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日本長野の森で自分たちだけの楽園を作り、森の生活を広める夫婦を紹介する

https://note.com/kenjiusui/n/n2a3759aab0d2

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「日本長野、森になった夫婦」  
アラブのことわざでは、「日影を作ってくれる木は切らないで」という話があります。 自然に感謝する気持ちを忘れてはいけないという意味です。 
アルプス山脈が続く長野の安曇野。 
海抜 680 メートルのところに今日の主人公の夫婦が住んでいます。 「朝」  
瞑想で朝を迎える夫婦。 
自然を感じながら体と心をゆっくり目覚めます。 
毎日変わる朝の空気と季節の変化を感じながらエネルギーを充電する時間です。   
「種バンク」  
農夫の臼井健二さん。 
農夫に大事なのは一粒の種です。 
特に在来種の種を大切にする健二さんにとって特別な倉庫があります。 
藁で保温と断熱効果を高めたここは種バンクです。 
約 200 種類の在来種の種がここに保管されています。 
毎年、自ら採集してきた、農業の基になるものです。 
  
「庭の畑」  
しかし、どこが森で、どこが畑でしょうか。 
健二さんは自然農業を行っていますが、 
土を耕したり、雑草を取ったりもしないです。 
森と畑の境界がない健二さんの畑は、共存と共生の場です。 
お互いを排斥したり、競争したりしない自然の理に従うだけだと言います。 
朋子さんがお昼の食材を探しているみたいです。 
小さなジャガイモは思わぬ収穫です。 
雑草の中での宝探しが楽しいですが、 
一日三食のメニューは、夫婦が決めるのではなく自然が決めると言います。
「食事」  
夫婦は食べ物を自給自足します。 
家畜を飼っていないので、野菜が中心の食事です。 
体にも良いし、森を汚す心配もないです。 
調理法が簡単なので急ぐ必要もないです。 
調理の時間が短いのでその分余裕があります。 
日本語で「忙しい」という言葉は、心を失うという意味らしいですが、 ここでは、心を失うことはないと言います。 
その故、この家は心の平和を意味する「シャンティクティ」です。 
朋子さんは味噌や醤油も自分で作っています。 
有機の豆に心を込めた味噌は、最高の健康食でしょう。 
自然が作ってくれた聖餐です。 
夫婦は食事の度に自然の苦労に頭が下がります。 
森の中での日常は、時間に縛られないです。 
夫婦はまさにそのような人生を求めて都市を離れてここに来ました。 
健二さんが森に来た 1970 年代は、日本の経済が急成長した時代でした。 皆がチャンスを求めて都市に向かう中、健二さんは故郷の森に足を運びました。   
「ホビットの家」  
お住まいと食べ物まで、自分の手で作りたかったと言います。 
森ではお金をかけなくても建築材料が手に入りました。 
そして、約 300 人の人々が知恵を絞り、手助けをしました。 
素手で家を建てた経験は、健二さんにとても大事な資産になりました。 
アスバックに土を入れて漆喰を塗ったこの建物は、そのおかげで独特なインテリアになり ました。
弁当を持ってきて一緒にこれを立てた知人たちとの思い出は、ここをより特別な空間にし てくれます。 
ホビットの家は、森を体験するために訪れた人たちの子供の遊び部屋として使われていま す。 
費用は特に決めずに、それぞれの人にお任せしています。 
「木工の作業場」  
健二さんがお見せしたいまた別の空間があるらしいです。 
農業の合間に木工の作業をするところです。 
何か新しい物を作るとドキドキすると言います。そのためにここは作業場ではなく、遊び場 らしいです。 
今日は妻の朋子さんに頼まれたことがあるみたいです。 
数十年の経験を持っている健二さんにとっては簡単な作業ですが、 
しかし、適当に作ることはないです。 
人生は失敗を乗り越えて行く旅です。 
一から十まですべてを素手で作らなければならなかった健二さんにとって、作られなかっ たものは必要なかったものだけでした。 
家の中をいっぱい埋め尽くすよりは、自然に取り除く生き方になったと言います。 
生きていく中で必ずしも必要なものはそんなに多くはなかったといいます。 大事なのは物質ではなく、心の豊かさだということに気づいたと言います。 
この扉はリンゴの箱で作りましたが、このように自然の素材は再活用できるのが長所です。   
「雨」  
今年の夏の最後の梅雨が涼しく降ります。 
農夫に片手を置いてしばらく休んで下さいという天の贈り物です。
雨が止んだら作物がもっと伸びているでしょう。 
雨水を生活用水に使っている夫婦にとってもありがたい一日です。 
「田んぼ」  
健二さんの田んぼにはアルプスの山が広がっています。 
機械を使わずに手だけで栽培をするのにちょうど良い広さですが、 
ここから夫婦が食べる 1 年分の米がとれます。 
作物は農夫の足跡を聞きながら育つという話を健二さんも信じています。 
「笹の葉」  
朋子さんが道もないところへ朝の散歩に出かけた理由は、 
この笹の葉が必要だからです。 
生きていく全ての知恵を森で再び学んだという朋子さん。 
ここに来る前までは人生の楽しみが分からなかったと言います。 
地元が大阪だった朋子さんは都市での生活が合わなかったです。 
コンクリートに囲まれた都市での生活はいつも息苦しかったです。 
都市で失っていた笑いを森で見つけられました。 
森では日常が単純そうに見えるが、逆に躍動感があふれていると言います。 毎日、ほどほどの仕事が待っているからです。 
この味噌は去年の春に漬けたものです。 
毎年の春に味噌を作りますが、1 年以上熟成すると深みが出ます。 
笹の葉が雑菌を防いで、風味を高めるでしょう。 
そのおかげで、一年中おいしい味噌が食べられます。 
  
