So young

C-PAP治療を転院することになり家から3分の病院に行ったが待たされること1時間…ライブの入り時間は刻一刻と迫っていた。

新しい医者は「これからは3ヶ月に1回でいいですよ。若い人の貴重な時間を奪いたくないんでね」と言っててカッコよかったがまずさっきの1時間を返して欲しかった。

SHIN-ONSAIというイベントに出た。小ホールと言えどキャパは広く、オウガとほぼ被りでガラガラだったらどうしようと思ったがたくさんの人が観てくれた。やれることはやった…と思う。

小ホールに出ていたバンドは一回りほど私よりも若かった。学友らしき人と喫煙所で「この後飲みに行こうぜ」なんて話していてその若さに目が眩んだ。

そんな時代があっただろうか。

自分が20歳くらいの時は中華街の近くの客5人くらいのライブハウスで自分の下手さと人生のどん詰まりぶりにイライラしながら楽器をぶん投げていた。ライブ後当時のメンバーと「これからどうしよう」なんて途方に暮れながら機材を大学の部室に置きに行って、聴こえてくるDJサークルの爆音の宴を尻目にチャリで家に帰って音楽を聴いて寝ていた。

今日出会った若者のような光景も、時代も、なかった。

イベントのトリのtoeはとんでもなく素晴らしかった。横浜メロコア界隈を高校生の頃熱心に聴いていたので柏倉さんのドラムと美濃さんのギターを生で堪能して感激した。

大学に入って「バンドやるぞ!」と意気揚々と門を叩いたものの、数ヵ月で体育会系のノリとメタル至上主義の文化が合わず辞めてしまった軽音サークル。

「今度の学祭、○○さん(名うてとされていたドラマー)toeやるってよ!」

かしこそうな立ち振る舞い、口数は少ない、ハットをかぶって、通常セットでなく何故か下手にドラムを配置、ワンタム、これみよがしなフィル…何もかもが洒落臭かった。「無個性エピゴーネンめ、オリジナルやれよ」自分は下手過ぎてそもそもコピバンが出来なかったのだがそんなことは棚に上げて、先輩のポストロックコピバンをつまらなそうに見ていた(15年~20年くらい前の大学の軽音学部の風景としてあるあるじゃないかと勝手に思っている)。

本物を聴き終えた後、そんな昔の話を思い出した。

その後軽音楽部を辞め、ジャンクで道を逸れまくったオリジナル曲をやるサークルに籍を移したが、あの学祭で「先輩うめ~!自分も目指します!」とその文化に阿諛追従していたら、今頃バンドはやっていなかったと思う。それが正解か不正解かは知らないが、今やっているバンドはもっとカッコよくなるという確信がある。

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