「 自己過信は禁物、痛い目にあう」

龍谷大学保健管理センター 須賀英道

自己過信は禁物、痛い目にあうのは必至だ

昨年末のことである。Macbook proが急に壊れて、中に入れていたデータを取り出せなくなるといった大変な目にあった。今の時代、データをクラウドに入れているのが常識で、ハードディスクが破損してもデータの損失はありえないのにどうしてこんなことが起きたのか。確かに、壊れたMacbook proには書類系データは入れていないが、旅行の際に撮ってきたこれまでの多くの写真が入っていたのである。写真はクラウドのストレージを大量に食うため、敢えてクラウドを使用していなかった。Macbook proは今年で購入後5年目になるので、今年の早々に新たに購入しなおす予定であり、その新規のMacbook proに写真データを入れ、さらにicloudのメモリーを増量するか検討する予定であった。その年末に起きたハプニングである。

しかし、思い起こしてみると、この15年あまりにわたってこれまでも同じことを2回、それも年末に起こしている。今回で3回目である。何とも懲りないものだと反省する。

1回目はシェル型のMacで、当時は書類や写真が多く入っており、思いついた時にCDにコピー保存するといった作業がなされた。しかし、人は面倒臭さから手抜きをするのが性である。そろそろCDコピーをしておかなければと思っていた矢先に事件は生じるのである。およそ6ヶ月分のデータが破損した。書類には論文も多く含まれ、また初めから文献を調べ直すのか、文章も書き直すのかと思うと途方に暮れた。半年間に訪れた家族旅行などの写真も消え去った。

やはり、データの復元が必須である。当時のMac関連の業者は非常に少なく、東京の業者を探し出し、壊れたシェル型Macを郵送した覚えがある。何とか、中にあったデータをCD数枚に取り出してもらえた。しかし、その値段といえば15万円以上でとても高かった。大損したのである。ただ、その時のMacハードディスクの破損に至る経緯は、あるパターンを経ている。

まず、ソフトウェアがフリーズし、動かなくなった。そこでシステムの再起動をした。しかし、ソフトウェアの起動のところでまたフリーズし、再起動となる。そのうちシステムのディスク起動がうまくいかなくなり、何度も再起動を繰り返す。当時は紙媒体のマニュアルがあり、マニュアルに従ってシステム修復を求めたのである。何度も繰り返すうちに、再起動すらできなくなり、遂にディスプレイが真っ暗なままの状況になってしまった。音のみがブーンブーンと聞こえるが、何も画面は変わらない。遂に壊れたと実感するのである。振り返れば、最初のソフトウェアフリーズのところで、ハードディスクのデータをCDに保存しておけば、データ破損はなかったのである。それを自分で再度、立ち上げようと踏ん張って、結局壊してしまったのである。もう、こんなことは繰り返すまいと誓った。

2回目の破損も同じような状況で生じた。5~6年ほど前だったか、初代のMacbook Airを購入し、3年程経った頃の年末である。破損パターンは1回目と同じで、フリーズ状況を回復しようと、様々な操作を繰り返したのである。1回目の時にもうこんなことは繰り返すまいと誓ったはずなのにまた繰り返していた。この時は、ネット上に対処の仕方の情報が数多くあり、それに従って回復を図った。しかし結果は無残にもハードディスクそのものが破損となった。ただその時はデータの損失とならなかった。それは既にdropboxといったクラウド系に全ファイルを入れていたためで、新規に購入したMacbook Airで全てを開くことができたのである。写真はどうなったかというと、実は1回目にデータ回復をした写真データはその時のCDに入り放しであった。それで、その後撮った写真の数はさほど多くなかったのでdropboxに入っており、一難を免れたのである。その後は、dropboxやicloudといったクラウドにデータを入れることで、一安心でもあった。

