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『LOVEppears』

1990年代の締め括りはこのアルバムとともに過ごした。1999年の11月10日にリリースされたこのアルバムは、2000年から2020年の今に至るまでの私にとって血肉になっていると言っても過言ではないくらい、おそらく最も集中して聴き込んだアルバムだろうと思う。当時、aiwaのミニコンポから流れる音は決して表現力に溢れるものではなかったけれど、それでも初めてリアルタイムで手にした浜崎あゆみのアルバムを聴いたときの興奮は、何事にも代えがたい。

少し話を戻すと、私が初めて浜崎あゆみと「出逢った」のは『WHATEVER』‎(1999年2月10日)という楽曲だった。前にnoteでも書いた『A Song for xx』という1st Albumの後、初めてのシングルは、春を待ちわびる心を描きながら、しかしとても冷たい空気が通底する曲で、美しくも苦しい感情に心を強く揺さぶられた私は、これ以降の楽曲を文字通り片っ端から聴くことになる。続く『LOVE~Destiny~/LOVE~since1999~』(1999年4月14日)は、つんくによる美しいメロディーと、浜崎あゆみによる深い愛情を湛えた歌詞、そしてピアノとストリングスを基調とした伴奏が、感情に訴えかけてくる、J-POPのバラードとして完成形の一つだと思う。後年にavexから発売されたフルオーケストラによるCD BOX『HARMONY J-POP MEETS CLASSICS』では、同曲がラストパートに置かれていて、歌詞さえなくとも涙を誘ったのはずっと先の余談。そして、この頃の浜崎あゆみが冴えわたっていたのは、こうして完成したかに見える形を、いとも簡単に乗り越えていったことにあって、最もシンプルな題名の名曲『TO BE』(1999年5月12日)がリリースされたのだった。当時20歳そこそこの浜崎あゆみは、『NOT TO BE』というタイトルを想定していたそうだけれど、シェイクスピアをまだ知らない14歳の私にも「君がいるから 笑ってるよ 泣いているよ 生きているよ」(1番サビ)、そして「君がいたから 笑ってたよ 泣いていたよ 生きていたよ」(ラストサビ)という歌詞は、私に重く刺さって、21年経った今も残る傷跡は消えてほしくないとさえ思っている。そして浜崎あゆみが自身初となるミリオンヒットを達成したのが、次の『Boys & Girls』(1999年7月14日)で、ここからが所謂マキシシングルになった(つまりそれまでは懐かしの8cmだった)。大人の目線で1999年がどういう年だったかは知る由もないけれど、世紀末や2000年問題なんていう言葉が頻りに飛び交っていた当時、受験生にとっても世相は決して明るくはなかったように記憶していて、その中で内に内に入っていった先ほどまでの3曲から一転して、外へ踏み出した印象が強い曲調と、アップテンポなギターが盛り立てる歌には、時代の空気など置いていくような力強さが漲っていた。浜崎あゆみのカリスマ性が高く評価され、今で言うところのフォロワーが一挙に増えたのもこの頃だったように思うけれど、その強さの反面で脆さも感じる人格だったから、自分のイニシャルを冠した『A』(1999年8月11日)に収録された『monochrome』,『too late』,『Trauma』,『End roll』という4曲もの新曲と膨大な数のリミックスの数々は、その危うげなバランスゆえに聴くためにとても体力と気力を要すものになったのは、当然の帰結だったのかもしれない。あまりにも無謀な自分との闘いに勝者はおらず、ただ白黒の景色と真っ黒に引かれた幕だけが残されたのだった。

アルバムが出たのは、この怒涛のリリース劇から3ヶ月後のこと。繰り返し過去のシングルを聴き直していた私にとって、待ち侘びていた新作であるとともに、こうして常に自分と向き合って茨の道を歩み続けた人間への、幾ばくかの心配も持っていたように思う。

