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福岡正信メモリアル シードボール

粘土団子
福岡正信追悼
安曇野パーマカルチャー塾
農業実習
福岡正信の追悼を兼ねて粘土団子を作りました。
8/16が命日です

以前の粘土団子の記事
https://note.mu/kenjiusui/n/nb4f22b74aa8a

四国・愛媛で自然農法を提唱し日本の有機農業の発展に大きな影響力を及ぼした福岡正信氏が亡くなられた。95歳だった。
福岡さんは「自然には一切の人間に必要なものがすでに存在し、人間があれやこれや考えずとも自然の理を知り、それに従って生きることが本来の幸せである。」と考えられた。

http://ing-hompo.com/modules/post/index.php?content_id=32

BOOK紹介

『自然農法 わら一本の革命』福岡正信

世界に反響「わら一本の革命」

彼の農法は独特なもので、無農薬(農薬は使用しない)、不耕起(畑を耕さない。)、無肥料(肥料を与えない)、無除草(草をとらない)ことを原則とした。田植えもせず、豆科のクローバーなどを乾いた田んぼに撒き、それを肥料分とし、種籾を粘土に包んでじかに田んぼに撒いて、田植え機も使うことなしに稲を育て、稲刈り前に麦を撒いて、稲刈り時に足で踏みつけながら麦を植えつけるという一切無用の農法を考案した。
福岡さんは1913年、愛媛県・伊予市の生まれ。岐阜高等農林学校を卒業後、横浜税関に勤務した。20代の頃、病気を患い、闘病生活、どうにか回復し健康をとりもどすが、闘病生活の中で生きることのむなしさを感じ、仕事もしないでしばらく放浪生活をする。ある日、公園で寝ている時、朝方、公園の中からさっと、鳥が飛び立つのを見て、「あー一切は無で何も必要ない」と感じ、全ての重苦しい重いから解放されたという。
「人間はあれも必要、これも必要と悩み苦しむが実は世界には人間に必要なものの一切がすでに存在している。」そう感じた福岡さんは突如として、愛媛に帰郷し家の農業を継いで、自分の考えを農業の中で実践することを始める。ところが一切無用の農業を実践するということは、畑や田んぼは放任状態、親から受け継いだミカン園のみかんの木をほとんど枯らしてしまう。彼の一切無用の哲学の言動と行動は近所の人からも笑いものになり、家族も大変苦しんだそうだ。それでも自分の哲学を貫き、「有機農業」という言葉も存在しない時代から「農薬」を否定し、人々に嘲笑されることに耐え、種籾を粘土に包んで「粘土団子」を作り、田んぼを耕さずにじかに撒き稲を育てるという独特のやり方を考え出した。
しばらくして、彼の農法に多くの試験場の農業専門家が関心を持ち、大勢の人々が福岡さんの田んぼの調査に来るようにもなる。1975年に著書「わら一本の革命」を出版。本に書かれている彼の農法と一切無用の哲学は大きな反響を呼び、本は世界各国の言語に訳され出版され、彼の自然農園の山には国内を始め、世界各地の若者が自然農法を学ぼうと訪れるようになる。アフリカ、アジア各地にも呼ばれ、果樹や野菜など約100種類の種を混ぜた「粘土団子」を大地に振りまき、貧困地域に食糧を生み出す活動にも晩年まで活躍する。アジアのノーベル賞といわれるフィリピンのマグサイサイ賞やインド最高栄誉賞を受賞、日本有機農業研究会の設立にも関わり、有機農家にも有機農業技術発展の中で多くの示唆を与えた。

https://m.facebook.com/permalink.php?story_fbid=842991372513775&id=214997961979789

インドで福岡正信と出逢う
ヴァンダナ・シヴァの精神性の高さに出逢う

心地よい空間
みんなをハッピーにする空間
私が師とも仰ぐ福岡正信
その心を
インド ヴァンダナ・シヴァの
拠点ナヴダニアで体感する

写真はFukuakaと名ずけられた藁の家とFukuokaガーデン

曼荼羅ガーデンに
インド各州がネーミング
大根 菜の花 が咲き乱れ
分別を超えた
エデンの園がありました。

福岡正信の粘土団子に

明日を生きる全ての種がありました。
ハピーヒル 福岡正信の種も展示され
ライブラリーには福岡さんの本が3冊もありました。

1冊私の書いた本も置いてきました。

ヴァンダナ・シヴァには出逢えなかったけどヴァンダナ・シヴァの心に触れることができた。

リーダーはより高い精神性を形にして
人を育てるのが仕事なのでしょう

ヴァンダナ・シヴァの拠点ナヴダニア
2つの円型の建物の名前は
ガンジーと Fukuokaと名づけられていました。

福岡さんの建物はストロベール藁で出来ていて屋根は茅で葺いていました。

この地にも福岡正信が来て
藁一本の革命
無の哲学を伝えたようです。

福岡正信の自然農法の根底にある、無の哲学はインドで熱烈に支持されました。
福岡正信の自然を取り戻すには、人が自然に還らなければならないという思想はインドで実を結んだのです。

