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人的資本IRのすすめ

 今回は、Human Capital Report(人的資本レポート)について考えてみました。
 
 2024年に入ってから、人的資本レポートを発行する企業が増えてきているそうです。エーザイは2023年に続き、今年2回目となる「Human Capital Report 2024」を発行されています。

発行にあたっての同社の7月31日付のプレスリリースhttps://www.eisai.co.jp/information/2024/pdf/20240731.pdf には、次のように記されています。

「当社は、患者様と生活者の皆様の喜怒哀楽を第一義に考え、そのベネフィット向上に貢献することを企業理念(hhc:ヒューマンヘルスケア)として掲げています。社員は、その実現に直接貢献できる唯一のステークホルダーであり、患者様と生活者の 皆様、株主の皆様と並ぶ主要なステークホルダーとして定款に定め、『安定的な雇用の確保』『人権および多様性の尊重』『自己実現を支える成長機会の充実』『働きやすい環境の整備』を旨とすることを明記しています」

 社員は企業理念の実現に直接貢献できる唯一のステークホルダーである

この認識があっての Human Capital Report の発行であり、そのことは同社CHROの真坂さんが、下記のインタビュー記事で次のように語られていることからも、この発行の目的が企業理念を実現する社員というステークホルダーとのコミュニケーションを強く意図したものであると理解することができます。

「大きな課題は、2つありました。1つは『読者ターゲット』です。想定読者を絞り切れていなかったため、内容がぶれていました。もう1つは『人事部門と社員が持つ情報の非対称性』です。人事の施策や制度について、社員にあまりにも知られていないことがわかりました。そこで2024年版は、想定読者を現在の社員と将来の求職者に絞り、情報の非対称性の解消を目的として制作することにしました。実際に作ってみると、社員向けの内容ですが他のステークホルダーにも十分に伝わるレポートになったと感じています」

 想定読者を現在の社員と将来の求職者に絞り、情報の非対称性の解消を目的として制作されている点、まさに社員をしっかり見据えたステークホルダー・コミュニケーションの新しい事例として参考になると思いました。

人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方です。

 この定義は経済産業省によるものです。
(出所:https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/index.html)

 「人材を『資本』として捉え…」ということは、人材、すなわち、社員は資本を持つ投資家として位置づけるということだと認識しています。

 人的資本の所有者は誰なのか。
 戦後、長く終身雇用の時代が続いたことで、社員が持っている能力やスキル、知識など、これらの人的資本は会社が所有しているかのように勘違いしてしまっていたかもしれません。しかしながら、経済学や社会学では人的資本は個人が所有するものであって、会社が所有するものではないというのが基本的な認識です。つまり、社員、働き手は、人的資本の所有者であって、「働く」ということは自分が持っている資本を働く先、すなわち会社に投資している行為と考えることができます。
 
 企業は、統合報告書、有価証券報告書の発行や経営方針説明会の開催なども含めたIR活動を通じて、資本市場と継続的に対話しています。また、より幅広いステークホルダーとのコミュニケーションのためにサステナビリティレポートを発行している企業も数多くあります。
 それと同様に、人的資本を所有する社員とのコミュニケーションのために発行されるものが「Human Capital Report / 人的資本レポート」なのでしょう。
 先のインタビュー記事の中で、エーザイCHROの真坂さんが、想定読者を現在の社員と将来の求職者に絞り、と仰っている点からも、Human Capital Report を発行するならば、その重要な目的には社員とのコミュニケーションが含まれるということが認識できます。

労働市場にいる投資家。
それが人的資本を所有する働き手、社員の皆さんである。
その人的資本投資家に投資してもらう、投資を継続してもらうための情報開示であり、パーパスやビジョンを実現する未来を共有するための情報発信。

 資本市場(投資家)とのコミュニケーションに、IR(インベスター・リレーションズ)があるように、人的資本市場の投資家(働き手、現在および将来の社員)とのコミュニケーションにもIRが求められる時代になってきているのは、個人と会社が互いに選び選ばれる関係になってきているからでしょう。この「互いに選び選ばれる関係」は「人材版伊藤レポート2.0」の冒頭挨拶で座長を務められた伊藤邦雄先生が人的資本経営の目指す方向として示されたものです。
 人的資本経営に取り組むならば、社員をステークホルダーとして、人的資本投資家と位置付けてコミュニケーションする、人的資本IRの取組みも求められる。
 もちろん、これまでも統合報告書やサステナビリティレポートにおいて人材に関連する記述にかなりのボリュームを割いてきていると思いますが、人的資本投資家である社員からすれば必ずしも十分に、人材戦略のストーリーや施策の目的が伝わるものだとは言えないのではないでしょうか。
 企業がこれまで対話を深めてきた、金融資本市場に対する非財務・人的資本情報開示以上に、これからは社員を対象にした解像度を上げた情報開示とストーリーの共有がますます重要になってくるのではないでしょうか。
 そして、それに取り組むとき、先行して Human Capital Report を発行している企業の事例が大変参考になると思います。

 IRが財務広報ならば、人的資本IRは人事広報と言えばいいのでしょうか。
人的資本IRの機能はいままでの人事組織には実装されていない機能です。既存のリソースだけでは対応できないかもしれません。インターナル・コミュニケーションを司る広報部門や、資本市場と対話してきたIR担当部署とも連携して組織ケイパビリティを拡張していくことも、人的資本IRを継続するために欠かせないと考えます。

 「会社と社員の間にある、情報の非対称性の解消」は、人的資本経営が目指す「互いに選び選ばれる関係」の根幹をなすところです。
 「人的資本IR」は、”組織と社員を管理する人事から支援する人事へ”変革していくときの重要な施策、発信する人事への変貌が重要になってくると考えます。

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