それなのに昨年末のハプニングは何故起きたのか。写真には自分だけでなく、家族の撮った写真もとても多く、相当のメモリー量となるため、クラウドのストレージを大幅に食うことにもなり、敢えてPC内のメモリーにとどめ、時期を見てハードに移し替えるといった皮算用でいたのである。この時期というのはまさに人の面倒臭さが顕に出る。まだいいか、まだいいかといった、ペンディングが生じる。はっと気づいた時は事遅しである。データ破損となり、復元業者に依頼することになる。

写真については、PCにまとめておけばいいといった気持ちもあり、初回の破損で復元し、CDにあった写真データもPCに入れ直していた。それがこの様なのである。1回目に比べるとMac対応の業者は多いが、値段は破損レベルに応じて幅が大きい。ハードディスク破損の場合はデータ復元にやはり10万以上となるとの見込みである。実はこのMacbook proは家族が中心に使用していたこともあり、このパソコンが1台なくなると、新たに1台必要となる。結局、新規にMacbook Airを購入することになってしまった。ハードディスクデータ復元の費用が、そのままMacbook Airの購入費用に当てられたのに、何ともお粗末な次第である。

今回のハードディスク破損の経緯も1回目、2回目と同様に、自分で何度もコンピュータ作動のトラブルに対処し、解決を図ったのである。1回目の時に大反省していたのに、懲りずに3回目となった。この状況を振り返ってみると、トラブルに陥った時点の状況では、自分では対処できないといった判断がしにくい。フリーズを再起動でクリアできることも少なくない。これが段々深いレベルでのトラブルにも、ある程度自己流に対処できるようになっていくと、今回も対処しようとどうしても嵌っていく。ここでやめようといった勇断ができなくなるからである。結果は、やらなければよかったと反省は必至である。この今置かれた状況での、自分にはこれ以上できないといった勇断こそが優れた能力といえるだろう。

この勇断は何もパソコン対処に限られない。普段の診療にこそその能力が問われるのである。患者さんに対して自分が診療できる範囲はここまでであり、これ以上は専門医師に依頼すべきであるといった判断である。検査値や診断基準においてなされるいわゆるカットオフ判断でもある。いつまでも抱え込んでいては既に手遅れとなってしまう。精神科医においては、内科及び外科、眼科、整形外科などに関連する疾患が患者さんにみられた場合は、比較的判断は早い。当初よりその疾患が自分の専門外だと認識しているためで、抱え込んで手遅れになることはあまりないだろう。皮肉にも、少しでも他科的診療技法を持っていると、自分で対処したくなり、こうした状況に陥ることも多々ある。大学病院や総合病院など入院施設があり、他科へのリエゾン対処もできる所なら、多少はチャレンジによって他科的診療技法を試みることもありうるからである。ただ、「もっと早く依頼すべきです」と、依頼した他科の医師から非難されることも少なくない。患者さん側の視点では全くいい迷惑といえる。

メンタルクリニックでは当初より入院施設もなく他科医師もいないため、こうした判断は即断となり、直ぐに他科依頼となる。さらに他科とのネットワークができているとこうした依頼はいっそうしやすくなるだろう。

自分が診療できる範囲はここまでという判断において厄介なのは、精神疾患の場合である。精神疾患に対しては幅の広い多くの経験があるが、得手不得手はある。対応の得手不得手は、患者さんのパーソナリティにも左右され、医師側(セラピスト)と患者側(クライアント)との相性がとても大きい。相性の合わない患者さんをいつまでも引きずることは許されないことだが、直接対応していると、こうした患者さんとの相性を客観的評価する機を失し、難治性の患者だという勝手な自己判断に陥ってしまう。もっと早期に他精神科医に主治医変更すればよかったかもしれないケースを10年以上にも抱え込むことも少なくないのである。

自己過信は禁物だとの反省は、パソコントラブルによって大損をするという痛い目から自覚したが、自分の仕事においても自己評価を改めてみることも大切だと思う年の始めである。

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