種の学校 農場 宿舎 自然エネルギー
持続可能 多様性 調和
心地よい空間でした。

今日は種の保存の仕方について学びました。

夕食はイタリアチームが
美味しい
イタリアンを作ってくれました

夜は火を囲んで
イタリアチーム送別交流会

動物鳴き声ゲーム
ワルリダンス

幸せなら手をたたこうを
真木チャンが日本語で歌い出し
オランダ語 スウェーデン語 スペイン語 フランス語 イタリア語 ドイツ語 英語と歌い継ぎました
言葉の違いが一つになった瞬間
選曲がとても素晴らしい一体感を生みました。

ジョンレノンは歌います
国がないということを想像してごらん
貴方と私の分別がない
一つだということを
個別の宗教も殺しあうということも
必要ない
全てが一つだということを

夢かもしれない
その夢をみてるのは
君一人じゃない
仲間がいるのさ

雷がなってポツポツと
雨が舞い始めたインドです。

雷は神が喜び歌う現象
これで虹が出たら完璧に祝福されている

国を超えて
草や虫 動物が生きられる世界は
調和して心地よい良いのです。
森の姿
善悪を超えた世界がここに在る

我らは
黒き土に伏し
真の草の
種まけり
宮沢賢治

ヴァンダナ・シヴァの拠点ナヴダニア

農場内を案内していただきました。
薬効のある木も植えられています。
以下インドコーディネーター
おかずさん記
「インドのアショーカ王は、至るところで戦争を経験したあと、仏教に帰依し、全国に『5本の木を植えよ』という触れを出しました。
1本は食べものになるマンゴーやりんごなどの果樹、
1本は木材となる木、
1本は薬効のある木、
1本は花を咲かせる木、
最後の1本は、燃料となる木です。
植えた5本の木は、未来の世代が使えるように、自分たちで切ってはならない。」
実際に木を植えるのと同時に、人々の心に、未来の世代を思う種をまいていたのだと思う。
おかずさん記す
ーーーーー
Nocoプロジェクト
ノコとはもう充分という
インドガンジャードワルリ族の言葉

日本語では足るを知る

You have enough

僕ら日本人の暮らしを世界中の人がすると地球が2個半必要なのだそうです
地球1個で暮らす生き方
右肩上がりでなく降りていく生き方です。
地球1つで暮らす生き方

One earth one love

梵我一如
そこに明日を生きる答えがある

ガンジーに銃を突きつけて
奴隷になるか
武器を持って戦うか
ガンジーはその両者も選ばずに
第3の道
無抵抗不服従
神の道を選んだ

福岡正信は東洋だ西洋だでなくて
それを越えた第三の世界が大事だと
神の道を説いた

私には夢がある
黒人の子供たちと白人の子供たちが一緒に学べるということを
キング牧師も
神の道を説いた

私には夢がある
インドの子供たちと
日本の子供達が
一緒に学び交流できることを
ノコプロジェクト
インドコーディネーターおかず
それは神の世界
幸せは善悪を超えた世界の中にある

種は陰陽が結ばれたもの
神の世界

種センターにはたくさんの種が保存されていました。
ハピーヒル福岡正信の種もありました。

一つの種は
生命の根源であり
私たちの生命に
繋がっている

種の学校には
丸い円型の建物が2つある
一つがガンジー
一つがFukuaka
それも男女に分かれた
ドミトリーの世界
それが一つになった時
神の世界に至る


オーム シャンティ シャンティ
シャンティー 🕉

インド ヴァンダナ・シヴァ
種の学校にて

この文をこの地まで導いてくれたたくさんの人達とノコプロジェクトのリーダーアッコさんと朋子さんに贈ります。
感謝を込めて

たなそえ
まことのり
ちのみちとおす

粘土団子と発芽
https://note.mu/kenjiusui/n/nf148bf5b4824


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