「世界一の美食の街 サン・セバスチャンの謎」

山口商店合同会社 CEO 山口幹生

「地方創生」という、流行語のような業界に片足を突っ込んでいると、地方に関する様々な事例や情報が飛び込んでくるものです。本当に様々な方が、この業界に関わっていらっしゃいます。なかでも、私が信頼している先輩方や後輩たちは、世界中のまちづくり事例に詳しく、行政と住民の両面の視点を持ち合わせ、短期的な産業育成ではなく、中長期的な視点で取り組みをしています。

ここ5年ほどの間で、地方創生に関する信頼できる方々から、よく海外の2つの都市に関して話を聞きました。1つは、ポートランド、もう1つはサン・セバスチャンです。

ポートランドは、アメリカのオレゴン州にある街です。強引ではありますが、シンプルに特徴を申し上げると、住民と行政が適切にコミュニケーションをとりながら、「この街のどこに何があるべきか」を計画し、1つずつ創り上げてきた街です。日本中で過熱しているクラフトビールなどは、ここから生まれたトレンドでもあります。

そして、サン・セバスチャンは、スペインの北東部のバスク州に位置しており「世界一の美食の街」と呼ばれる街です。特に日本の東北地方、とりわけ三陸沿岸のまちづくりに関わる方々からその名を聞いており、ずっと興味があったので、思い切って視察のために行ってきました。いま、その帰りの飛行機の中で書いています。書きたいことはたくさんあるのですが、ここでは文字数が限られているので、少しだけご紹介します。

まず、サン・セバスチャンという街がなぜ「世界一の美食の街」と言われているのか。それは、街にあるレストランのうち、ミシュランの星をとっている数が、面積あたりおよび人口あたり世界最多だからと言われています。サン・セバスチャンの人口はおよそ18万人であるのに対して、三ツ星のレストランは3つも存在しています。

そして、なぜサン・セバスチャンがそんな「世界一の美食の街」になることができたのか。高城剛氏の著書「人口18万人の街がなぜ美食世界一になれたのか」から引用すると、特に2つの要因だと書かれています。1つは、1970年代にフランスから食の革命がおこりその影響を強く受けたこと、もう1つはその街に情熱を燃やすシェフがいたこと、です。

食の革命とは何だったのでしょうか。革命が起こる以前は、従来のレストランにとって最も大事だと言われていたのはレシピでした。そのレシピは門外不出のもので、シェフが本当に気を許した弟子にしか教えないほど重要なものとして扱われていました。しかし1970年以降の若いシェフたちによってその考えが覆されて、「レシピは広く共有されるべきだ、そしてもっと新しい味、新しい料理をみんなで研究しよう」という運動が起こされたのです。これは、日本の経営においてここ5年ほどのトレンドであるオープンイノベーションに通じるものがあります。各会社が持っている機密情報を公開することにより、新しい価値を生み出すという動きです。また日本酒業界をはじめ、日本の食業界でも同じことが起こっていると聞いています。

このような革命に大きな影響を受け、サン・セバスチャンでその運動の中心人物として活動したシェフがアルザック氏でした。彼の名前を冠したレストラン「アルザック」は、サン・セバスチャンの代表的な三ツ星レストランであり、「世界一の美食の街」の象徴として語られています。

その彼に共感したシェフたちによって活動は進められ、今では世界トップクラスの料理学校があり、料理を科学的に研究する研究所が設立されて学会が開催され、次々に新しい食の体験ができる街となり、そんな街に世界中のグルメ達が興味をもって頻繁に訪れるようになったということです。

ということで、そんな街に訪問してきました。こんな時に一番信頼できるのは、そこに長年住んでいる人です。友人を頼り、信頼できる地元の人を紹介してもらい、彼に食のオススメツアーをしていただきました。これは最高の体験でした。やはり色んな旅に行って、大事なのはその土地の人に案内していただくことです。僕の旅行の鉄則です。世界中の食材を活用し、伝統的な料理もあれば、見たことのない調理法にも出会いました。一番おいしかったのは、白身魚を炭でスモークしたものを口にいれ、最後に試験管に入った緑の液体を流し込んで口のなかで混ぜるというもの。

彼に聞きました。本を読むとサン・セバスチャンは2つの理由で美食世界一になったと聞いたが、どう思うか?と。彼の答えは意外なものでした。「生まれたころから、もうおいしいものはたくさんあって、それは変わらないよ。たぶんインターネットとかSNSとかで情報が広まっただけだよ」と。。。

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