Israel's son

秋から試験がポツポツあり、受かったり受からなかったり。大学時代とは言わないが20代の頃にもうちょっと勉強しておけばという気持ちはあるが、いくらでも思いつくそれらしい言い訳で何とか合格者一覧に載っていない自身の受験番号のことを頭の片隅に追いやる。ライブを詰め込みすぎたとか、体調を崩していた。だなんて。さもしい。

ここ数年、バランスをとろうとしてバランスを崩している。「まとも」を一顧だにすらせずに解き放たれた人たちに強い憧憬を抱いているくせに、普通になろうと歪な矯正をしている。その摩擦が良くないのだろう。さもしい。

バンドに時折海外からDMやメッセージが届く。

“vinylを買えないか”

サブスクで気に入ってくれたのだろうか。本当にありがたいことだけど、なかなか需給がマッチしないというか…適切な値段で手に入れてもらうことが難しいというか…。

Bandcampに届いたメッセージを数日放置していた。リーディングならまだかろうじて理解できる。ポツポツとメッセージを返す。すぐに返事が来た。

彼の住んでいる場所はイスラエルのとある都市だった。―サジェストに銃乱射事件が出てくる―

一体どうやって届けるのだろう。そもそも彼はどうやってこのレコードを知ったのだろう。どんなときにレコードを聴くのだろう。そもそも彼の住む場所はレコードを安全に聴くことができる環境なのだろうか。とりとめのない思いが頭に浮かんでは消えた。

そういえば、梨の礫ではあったが学生時代、デモテープをサブポップやラフトレードに送ったことがあった。数ヶ月後に、いや、スティーブシェリーの高邁なインディースピリットになら引っかかるはずだ!なんてまた送ったり。結局何も起こらなかったが。

何かあるんじゃないか。誰かの血を沸騰させているかもしれない。誰かの日々をちょっとだけマシにしているかもしれない。それが無根拠な希望的観測だったとしても、淀みのような日常をやりくりするためのよすがになったりもする。そう考えると世界中誰でも聴くことができる、ただそれだけでも十分すぎるのかもしれない。六畳間で頭を抱えていた15年前の自分からしたら。

タイトルはオーストラリアのニルヴァーナことsilverchairの曲より。今聴き返すとpearl jamめいた土っぽさがある気がする。にしてもリリース当時15歳!生まれ変わったらアンファンテリブルと恐れられ、そしてスポイルされたい。

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