「 二百十日の病院玄関ホール」

龍谷大学保健管理センター 須賀英道

二百十日とはよく言ったものである。立春から二百十日目に当たる時季は、昔から吹き荒れるとされた。夏目漱石の小説にもある。9月1日の防災の日もそれが所以とは知らないが意を得ている。今年もその頃に関東圏では台風が吹き荒れ、千葉県ではその後大変な被害にあっている。皆さんのご様子はいかがであっただろうか?私が二百十日なる日を痛感したのは、去年の台風21号であった。

去年の9月4日のことである。私はその日は大阪の病院の診療に行った。既に暴風警報も発令されており、休むこともできたかもしれないが、これまでの経験では暴風警報で休んだことは一度もない。理由は1つ。病院が休診とならないからで、患者さんは必ず何人か来ている。こんな日は休んでも良さそうなのだが、精神科の再診患者さんは必ず誰か来ているのである。学会など自分の勝手で事前に休診にすることはあっても、暴風警報の下で休診としないのは皮肉なものである。

その日の患者さんも結構多く、台風に関する話題を話す人や全く無関心な人までいろいろである。確かに薬が切れると不自由となるので、無理をしてでも薬の処方を求めて訪れる人はいる。その日も午後診であり、雨風に晒されてびしょ濡れになって来られた方もいた。ちょうどその時間の大阪は、台風が最も近づいている状態で、窓から見える様子は凄まじかった。街路樹が吹き乱れ、空中には小枝やプラスチックのゴミ、ビニール袋など様々な小片が物凄く飛び散っている。時々窓にも小片が吹き付けられ、ゴツンゴツンと音がする。そんな外の様子の中で、診察室でびしょ濡れの患者さんと面談するのだが、着席までの「病院に来るまでが大変でした」という一言の前置きを過ぎると、話題は全くそれとは無関係の近況状況の話が続く。患者さん側からは、窓から見える凄まじい光景が目に入るのだが、それとは無縁に話が進む。こうした状況を体験すると、自分がただ患者さんとお話をしているのではなく、今のこの時間は精神療法をしているという実感が生まれるのである。

こうした視点で見ていると面白い。患者さんの中には、窓を見て「すごいですね。こんなに木が揺れているのは何年ぶりか。宙にいっぱいゴミが舞ってる。わー。大きいトタンがあそこにぶつかった。、、、、」など、自分の近況以外の話題に終止する人もいる。こうした人では、既に精神科的にはリカバリーレベルであって、習慣性に診察に来ているのだということがわかる。だったら、こんな日には来なくてもと思うのだが、再診の予約日が決まっていると結構遵守される人が多い。また、リカバリー状態であれば、診療を打ち切ればいいのだと言うと、そこまではいかない。

10年単位で見ている人には、診療所に訪れ、主治医と少しでも話しをすることが、その人にとって安定状態を保つ最大効果でもある。

一方、窓から見える壮絶な光景とは無縁にひたすら自分のことを話す人は、まだ安定状態にはなっていないとも言える。台風への心配や好奇心よりも自分の抱える心の問題の方が、現時点での気になることとしての優先順位が高いのである。

ただその日はさすがにキャンセルも少なくなかった。後日に理由を聞くと、すべての交通機関が止まっており、それで病院に来れなかったという。では、その日に来た患者さんが、診察後に皆がスムーズに自宅に帰れたかというと、そうではなかったようである。病院からすぐにタクシーを呼んで帰った人はよかったようであるが、地下鉄で梅田などメインの駅に移動した人は大変な目にあったらしい。梅田でタクシーに乗ろうにも、大行列ができていて乗れない。結局、帰宅できたのは深夜だったという。

そうした大変な経験をしたことを次の診察の時に話してくれる。いつもなら、「変わりありません。困ったことありません。」などと、1分以内で済んでしまう面談が、結構長く10分以上もご自分の体験を話される。こちらもその状況に共感して「それは大変でしたね。そんなご経験は初めてでしょうね。」と、極めて異常な体験をしたことに頷くと、やや安心される。そして、決め手は「私もその日は自宅に帰れず、結局大阪に泊まることになってしまったのです。」と言うと、患者さんも「先生もそうだったのですか。」と、やや満足げな表情を見せて面談は終了となるのである。

