disillusion

なんでこんなことで情緒が乱れるんだろうな…。
頭痛で視界が揺れる中、うっかり乗ってしまったグリーン車750円の座席を少し倒し気持ちを落ち着かせてイヤホンを耳につける。

「へー、H君もバンドやってたんだ。どんなのが好きなの?」
会社の飲み会で、2つ下の部下とひょんなことからバンドの話になった。会社の中で私がバンドをやっていることを知っている人は1人しかいない(その人物の夫がサークルの同期という奇跡が起きてしまったため)。「学生時代はバンドをやっていた」という体でやってきた。
虚実を織り交ぜ、うっかり口が滑らないようにH君と話をしていく。世代が近いせいか、懐かしいバンドの名前がいくつも挙がった。手札を慎重に切るのも面倒になり、タガが緩むのにつれ話も盛り上がる。
「最近どんなバンド聴いてるの?ライブとか行く?」
上司からの質問に(多分わかんなくて変な空気になるだろうな…)といった表情でH君は答えたが驚いた。わりと自身の近しいバンドの名前が挙がってしまった。酔いが急激に醒めていく。しまった、バレるかも知れない。
「自分もライブ観たことあるよ。あのアルバム…名盤だよな」
「まじっすか!会社で初めてこのバンド好きな人に会いました!」
普段大人しいH君が上気した顔で前のめりになる。とりあえず国を変えよう。ウィーザーとか、レディへとか、そこら辺で“置き”にいこう。

かくして最終防衛ラインは何とか死守した。もうちょっと売れてたらバレてたかもしれないと思うと若干複雑な気がしなくもない。
「あの…」
何千回通っただろうか、あと何千回通るのだろうか、烏森の改札…。そして個に戻ろうとエレベーターに向かう途中、声をかけられた。真っ赤な顔をしたH君が立っていた。
「さっきの話、自分がバンドやってたって、あれ、過去形じゃなくて…実は今もやってるんです」
「そっか。続けてるんだ。バンド名は訊いても差し支えないかな?聴いてみるよ」
「ありがとうございます。えっと…」
H君からバンド名を教えてもらった。かくいう自分はコソコソと何だか卑怯な気がした。H君もまた、ペルソナをかぶり淡々と仕事をこなしながら、週末、ディストーションを踏んでいる。現実に折り合いをつけながら、バンドを続けている。
「私と、似ているかもね」
「え…?何がですか?」
「いや、何でもない」

イヤホンから流れてきたイントロ、メロディー、歌声。どれもオーソドックスだった。悪くない、けど、見知らぬ人として対バンしたら数曲でフロアから出て行ってしまうかもしれない。H君が書いているらしい歌詞は、反芻してみると良いものだった。なんだこの感想は。
彼は、どんな気持ちでバンドを続けているのだろう。彼のメンバーはどんな人生を歩んで、どんな会話をスタジオでするのだろう。
彼は、なんで私にバンドのことを伝えたのだろう。
車窓に映る夜景ととりとめのない疑問がマーブル模様を描いた。

なぁ、私が会社を辞めるか、君が会社を辞める時、「過去形じゃなくて、今もやってるんだ」と伝えたら…伝えるとする。そしたらあの日の意味不明に思えた改札での私のセリフを理解してくれるかもしれない。そもそも、みんなそれほど他人には興味がなくて、このペルソナも、それほど意味はないのかも知れない(流石にかつて度々やってきた“妙な休み”や“謎の体調不良による早退”の裏を取る暇人もいないだろう)。

いつの間にか眠りに落ちていて、目が覚めると最寄り駅をとうに過ぎていた。ちなみに帰りの電車で寝過ごすと一番ヤバいと伊東までもってかれる(いっそもっていってくれ)。

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