「 行動をルーチンワーク化すると悩みは減る」

龍谷大学保健管理センター 須賀英道

最近のテレビでは、健康長寿生活を送っている人がよく紹介される。人生100年と言われて久しいが、90歳以上の超高齢者がここまで元気に過ごせているのはどういう生活をしているからなのか。テレビ局の製作者視点の大半は、食事と運動である。例えば、食事については、超高齢者がどんな食事を日々食べているかを紹介し、間接的に高血圧や糖尿病、骨粗鬆症、筋力低下、認知症予防などに効果のある食事について紹介している。さらに、視点は何を食べているかである。何を食べていたら100歳まで生きられるのかというのが最も素朴な疑問だからであろう。視聴者は、健康に関する情報番組でいつも紹介されているメニュー、例えば、青魚や野菜、玄米、食物繊維の多いもの、腸内細菌にいいものなどを、超高齢者の方が食べているのを再確認し、やっぱり超高齢者の方はこんなに健康に良いものを食べているのだという結論に至る。運動に関しても同様で、簡単な体操を毎日取り入れているとか、ランニングを続けているとか、ジムに行っているとか、100歳にもなってこんな事もやっているのだといった驚きを入れることで、食事や運動への関心を高めているのである。

高齢者でなく、一般の人を対象にした番組でも、視点は同じである。健康にいい食事や運動とは○○だという結論がどの番組にもある。〇〇を食べて、△△の体操をしていたら健康で長寿となれるという短絡な情報が提供されていく。

こうした製作者の意図は短絡的でも、超高齢者の紹介される番組を見ているとある共通点に気づく。それは番組の意図とする食事や運動の内容ではない。超高齢者が毎日程々に忙しい生活を送っているということである。

96歳まで毎日おかずを作り販売する女性や、自給自足の畑仕事を100歳まで続ける夫婦、絵や文章を書き続けている人など、多くの人が毎日何らかの作業を続けている。このことは、日々過ぎる時間に目標を設定して生活していること、短期目標設定といえる。さらに共通する点は、こうした人達が食事は自分で賄っていることである。その日に食べるものの食材をその日に仕入れるのが原則かもしれない。僻地での生活など立地条件で異なるかもしれないが、食事を自分で準備するのは共通しているだろう。一連の課題を毎日欠かさず実行していること、このことが健康長寿に最も良いと言えるのである。

何もしない時間が増えると、あらゆる機能が低下していく。その最たるものが認知症である。日々、何らかの刺激が常にあること、何らかのストレスがあることのほうが、大脳活性化に重要である。過ごしやすい快適?な時間・空間の中で、刺激もなく「ぼー」と過ごしていることは、ストレスのない心身に最善な環境だと思われるようだが、時間が経つと結果は大きく異なるであろう。ストレスレスな環境の方が、認知症になりやすく、早死もありうる。毎日、何か取り組む課題があり、この課題が多くの人との絆となっていることが必要である。こうした日々の移り変わりと共に生きていくことが長寿に通じるのである。

前例に出した高齢者も、自分の食べるものは自分で供給するだろう。その日に食べるものを買うために、近所の店に歩いて出かける。ここには、ウォーキングによる骨刺激があり、認知症予防効果が指摘されている。近所の小型スーパーなどでは、近所の人との挨拶があり、会話も生じ、笑顔となる。挨拶には、季節感からの言葉もあり、近所や社会の近況や行事、家族関連など話題は多い。こうした会話や笑顔による前頭葉の活性化が大きいこともfMRIで示されている。さらに、店での買い物においても、今日のメニューを何にするかである。昨日、一昨日の朝、昼、夕と何を食べたか記憶想起し、今日のメニューに変化をつけたり、どれだけの量をいくら以内の値段で買うかを考えたり、冷蔵庫に残っている食材を意識しながら何が足りずに何を追加するかを考えることは、かなり前頭機能が活性化されるだろう。そして、レジでの計算である。現金では提示された金額(例えば、1856円とすると)を小銭の入った財布の中から取り出し精算するが、この時も単純に千円札2枚を払っても、もらったお釣りが合っているか再確認している。また、千円札2枚と50円玉、5円玉、1円玉を払い、100円玉2枚を貰う方法もあるだろう。現金精算では買い物ごとに簡易計算をしており、これが結構刺激となるのである。最近は、小売業界においてキャッシュレスを進める動きがある。日本が中韓に比してかなり遅れていると嘆く声によるが、現金の買い物が果たして遅れた社会現象なのか。認知症の増加する社会において、現金買い物がデメリットでしかないというのは視野が狭すぎる。

