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武士道に生きた武人 黒田官兵衛

#武道に学ぶキャリア形成  9

NHKの大河ドラマでV6の岡田准一が演じたことで知られる黒田官兵衛は、名を黒田孝高といいます。

彼の逸話の多くは後世の編纂物に書かれたものであり、信を置けないという意見もありますが、ココではその信憑性は問わないことにしたいと思います。

黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体:黑田 孝高)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)としても広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。 by Wikipedia

毛利氏相手の中国攻略中に、京から信長の家臣、明智光秀の謀反の知らせを聞き、主君を失って途方に暮れ、しばし呆然としていた羽柴秀吉の耳元でささやいた人物がいます。

今こそ、天下を取る好機ですな・・・

中国大返しにまつわるエピソードの一つです。

本能寺の変により信長横死の一報が秀吉のもとに伝わった際に、「これで殿(秀吉)のご運が開けましたな」と秀吉が主君の仇討という大義の元、中国大返しと呼ばれる早駆けにつながったとされます。

何かのよりどころを失い、茫然自失となった状態の主君に、たった一言で運命を変えさせる力があったわけです。

ここで、皆さんはどのようなことをお感じになるでしょうか?

認知の力(物事の受け止め方)

キャリアコンサルティングの視点の一つに、認知のバイアスに気をつけましょうということがあります。

同じ物事を見ていても、その受け止め方は人それぞれであるため、コンサルタントが自分の思い込みにより、相談者さんの見ている景色(認知)を見ようとせず、独断的になることを戒めるために使われることがあります。

一方、悩みを抱えている相談者さんにも、その見えている景色(認知、受け止めた方)が、ある一方向からしか見えていないため、それが悩みの堂々巡りにつながってしまうということもあります

織田信長の死去を聞いた秀吉は、生きる拠り所を失い、茫然自失となりますが、ここに違う視点を見せたのが黒田官兵衛だったわけです

官兵衛は、毛利から旗を二十本借り受け、京に向かう途中から陣の先に立て始めます

これを見た光秀軍は、毛利が秀吉の味方に付いたと勘違いし、秀吉と光秀のどちらに加担するかを迷っていた近隣の諸将も同じように感じ、こぞって秀吉の見方についたのです。

晩年、官兵衛は息子の長政に次のように語ったと言います

関ヶ原の戦いで光成がもう少し持ちこたえてくれたら、わしは京に登って天下を取るつもりだった。たとえお前をみすてることになってもな 

官兵衛の智謀は常に天下を見据えていました。

官兵衛の智謀により天下人に上り詰めた秀吉ですが、秀吉だけは、官兵衛の中にある天下を狙う心の奥底を察知し、怖い存在と位置付けていたのかもしれません。

ーーーーーキャリコンの視点ーーーーー

私たちキャリアコンサルタントは、認知の力(物事の受け止め方)を上手に見極め、認知のバイアスにより行き詰っている相談者さんに、新しい視点に気が付いていただき、前へ進む力を与えられるような存在になりたいものです。



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