ワダケンジ | KENJI WADA

コンセプター / Concept Maker (株)デザインの研究所 / A DESI…

ワダケンジ | KENJI WADA

コンセプター / Concept Maker (株)デザインの研究所 / A DESIGN LAB. 代表取締役 http://www.whatisdesign.jp 👀KOZLIFEさんにてエッセイ「LLFK」連載中 https://note.com/hashtag/LLFK

最近の記事

LLFKというエッセイ

ネットショップKOZLIFEさんにて、 2020年から2週間に1話づつ、 エッセイ連載を執筆しています。 2年で50話を超え、有り難い事に皆様に読んで頂いているようで。 継続が苦手な僕が、よく続けられているもんだ。 このエッセイのルールは、「嘘は一切無し、写真は全て僕が撮影したもの= 自分の人生のまんま切り取り」でやっています。

    • できれば何もしたくない

      毎日が驚きの連続だったら、さぞ素敵な人生だろうと思うけど 日々はそんなに変わりゃあしない。 人間は堕落した生き物なのだ。 ストレスを貯めないためにも、 そう自分に良い意味で説き伏せながら生きています。 口癖は「MENDOKUSAI」。 会う外国人全員に教えています。

      • 斜め45度から、いつも見ています

        仕事柄、斜め45度から見るクセが付いてしまって、もうそれが正面になっています。

        • コンセプトメイキング20年

          僕はコンセプターという聞き慣れない職業でして、企業の経営コンセプトや製品開発などの企画を考える仕事をしています。 平たく言うと作家やアイデアマンのような感じ。 基本的には裏方に徹するので表に出ることはないのですが、なんだかんだで20年近くやってきました。 きっと皆さんがご存知のお店や製品なども手掛けていたりするかもしれません。

        LLFKというエッセイ

          オランダ

          2002年から3年留学していたのが大きいですが、 とにかくオランダ人の国民性が大好き。 オランダという国は国土の4分の3が海に沈んだ過去がある非常に珍しい国。 長年の干拓作業により国土は戻ったのですが、 この出来事がオランダ人の気質に大きな影響を与えています。 現地に行くとよく聞く言葉に 「地球は神が創造したかもしれないが、オランダはオランダ人が作った。」 があります。 例えば、法律を変えたりすることは、政治家の仕事ではなく民 衆が動けばいとも簡単にできる

          「Droog Designって知っていますか?」

          1995年。 それまで、実用的な物が良いとされていた製品デザイン業界に「コンセプチュアルデザイン」という旋風を巻き起こしたオランダのDroog Design。 Droog=Dryという意味の通り、オランダ人特有の楽天的なフォルム作りの中に、強いメッセージ性を込めた作品達を見て、僕は完全にノックアウトされてしまったのです。 当時のヒーローはGijs Bakker氏。 今も僕の神であり続ける存在。

          「Droog Designって知っていますか?」

          「焦げた灰皿から始まった、ものづくり」

          美大生の時に作った作品Smoky Ashtray。 焦げて穴が空いているんだけど、これ以上は燃えないようになっている灰皿。 これが僕のデザイン人生の全ての始まりです。 それから20年、今まで色々な製品開発に携わってきました。 クライアントさんのお仕事なのであんまり言えるわけじゃないんですが、まだまだ作るぞ〜! と、先日、初期のSmoky Ashtrayがメルカリに出品されているのを見つけました。 売れていて良かった笑。

          「焦げた灰皿から始まった、ものづくり」

          「名古屋、それは都会の顔をした田舎」

          僕はよく他県の方に紹介する際、敢えて愛を込めて「名古屋は都会の顔をした田舎です。」と伝えています。 東京の真似をしながら都会ぶっているうちに、自分達の足元にある歴史や本当の価値を忘れてしまい、新しい事を起こそうという精神力を失った永遠の三番煎じだと。 大学卒業と共に出てしまいましたが、今でも足繁く帰っては愚痴を言う。 でも、それはきっと、大好きな証拠なんですよね。 僕は、そこに育てられたのですから。

          「名古屋、それは都会の顔をした田舎」

          「記憶がほぼない、ロンドン」

          これから、9つの投稿で簡単な僕の自己紹介をしますね。 3歳から5歳位までロンドンに住んでいました。 1984年ですから、当時は日本人も少なくバスの中で泣き叫ぶ僕を指さして「あのイエローモンキーを大人しくさせろ!」とか言われたそうです。 色々大変だったそうですが、当の本人は全く記憶にないのが残念な所。 毎回訪れる度に、僕という遺伝子のベースを作ってくれたのはここなんだなと実感します。 LOOK RIGHT. 何回見ても写真を撮ってしまうのはなぜでしょうか。

          「記憶がほぼない、ロンドン」