人生100年時代の本質 ―3rdAge世代の台頭―

石川善樹

人生100年時代というアイデア

おそらく、「人生100年時代」というアイデアを国家として初めて提唱したのは日本である。そのきっかけとなったのは、小泉進次郎さんらを中心とする若手政治家だ。2016年2月、自民党内の若手が中心となり、社会保障の将来像について発表する中で「人生100年時代」という言葉が使われた。

それから3年たち、小泉進次郎さんも厚労部会長という立場になり、改めて提案した「人生100年時代の社会保障改革ビジョン」は、ほぼそのまま政府の骨太方針(2019)として盛り込まれている。まさに超少子高齢化社会の先達である日本が、世界に先駆けて提案する社会像として、これほど分かりやすいアイデアはないだろう。実際、「人生100年を前提とする社会構築を本気で進めているなんてスゴすぎる」という声を諸外国でよく耳にする。

しかし、概念としては理解できても、いったい「人生100年時代」の本質がどこにあるか、直観的に分かりづらい。ややもすると、「なんだか先は長いんだなぁ・・・」と暗澹たる気持ちにさせられるものかもしれない。そこで本稿では、人生100年時代の本質について私見を述べてみたい。気の早い読者のために、筆者の結論を述べておくと、それは「3rd Age世代の台頭」ということに尽きる(人生100年を春夏秋冬と4つに分けた時、ちょうど秋にあたる50歳~75歳の人たちのことを「3rd Age世代」と呼ぶ)。

3rdAge世代の台頭

その昔、日本人の平均寿命が50歳だった頃、人生は「働く」ことと同義だった。老いも若きも朝から晩まで働き、その生涯を終えた。しかし戦争を終え、社会が発展してくると、一般的な日本人の人生は「学ぶ・働く・休む」という3ステージになった。すなわち、20年学び、40年働き、20年休む。この「学ぶ・働く・休む」という人生モデルを原動力として、日本経済は飛躍的な成長を遂げたのだった。

さて、令和となったいま、日本人の多くは平均して90歳まで生きるようになっている。ということは「100歳まで生きるかもしれない」という前提で人生設計する時代に突入しているのだ。だからこそ「人生100年時代」と言われるのだ。

では人生100年時代には、どのような人生モデルが基本となるのだろうか?もし20年学び、40年働くという旧来のモデルに従えば、なんと定年後「40年間」も休む羽目になってしまう。もちろんそうしたい人もいるだろうから、とやかく言う話ではないのだが、ここで私が提唱したいのは人生100年を「春夏秋冬」という具合に4ステージで捉えてはどうだろうかというアイデアだ。

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25歳までが「学ぶ春」、50歳までが「働く夏」、75歳までが「学び・働き・遊ぶ秋」、それ以降をゆっくり「休む冬」と捉える。春夏は人生を上っていき、秋冬はそれを降りていく。緩やかな逆U字カーブをイメージしてもらえれば良い。

このモデルの最大の特徴は、人類史上で初めて「実りの秋(3rd Age世代)」が登場することである。従来のモデルでは懸命に働いた後、強制的に老年(シニア)期に入らねばならなかった。対して新たなモデルでは「働く」と「休む」の間に、社会とのつながりを保ちながら「学び・働き・遊ぶ」という豊かな時間が訪れるのである。

資産形成の面でも従来とは異なるだろう。これまで25歳から60歳まで懸命に働いた収入で家族を養いつつ老後の資金も賄っていたが、それだけでは100歳まで持ちこたえられない。定年延長や老後の資金形成をめぐる最近の議論もこうした旧モデルを前提としていたものである。

新モデルはそれらと一線を画し、75歳までの実りの秋で、学びや遊びと並行して自分も働く。それだけの気力も体力もある。収入は多少減るかもしれないが、これからは所有を前提としないシェアリングエコノミーの普及や多くのイノベーションによって生活費用が劇的に下がる可能性もある。そうなれば、国や会社に依存しなくても一人で十分に暮らせるようになるであろう。

50歳からが人生の本番

人生100年時代のもう一つの特徴は、自らの新陳代謝を早め、何度もライフステージや仕事をシフトさせていくだけの柔軟さが求められるという点だ。100年という人生の長さを考えると、今後は同じことをやり続けること、変化できないことはむしろリスクへと転ずる。

現在でも、一つの会社で定年まで勤め上げた人ほど、退職後も前職の経験やスキルに固執し、それを生かせる仕事を続けたいと考える。しかし、よほど有能か幸運でない限り、そのような志望の仕事に就くことは難しく、理想と現実のギャップに苦しむ人が多い。一方、50歳前後で早期退職して、新しい仕事にチャレンジした人は老後も生き生きしている。50歳にして異分野に挑戦することには当然多くの苦労が伴うが、その経験で獲得した自信が老後の過ごし方に影響をもたらすのだ。

そう考えると、これからは50歳からが人生の本番と言えるかもしれない。逆に50歳までの人生は修行と捉え、リスクを恐れずにどんなことでも何度でもチャレンジしていくべきだろう。極度に複雑化・分業化した今日の社会では、そのような多くの下積みを経て初めて取り組めるという課題も多い。我々の学術・研究分野でも、50歳代になってようやく生涯最高の研究テーマに出合うと言われている。

これから人類史上経験したことのない「実りの秋」に向かう最初の世代は確かに戸惑うであろう。

しかし世界的に見ても、近い将来、従来型の経済成長が成り立たない社会に突入する。有限な定常経済の中でいかに豊かに生きるかは人類共通のテーマであり、その最初の世代となる諸先輩方にはぜひとも世界に先駆けて模範を示していただきたい。

こうした人生100年のビッグピクチャーを描きながら、一人ひとりが自らの人生をどのように生きていくか――、常に自問自答を重ね、深めていくところに成熟した人間中心社会とウェルビーイングの本質があるに違いない。

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