次に、自宅での食事の準備である。適量の品数を揃え、メニューを決め、料理に取り掛かる。

食材の洗いから、下準備、熱を加え、料理の完成。その後は、皿に料理を盛り、食卓に盛り合わせる。食卓に着いて、「いただきます」と箸をとり、様々な料理を味わい、最後の一品を口にし、「ごちそうさま」といって食事を終える。食後は食器を洗い、キッチンをきれいに戻して終了となる。食事を摂るのはこうした一連の流れのごく一部であろう。こうした料理の流れには、料理の完成、「ごちそうさま」といって食事を終えること、食器を洗い終えることといった中間到達点があり、ものづくりの達成感や美味しいものが食べられたという満足感、食器を洗い終えたという終了感という、それぞれに異なる感覚の達成感が生まれる。こうした料理による達成感からの気分向上効果が大きいのである。

このように自分の食事に関する日常生活の単純な行為の中に、いかに多くのメンタルヘルス効果があるかということに気づくであろう。その日の食事を近くの店に毎日買いに行くことは、一見すると不便と映るかもしれない。しかし、認知症の予防視点でとらえると、その一連の行為の認知症予防効果は大きいといえる。

何もしない時間が増えると、あらゆる機能が低下するのは、高齢者に限られたことでもない。

長期休みでメンタル不調となる学生である。夏休み明けや春休み明けで調子を崩している学生がいかに多いことか。これは、休み中に生活リズムを崩し、短期目標設定での生活ができなくなっているからである。朝起きても何もすることがない。食事にも興味・関心がわかない。目が覚めたら、スマホでゲームやネット動画を見るくらいで、やることがない。こうした生活が続くと、モチベーションは低下し、外出せず、全く何もしない生活となる。食欲もなくなり、寝る時間がばらばらとなり、夜間は眠れない。こうした時間帯には、さまざまなネガティブなことが想起される。想起されるネガティブなことは、自分の関わった状況での対人関係の中での自己評価からが多い。いわゆる「悩みごと」で、たいていは自己過小評価で気分は落ち込み、うつ状態に陥るのである。

休み明けでも、調子を崩していない学生に共通しているのは、彼らが休み中にバイトなり、サークル活動なり、授業出席以外の課題を自分で設定していることである。つまり、毎日何らかの取り組む課題があり、その課題を継続していることで、日々の気分とモチベーションが保たれている。モチベーションをさらに数段階向上させるには自己肯定評価が必要である。自分の取り組んだ課題について、「今日は結構できたぞ」というふりかえりである。課題に関してうまくいかなかった面に目を向け、問題を探し出す自己反省をしていると自責的になりがちで、気分も上がらない。自己肯定評価ができるようになるとモチベーションは上がり、行動変容につながる。

しかし、そこまでのモチベーション向上に至らなくても、少しずつ行動を増やす手法もある。

1日のルーチンワークの設定である。ルーチンワークを行っている間は、ややこしいことを考えることもないままに、次から次へとステップが進む。この最もいい例が、朝の目覚め後から外出に至るまでのワークである。例えば、7時起床、8時半に職場に到着とする。7時に目覚まし時計が鳴り、まだ半覚醒であっても、布団から出て、トイレ、洗顔、着替えと進めるうちに徐々に、目が覚めてくる。テレビのニュースを横目で見ながらパンとヨーグルトを食べ、7時45分には玄関を出る。15分間歩き、バスと地下鉄に乗り、10分歩いて職場に到着。この一連の行為がルーチンワーク的に意識されて行動すると、特にネガティブ感情に陥ることなく職場到着という目標に到達できる。朝起きて、何かしんどくて動く気がしないという主観的感情があっても、ルーチンワーク的に行動が進めば、意外にスムーズに次のステップに移れるのである。このワークを休日にも用いると、平日と同じように動ける。休日で何もすることがないからといって、ダラダラしていると、昼過ぎになっても何も食べる気にならず、布団の中でスマホをいじっているだけで、しんどくて動けないことになる。

ゴールデンウィークや夏休みなども同様で、毎日の過ごし方は大切である。仕事など作業をしていることは身体、精神にある程度の負荷はかかる。人との関わりも煩わしさがあっても適度な刺激から脳が活性化される。しかし、こうした負荷が何もない状況では、モチベーションが下がり、何もない時間にさまざまなネガティブなことが想起される。ルーチンワークはその予防でもあり、うつや認知症の予防といえるのである。

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