人形の家

特に後先も考えずに移住してから早10ヵ月、漸く以前の家の処分が決まった。「いやぁ、不動産屋向いてないですわ」(自身は不動産屋ではないけど)知り合いの業者にボヤキながら安堵と脱力と共に契約書をなぞる。後は何事もなく決済してくれと祈りを込めて印鑑を捺した。リリースを控えているLPのプレス代は何とか捻出できそうだ。名盤になる気しかしない。

「ホントにね、バンドと野球だけで暮らしていきたいですよ」野球を観た後、トリプルファイヤーの大垣さんらと安酒を煽りながらお互いの贔屓の暗黒時代を振り返っていたら終電の時間を過ぎていた。さすがに終電が早い。以前は別に気にしたこともなかったのに。

ボヤけた頭で考えを巡らせ、もうインフラも止めてしまった旧宅で夜露をしのぐことにした。

真っ暗な部屋のカーテン越しに僅かに隣のマンションからの灯りが入ってくる。マイナースレットよろしく体育座りをして目を閉じた。8年、という長いのか短いのかわからない時間を過ごした家。もうここに来ることはないのだ。それに、もう二度とこの辺りには住めないだろう。

私は、東京を、離れた。

寂寞感はない。特に未練もないと思ったが、今年数年ぶりに家の真ん前で開かれる祭、それが人生からなくなることが少しだけ寂しい気がした。

遠い太鼓が聞こえる。違った。アルコールで速くなった心臓の鼓動だった。

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