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舞台における公/私と、競演のレヴューの露崎まひるについて

どうも、スタァライトのオタクです

このnoteが投稿されている(であろう)2022年6月4日は『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』が公開されてから1年ということで、僕の妄言を書きなぐった次第です。

タイトルが「なんかそれっぽい」ですが、なんだか強いお酒を飲んだ気分で書いてるので、緩〜い気持ちで読んでくれると幸いです。

それではどうぞよろしく。



舞台における『公』と『私』について

まずは前提として、舞台は『公』の物だと考えます。
大勢の観客の前に立ち、本来の自分ではなく舞台の登場人物に成り代わる……
そこに自分の感情を挟み込むことはなく、ただ見られる対象となる……

では、「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」という作品ではどうでしょうか?

この作品で行われる舞台(オーディションやレヴュー)は、ひどく私的なものとして描かれています。

TV版のオーディションでは、キリンに見出された8人+飛び込み参加の1人が、自らの望んだ最高の舞台に立つために互いにしのぎを削り会う。

劇場版のレヴューでは、消化しきれなかった各々を因縁を、本能のまま相手にぶつけ合う。

これらは第四の壁を通じてこの作品を見ている我々にとっては素晴らしい舞台であるが、あの世界ではそのキラメキは第三者に観られることなく、彼女たちの内で完結してしまう。

……露崎まひるを除いて


競演のレヴューの露崎まひるについて


競演のレヴューについて述べる前に、正反対のものとして舞台を完全に私物化している魂のレヴューについてまとめておきましょう。

まずは舞台装置から。

劇場という、それこそ舞台が繰り広げられる場所=公的な場所であるにも関わらず、無観客である。

しかも、悪魔と舞台人は「誰も見た事がないキラメキを相手に示した方が勝ち」などと、観客がいる前提でのレヴューを始めるが、内容はただイチャつくだけ。
そういうのはベッドの上でやれ。

失礼、真矢クロ過激派の僕が暴走してしまいました。

https://youtu.be/z5hfWlnhTqk
劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトの予告編より

さて、公的な理由で舞台を演じている、露崎まひるが出演した競演のレヴューですが、ここでの露崎まひるのムーブについて軽くまとめます。

彼女は神楽ひかりと対等な関係=ライバルとして、彼女と表の競技場で競い合います。

しかし場面が一転し、競技場の裏で「大っ嫌いだった。神楽ひかり、貴方が」という台詞と共に、神楽ひかりを追い詰めていきます。

……まぁ、エレベーター内のスズダルキャットの口が反転している=本心ではない、という比喩的な表現から、彼女の本心ではないことは伺えますよね(そういうシーンも含め、彼女は舞台女優として競演のレヴューを演じきってるんですよね……良い……)

その末に神楽ひかりは自身が抱えていた、愛城華恋に対しての恐れと不安を吐露し、同じく愛城華恋に魅せられた露崎まひるによって"解放"されます。

ここに露崎まひるの私的な感情は一切なく、ただ過去の約束に囚われていた愛城華恋を解放するために、腑抜けた神楽ひかりを蘇らせるために、そして我々観客が望んだ舞台を見せるために、『私』を殺し、『公』に徹しているのです。


露崎まひるは自己の弱い人物です。

それは祖母に勧められ、聖翔音楽学園を受験したことからも分かるでしょう。

そんな彼女は、聖翔音楽学園にて強すぎる自己を持つ愛城華恋に魅せられ、そして愛城華恋によって舞台少女としての1歩を踏み出しました。

そしてまた、愛城華恋に魅せられ、舞台に立つことを恐れた神楽ひかりが舞台女優になるために背中を押した(舞台女優として、『私』を殺し、最高の舞台を我々観客に提供するために『公』の舞台女優となった)露崎まひるこそが、「舞台で生きていく」覚悟を決めた、「本物の舞台女優」なのだと、僕は考えます。


妄想の時間

スーパースタァスペクタクルで東京タワーがぶっ刺さったあと、舞台少女たちが上掛けを投げ飛ばすじゃないですか……

そのシーンで一つだけ先を飛ぶ上掛けがあるんですけど

その上掛けが、まひるちゃんのやつだといいなぁ……
なんて思ってます

あと、あのシーンは『再生賛美曲』の「あぁ、私たちは 何者でもない 夜明け前のほんの一時」という歌詞とリンクしてめちゃくちゃに泣けるんですよね……

未熟な蛹がかえり、蝶が美しく羽ばたくのは、夜が明けて空が白んできた時なので……

最後に

だらだらと書いてましたが、僕が1番言いたかったことは

劇スのまひるちゃん、良いよね………………………


終わり

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