ホテルカリフォルニア/2番サード飯村

仕事で久しぶりに立ち寄った黄金町。心臓がキュッと軋むような感覚がした。あの冬、私はモラトリアムの最後の残滓を切り売りしていた。周りは卒業旅行などで浮ついた空気を醸し出す中、最後のマクロ経済の単位が怪しかったのと、気合がひたすら空回りした卒論に四苦八苦していたこともあり、カタルシスのない日々を過ごしていた。

以前の記事にも書いた、福富町の治安が非常に芳しくなかったビジネスホテルのバイト、ふと思い出した記憶の塵芥を、それでも何となく書き残して置こうと思った。


バイトを始めて最初の夜、支配人は80に手が届きそうな小柄な老人だった。どう人生を流転したら80近くでビジネスホテルの不規則な就労形態を受け容れて働くのだろうか。ただ、ありがたいことに全てが適当だった。

「おたくは20時にタイムカードを押すとね、やることないから。ご飯食べて来ていいよ。21時に戻ってきてね。寂しいから」

そう告げられたので言われるがままにブックオフと日髙屋に行き、ホテルに戻り、客そっちのけで、支配人のおしゃべりに付き合っていた。

22時になり、見回りの時間になった。支配人は私を連れ、掃除の仕方を簡単に教えたあと、空いている客室に入った。

「普通のホテルだよね。特に何もない。で、これが…」そういうと支配人は何故かペイチャンネルを付けた。画面から男女の嬌声が聞こえてくる。どういう人生を流転したら80近い老人とペイチャンネルを鑑賞することになるのか。

「わかるよね。エッチ」

ああ、そういう呼称なのか。と「老人と性」に触れる機会のなかった私は妙に感心した。老人と性…ちょっとヘミングウェイっぽいし。

見回りを終えるとフロントに「不在」の札をかけ、支配人は長い人生を語り出した。私が野球が好きと知ると本当に嬉しそうに自身の青春を振り返った。

「大沢の親分と甲子園に出た」「中西太のサードライナーマジでヤバかった」などと当時で既に60年前の出来事を昨日のことのようにノンストップで喋り続けた。流石に甲子園に出たからモテたのに、野球一筋で純朴だったから、正直もったいないことをしたと話していた。そこからは妙に色恋沙汰や「やれたかも委員会」みたいなエピソードが多く、やや反応に困った。途中客が来るとめんどくさそうにフロントに出て中断したが、気づいた時には夜中の3時を回っていた。

「ちょっとおしゃべりが過ぎたな。仮眠の時間だ」

肝心のフロント業務をほとんど教えてもらってないのにこれからワンオペかよと思ったら私の仮眠時間らしい。支配人、タフ過ぎる。

朝の7時頃目覚め、フロントに向かうと支配人は寝ていた。自由過ぎる。8時になり帰ろうとすると最後に支配人は私に言った。

「あのさ、色んな話したけど、男女って結局分かり合えないんだよな」

本当に何だったんだろう。帰り道、検索をすると支配人が本当に甲子園に出ていたしヒットも打っていたことがわかった。その後の60年の流転を経て、暗黒街のホテルに身をやつしていると考えると、何とも言えない曇天の様な気持ちにもなった。


その後数回支配人と一緒のシフトになったが、「最初で仕事も人生も全部話しちゃったな」と大した話をすることなく、すぐに支配人は勇退(ということにしている)した。それ以外にも治安の悪さに起因する愉快でスリリングな話はたくさんあるが、またの機会に書くかも知れない。

とある高校球児の青春と蹉跌を、長い人生を、残された2つの金言を。私は忘れない。

「中西のサードライナーはヤバい」「男女は分かり合えない」

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