陰陽いずれとも取れない『Introduction』から始まったアルバムは、リミックスに馴染み始めていた耳にとって格好の良さと疾走感を感じさせ、継ぎ目なく『Fly high』へとなだれ込む。当時のミニコンポを知る世代なら、液晶のインジゲーターが曲に合わせて上下する様を覚えているだろうが、この2曲目に入る瞬間の明滅には、薄っぺらい音の向こうにある熱量を感じて、新しい時代の始まりを予感したものだった。シングル『Trauma』を挟み4,5曲目は『And Then』,『immature』。いずれも前のアルバムでは、技術的にも精神的にも出てこなかっただろう表現で、20年以上経った今なお古びていないどころか、2020年にこそ「口に出して言ってみればいい」言葉で溢れている。『Boys & GIrls』,『TO BE』,『End roll』と数ヶ月の間、何度となく聴いた曲を越え、9曲目の『P.S.Ⅱ』は前作『A Song for xx』からのファンにとって、もう何年も前に感じる『POWDER SNOW』の続編。前作がしんしんと降る雪なら、こちらは吹雪の中、もはやホワイトアウトするような孤独を歌っている。冷たいというより痛みを感じる寒さの中で、確かに長い時間が経っていたのかもしれない。春を待つ『WHATEVER』はオリジナルより長く、リミックス版の『too late』も焦燥感を掻き立てる手触りなのだけれど、続いて当時「黒ayu」と称された同時発売のシングル『appears』がタイトルからしてこのアルバムの重心になっているとしたら、その序章としてはとても狙った作りなのかもしれない、と今にして思う。同曲は、ストーリー性は強過ぎて当時はあまり好きになれなかったが、その行く末はもちろん、目の前に起きていることでさえ、わからないという価値観は、当時の私に影響を確かに与えている。『monochrome』のラストで閉まった扉は、『Interlude』のトンネルを抜けて『LOVE~refrain~』という変奏曲へと辿り着く。『~Destiny~』で表現しきれなかった部分があった、という趣旨のことを本人が述べていたように記憶していて、確かに圧倒的にこちらの歌詞の方が感情は昇華されている。原曲のドラマ性は薄らいだけれど、人間の成長においてドラマチックなことよりも些細なことが気付きになって、そこから生まれた小さな小さな変化こそ、人生において決定的なものにもなるだろう。苦しみの中で「ありがとう」と言える相手を浜崎あゆみは見つけていたのだろうか。『Who...』は歌詞カード上のラスト。前作では冒頭の表題曲が人気だったのに対し、このアルバムではラストのこの曲がファンの間で愛されてきたように思っていて、それは先の見えない時代に静謐な歌が求められたからかもしれない。少し長い引用は曲の中盤から。

「本当の強さは誰が教えてくれて
優しさは誰が伝えててくれた?
誰がいたから歩こうとして
誰に髪をなでて欲しかった?
誰があきらめないでいてくれた?
忘れないよずっと」

そしてシークレットトラックとして『kanariya』という曲で、含みを持たせて70分を大きく超えるアルバムはようやく終わる。この歌詞はぜひ皆様で探して聴いてみてもらえたらと思うけれど、21年という歳月の間、誰も彼もが黙ってしまうような時代であったことは、締め括りに書いておきたい。『kanariya』とともにシングルカットされた『Fly high』には「怖がって踏み出せずにいる一歩が 重なっているからか長く長い 道になって手遅れになったりして」と歌われていたではないか。

「全てはきっとこの手にある
動かなきゃ動かせないけど
全てはきっとこの手にある
始めなきゃ始まらないから」

『LOVEppears』浜崎あゆみ
01.Introduction
02.Fly high
03.Trauma
04.And Then
05.immature
06.Boys & Girls
07.TO BE
08.End roll
09.P.S.Ⅱ
10.WHATEVER
11.too late
12.appears
13.monochrome
14.Interlude
15.LOVE~refrain~
16.Who...

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