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武士道に生きた武人 板倉勝重
武人というとイメージするのは、武術に優れた猛者という人も多いでしょうが、聡明であることもまた、武人を武人たらしめる要因ではないでしょうか。
乱世から江戸幕府が始動するまでの難しい時代に、京都所司代に任命された武士のお話です。
板倉 勝重(いたくら かつしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての旗本、大名。江戸町奉行、京都所司代。板倉家宗家初代。史料では官位を冠した板倉伊賀守の名で多く残っている。優れた手腕と柔軟な判断で多くの事件、訴訟を裁定し、敗訴した者すら納得させるほどの理に適った裁きで名奉行と言えば誰もが勝重を連想した。 by Wikipedia
慶長六年(1601年)に京都所司代に任命された板倉勝重は、公私の区別にも厳しく要求した人物でもありました。
家康の腹心・本田正信の推挙により、大阪城の豊臣家を監視する重要な役職に登用されたと言います。
慶長20年、大坂夏の陣が近づいて京の民衆が動揺していると、自ら平服のままで市中を徘徊し、のんびりと世間話をして人々を安心させたという機略も持ち合わせた人物でした。
彼は、持ち前の清廉さと深い知恵で大坂の陣から禁中並公家諸法度制度へと続く、難しい時期に京の地に無用な混乱を起こすことなく治めた名奉行でした。
彼がこの大役を打診されたとき、「いったん屋敷に戻って妻と相談いたしたく存じます」と一時、返事を保留にして妻に相談をしたそうです。
妻に伝えた言葉は以下のようなものでした。
「影響力の大きい役目だから、私的な縁故をたどって頼みごとをしてくるものが出てくるに違いないが、公私を区別してそういう者を阻むことがお前に出来るか?出来ないというなら、このお話はお断りするが・・・」
相談といっても、迷っての相談というよりは、引き受けるからには家族も含めて覚悟を持って臨む必要を鑑み、妻への覚悟を促した側面が大きかったようです
私たちキャリアコンサルタントは、相談者さんの気持ちを大事にすると共に、先を見越したうえでの覚悟を問うということも時に必要なのかもしれません。
転機を迎えて新しい一歩を踏み出すとき、背中を押してほしいクライアントさんも少なからずいることでしょう。
背中を押すことは簡単にできますが、その先の人生をより豊かなものにするためには、覚悟をもって一歩を踏み出すことを支援することも大切なんだろう。
そんなことを考えました。
※ エピソード
先の板倉勝重が妻への相談時、妻は「女の身で公的なことに口をはさむことなどできましょうか、安心してお話をお受けください」と答えたと言います。
今の時代、女が公的なことに口出しするな! なんていう立場は時代錯誤ですが、こうした覚悟を共有できる夫婦関係というのは素晴らしいと思います。
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