私達はフィジカルがとか技術がとかそういうところばかりに目が行きがちだが、代表チームの戦いを通じて社会の背景にあるものが見え隠れすることがある。だから、たかがワールドカップされどワールドカップなんだと思う。

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