満足とは何か

石川善樹

健康とは何か?

きわめて哲学的な話に思えるかもしれないが、健康はWHO(世界保健機構)によって、次のように定義されて以来、その後半世紀以上変わっていない。曰く、「健康とは・・・完全に満足した状態である」(Health is ... complete state of well-being.」(注:Well-beingとは、満足の本質、という意味)

たとえば、人生に対して満足している人は、そうでない人に比べて心臓病にかかるリスクが13%低いことが知られている。しかし、人生と一口にいっても家族や仕事、生活水準など数多くの側面をもつ。そこで、「果たして人生のどの側面が、健康状況に影響を与えるのか?」について明らかにすべく、2011年に8000人のイギリス公務員を対象として、研究が行われた。

その結果、家族に対する満足度が高い人は、心臓病の発生率が低いことが報告されている。また家族に加え、仕事や性生活、自分自身に対する満足度が高い人も、心臓病の発生率は低かった。

一方、恋愛、余暇の過ごし方、生活水準に対する満足度は、心臓病の発生とは関係ないことも報告された。もちろん、これは西洋人を対象とした研究なので、日本人の場合にもあてはまるかどうかは不明だ。

しかし、重要なのは、「満足」こそ、健康の本質という点である。

となると、そもそも「満足」とはなんであろうか?

一つの考え方として、目標と現実とのギャップが、満足を決めるというものがある。きわめて直観的な話だが、目標が高すぎる人は、いつまでたっても満足しないだろうし、その一方で目標が低すぎても、それはそれで刺激がなく、つまらないものになるかもしれない。

つまり、目標について色々考えてみると、満足の正体が見えてくるかもしれない。そこで、目標について考えるためにも、ダイエットを手がかかりにしてみよう。

1. ダイエットはなぜ失敗するのか?

私は、ダイエットの研究をはじめて、早10数年になる。この間、しつこく追い求めてきた疑問の一つが、「なぜ、ダイエットを決意した人の多くが、失敗に終わるのか?!」というものだ。

もちろん、これはダイエットに限った話ではなく、英語の勉強にしろ、何にせよ、「変わることを決意しても、変わることができない」という現象は、広く知られている。

専門的に言うと、“自己変革のパラドクス(逆説)”とよばれている。つまり、とても皮肉な話だが、

「変わりたいという願望が強いほど、人は変われない」というものだ。

なぜだろうか?!

「それは、目標設定が高すぎるからだ」と指摘しているのは、トロント大学のポリヴィー教授だが、その話をまとめると、下記のようになる。

「人は落ち込んでいる時に、”これじゃだめだ、変わろう!”と決意することが多い。そういう落ち込んだ状況から抜け出し、新しい人生を踏み出そうと決意することは、とんでもなく楽しいことなんですよね。だって、新しい人生って、想像するだけで興奮するじゃないですか。だから、一時的に落ち込み、ストレスを抱えている人にとってみたら、「自分は変わるんだ!」と決意することは、気分を軽やかに晴れやかにするための、最強の手段になっているのです。

そして、まさにここにこそ、大きな落とし穴があるのです。「変わろうという決意」は、非常にポジティブな感情で、落ち込んだ人は、その一時的な感情に満足しちゃうんですよね。特に、その変わろうという目標が高いほど、変わった時の自分をアレコレと想像することは、とても楽しいものです。そのポジティブな感情を何度も味わうには、変わらないことが一番ですよね(笑)

私は、ポリヴィー教授の研究を拝見し、「なるほど!」と思った。

まず何よりも、「人が変化を決意するのは、落ち込んだ時」というポリヴィー教授の考察には、思わず笑ってしまった。確かに、人がダイエットを決意するのは、「太って、落ち込んだ時」だったり、「服が入らなくなって、落ち込んだ時」である。

また、落ち込めば落ち込むほど、人は高い目標を設定し、変わることを決意するが、そこに落とし穴があるというポリヴィー教授の考察も見事である。確かに、「頑張って英語を勉強しよう!」と決意して、本屋で参考書を買ってしまうと、なんだかそれだけで満足してしまい(笑)、結局その参考書は全く読まれずに部屋の片隅で眠っていることも多々あることだ。

では、自分を変えるには、どうすればよいのだろうか?!この10年間で、あきれるほど多くの研究をみてきたが、意外なことに大きなヒントになったのが、「イチロー」であった。では、イチローは、どのような目標を立てるのだろうか?!

2. イチローの目標設定

「60歳で打席に立つ。50歳で盗塁することが究極の目標」

とイチローは述べている。これだけきくと、普段のイチローは、「とんでもなく高い目標」を立てているのだと思うかもしれない。しかし、とても興味深いことに、スランプに陥った時のイチローは、「きわめて現実的」な目標設定をするのだという。

普通の選手であれば、好調時のフォームを参考に、スランプから脱出しようとするが、「スランプの時、ベストの状態を思い出そうとしない」のがイチローの特徴なのだとか。というのも、「苦しいときに一番良い状態のことを思い出すと、理想的な状態と現実との大きなギャップを感じてよけいに苦しくなる」のが理由らしい。

では、スランプ脱出の際は、どのような目標設定をするのか?!オリックス時代から、誰よりもイチローを取材してきた小西記者によると、「良くも悪くもない状態、いわゆる中間地点」を目標とするのが、イチローの特徴だという。

私は、この話を知った時、目からウロコがおちる思いであった。つまり、「とんでもなく高い目標」と「きわめて現実的な目標」を両立させてはじめて、高いパフォーマンスを維持し続けることができるのかもしれないと。

そして、これはそのままダイエットにも参考になるのではないかと思った。人がダイエットを誓うのは、太ったときである。野球選手でいえば、スランプの時にあたるであろう。その時は、現実的な目標を立てて、少しずつやせることが大事になる。一方、ダイエットの必要がない時にこそ、とんでもなく高い目標を立てて、健康的かつ美しいカラダを目指す。

きっと、そうやってしなやかに目標設定をできる人だけが、この現代社会において体重をキープし続けることが出来るのではないかと思う。そしてそれは、本稿のテーマである「満足」についても、同じことが言えるかもしれない。

あらためて考えてみると、戦後の日本人の「人生満足度」は、実はまったく改善していない。これはある意味、WHOの健康の定義に従えば、日本人はまったく健康になっていないともいえる。

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