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俺の生い立ち

俺には父も母も存在していた

でも何故か子供の頃の記憶は殆どない

楽しかった記憶も残ってない

ただ唯一覚えているのは

幼い頃に両親共々いつも帰ってこない事だけ

俺には妹がいたが

妹は幼かったので何も分からず眠りについていた
 
俺は団地のカーテンの隙間から毎日

両親が帰ってくるのを朝まで待っていた

何故2人とも帰ってこないのか意味が分からなかった

結局それを最後まで聞くことはなかった

俺は16になって家を出た 

ボロアパートを借りては家賃が払えず

追い出されては転々としていた

17歳の頃 ついに行き場をなくして

車検切れの車の中で生活するようになり

いわゆるホームレスになった

車の中とはいえガソリンを入れる金もないので

エンジンを切った車の中の冬の寒さは  

凍える程寒かった

真冬の寒さはキツかったな
 
寒さに震えながら朝が来るのを待った

雨の日にはフロントガラスを打ち付ける雨の音が

明日への不安を煽り立てた

雨になるといまだにその頃の事が

フラッシュバックの様に脳裏に浮かぶ

だから俺は雨が嫌いなんだ

仕事もしてみたけど社会に馴染めずすぐに辞めた

食べる金もないのでパンを盗んでは食べていた

そんな俺がTwitterで盗人を批判するのは   
 
矛盾してるよな

それは反省している

生きてく為に仕方がなかった

街で友達に会うと「臭い」と言われた   

風呂も入れないんだから臭いに決まってる    

凄く恥ずかしい気持ちになった事を覚えている

近くに朝鮮人の人達が集まってる部落があった

そこにあるおばちゃんがいて

俺の状況を悟ったのか

うちにご飯食べにおいで キムチくらいしかないけど。といって白米にキムチを乗せた飯を出してくれた

俺は無我夢中で喰らいついた

あの時のうまかった飯の味は今でも覚えている

だから俺はいまだに焼肉屋へ行くと

肉より白米にキムチを乗せて食べるのが

好きなんだ

そんな中19歳で何とか生きてく道を見つけた

自分で飯が喰えるようになってからは

ホームレスの人を見かけると

冬は「暖かいものでも飲みなよ」

夏は「脱水するからちゃんと水分取りなよ」

っていくばかの金を渡している

暗い目をしていた  言葉も発しなかった

だけど有難うという想いは何故か伝わってきた

言葉はいらなかった

Z李さん Z李と365日カレンダー引用

俺だってまたいつどうなるかなんて分からない

明日は我が身って気持ちがずっとあって

決して他人事に思えないんだ

そして最近微々たる事だけど

徳を積むような毎日を過ごしている

真面目ぶったツイートが続いて

ガラに合わないなと感じてるんだけど

思いや呟きに嘘は無い

東日本大震災の時に衝撃を受けて

支援物資を送った頃からかな

そうした想いが強くなったのは

Twitterを始めて新宿租界さんや大阪租界さんの

炊き出し活動を知った

どちらもスタート時から見てるけど

凄い行動力だよな

彼らは俺より歳は若いと思う

でもそんな事は関係ない

歳が下だろうが立派に活動している姿に

心から敬意を表している 

毎週RTしているのはそんな思いからだ

俺にはそんな行動に移す体力もないし

自分に出来る身の丈に合った事をやろうと思い

自分に出来る事を細々とやっている

偽善者だのそんな事は一々ツイートしないで

黙ってやるものだとか批判的なリプもあるけど

ツイートする事で共感した人の輪が広がる事は

SNSの素晴らしい活用方法だと俺は思っている

だからこれからもやめない

話を戻そう

その後いつの日か母は俺たちを捨てた

父との関係も破綻していた事あり

いつの間にか知らない土地へ行ってしまった

妹とも絶縁状態になった 

仕方ない 俺の若い頃のデタラメな生き方がそうさせた

家を飛び出してからは

家族とは殆ど連絡を取ってなかったから

父とも何十年も疎遠になっていた

それから時が過ぎ 突然父から連絡が来た

その時父は身体中癌に蝕われていた

俺は今まで親孝行なんてした事もなかったけど

父を看病する家族もいなかったし

介護する事を決めた

そんな日々が数ヶ月続いたが

最後はもう命も短いと言うことで

父は自宅で過ごす事になった

その為に介護ベッドをレンタルしようと思ったが

「誰が死んだか分からないベットになんて寝れない」

と父は駄々をこねた

介護ベッドは結構高いんだよ

でも最後の親孝行だと金がない中無理して購入した

ところがベッドが自宅に設置される日に

父は体調が悪化しそのまま帰らぬ人となった

介護ベッドは一度も寝ることがないまま

終わってしまった

緊急搬送され病院へかけつると父は生きていたが

既に廃人の様な姿だった   

医師から

「耳は聞こえていますから最後に言葉をかけてあげて下さい」

と言われたが俺はそんなはずがないと

なんの言葉もかけなかった

それを今も悔いている

あの時何故「今までありがとう」

と言えなかったのか 後悔している

そのせいなのか

父が死んでから何年も経つが

不思議と月命日には

欠かさず墓参りを続けている 

だけど死んでから何十回、何百回墓参りした所で

何の親孝行にもならないんだよ

ただの自己満だな

だからまだ両親が健在なフォロワーさんは

親が生きてるうちに目一杯孝行して欲しい

俺みたいに後悔しても後の祭りだからよ

街はもうイルミネーションに飾られXmasムードだな

今年ももうあと僅か

その後の人生は書ける日がもしきたら

また書こうと思う

最後まで読んでくれた人ありがとう

別に同情して貰いたい訳でもないし

お涙ちょうだいするつもりもない

あるがままの自分の生い立ちを書いてみた

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