昨年の9月4日は、交通機関が早めに止まり、私も大阪で足止めを食らった。午後診が終わったのは15時で、さすがにその時の外の状況は最悪であった。病院の職員も玄関から出ようとする人たちに、もう少し院内にと留まるように声をかけていた。中には強引に出ていく人もいる。その際にドアが開くのだが、「ビューン」という物凄い音とともに、院内に風も吹き込んでくる。受付などの紙類が一気に宙を舞い、脇にいた職員も慌てて舞う紙を取りに走る。

私は診療終了後には、当初より諦めて、院内の喫茶の中でこうした状況を見ていた。病院の職員は結構気楽なのか、こうした普段にない状況に笑顔が見られる。おそらく帰宅時間には、ある程度この嵐も収まることが予想されるためなのか。自分たちの帰宅の交通機関などに影響が出ていれば、帰宅の状況に気が気でもないが、そうした不安げな人があまり見当たらない。

それも頷けるのは、朝から通勤に影響が出る人は初めから欠勤となっているようである。実際、精神科の外来の職員もいつものメンバーがおらず、臨時の人が1人で対応し、看護の方もいなかった。

私が目にした職員は、玄関の近くにいる人たちで、タクシーを呼ぶ人や、総合受付、会計、患者さんの案内人などで、そこでは玄関のドアから壮絶な外の光景の変化が常に目に入る。そこでは、時々患者さんたちと職員が「うおー」とか「わー」とか、大きな声で合唱される。かなり大きなトタン板が吹き飛んでいるのが見えたためであろう。折れた木枝が何十本も吹き飛び、道路上は枝や葉、プラスチックゴミ、ビニール袋などで覆われており、それらも突風と共に舞い上がる。

少し前までは、強引に病院を徒歩で出る人を、職員が認めていたようであるが、ある人がドアから一歩踏み出して、傘をさそうとした際に、傘が一気に吹き飛んでしまった様子を目撃したあとには、すべての人を止めるように方針が変わったようであった。

病院の一階ロビーには、待合の椅子もあり、眼前に大きな画面でテレビも映っている。民放番組が映っていたようであるが、誰も見ていない。そこにいる人々の視線は皆玄関ドアに向いている。テレビを前にして、皆が左方向の吹き荒れる玄関状況を見ているのである。喫茶にいる自分もその一人で、職員や患者さんと同じように玄関を見ていることを思えば自分も同族である。タクシーが来て、それに誰か乗ろうとする際に玄関ドアが開く。この時ロビー内が吹き乱れる。風の轟音ともに、風が吹き抜け、会計や受付の紙類が乱舞するのである。それを追い求める人たちの様子が何とも滑稽である。

こうした状況の中で、その場にいる人たちの表情にあまり深刻さは見られない。何か異様な状況を珍しがっているような、ワクワクするような表情である。外に出ようとする人を止める仕草も声も普段より大きく、「こんな状態で外に出るのは止めときなはれ。傘も吹き飛んでってしまうでー。」と、その場の最強の仕切り役となって指示している。患者さんたちも、その状況を職員や他の患者さんと頷きあって、「大変なことになりましたなあ」と共感し合う。「大変だ、大変だ」と騒いでいる割には、深刻さはあまり見られず、好奇心が優位にある感じである。

喫茶にいる人も、私のように時間が経つのを待っているようである。スマホを見ているようで、外の様子が気が気でない。視線がスマホに向いたり、玄関に向いたり、まわりの人に向いたりと、首が頻回に動くのである。こうした人が大勢いて、皆が同じような首の動きをしているのを見ると、これも滑稽になる。

時間が過ぎれば、状況は変わる。17時を過ぎると、外の木の揺れの状況が穏やかになってきた。既に30分ほど前から、院内から出ていく人々がいる。喫茶にいる人も、一人立ち、二人立ちと、減っていく。それぞれが病院を出る決断をされたのか、行動に出る。急な雷雨で雨宿りをし、小雨となって一人ずつ動き出す光景に似ている。外では、風がまだ吹いているようである。雨もまだ小雨であったが、そろそろ出ようかと、私も喫茶の席を立った。実は、喫茶で過ごす間に自宅に連絡し、今日は帰れないことを伝え、大阪のホテルを予約した。

あの吹き荒れる凄まじい光景のスクリーンとなった玄関に足を進めた。そこには既に声高に指示していた職員はおらず、人が出ていくのみである。ドアが開くと、もう雨は上がっていたようである。西には青空と白雲も見えてきた。今日はホテルでビールでも飲むか。地下鉄の駅に向かって歩き出した。

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