「森の学校」  
一週間に二回、この森を訪れるお客さんがいます。 
町の子供たちが健二さんの森の学校で自然を学びに来ます。 
レンガを作る材料は土と水、そして藁です。 
ここに来てから、子供たちはパソコンのゲームよりもっと自然を楽しむようになったと言
いますが、 
新しい経験を前にして子供たちはためらったり躊躇しません。 
これから枠に入れて形を作り、固めれば完成です。 
自然を活用して何かを作る経験は、子供たちに達成感と自信をもたらします。 そして、将来、子供たちが自分の人生を生きていく上での原動力になるでしょう。 
皆が力を合わせたら難しいことはないです。 
子供たちが協同で昼ご飯を食べる準備をしています。 
何か騒いでいますが、子供たちがミスを起こしたらしいです。 
ミスは悪い事だけではありません。また新しい学びのチャンスになるからです。 
半分に割った竹は昼食事に必要なものです。 
昼のメニューは流し素麺ですが、竹に流される素麺を取って食べる、夏の風物詩です。 
ともに過ごす間に、子供たちだけが学ぶわけではないです。 
健二さんも子供たちを通して枠にはまらない自由さと冒険心を学びます。 
「夜の部屋」  
最近、朋子さんに新しい趣味ができました。 
糸車で糸を作り、それを使って布を作って服を作りたいと言います。 多分、長い時間がかかるでしょう。 
森の中の静かな夜は、何かに集中するのに適している時間です。 
闇の中の真夏の森は蛍が躍る光の庭になります。 
「竈」  
健二さんが朝早く、窯を作るために来ました。 
この前、子供たちと一緒に作ったレンガが乾く前に基礎工事をするつもりです。 加賀さんが手伝いに来ました。 
健二さんも加賀さんも建築の専門家ではないですが、むしろアマチュアの方がメリットが あると言います。
窯を作る材料も全部森から調達します。 
何時か、人影がなくなり、歳月の重さに崩れても再び自然に戻る材料です。 自然の材料だけを使うことは、手間がかかり、時間がかかることです。 勿論、コンクリートを使えばもっと早くて便利でしょう。 
ところが、重要なのは速度ではなく、森を壊さないことです。 
何かをゆっくり、丁寧に作ったことがある人はそれを大切にして、愛情を持つでしょう。 今日の作業はここまでです。 
「庭;ハブのペ-スト」  
森では時間に追われることはないです。 
ただ、ある瞬間を逃すと残念な時があります。 
野原でよく見かける野生草を、普通、雑草と言いますが、実は体に良い薬草だそうです。 
朋子さんはハブと野生草で様々なソースを作ります。 
季節ごとに旬の食物の強い生命力を口にしているおかげでしょうか。夫婦は病院に行くこ とがないぐらい元気だと言います。 
新鮮な野菜は生で食べたり蒸したりして食べますが、朋子さんはどうやったら新しい食べ 物ができるかいつも工夫をしていると言います。 
野生草ペーストは果たしてどんな味でしょうか。気になりますが。 
自分で食べなければ分からないその味は、夫婦が森で味わう最高のご褒美です。 
「種」  
都市の人は給料日が一番楽しみと言いますよね。 
健二さんにとって、その位の楽しみの日は種をとる日です。 
種をとる時は自然に対する感謝の気持ちになります。 
今日、とれた「のらぼうの種」は関東地方の在来種です。 
種バンクの財産がまた増えましたが、実は健二さん夫婦にとっては僅かだけで十分です。 残りは、在来種の大切さをよく知っている周りの人々に配ります。 
 
「森」  
夫婦が実践する生き方はすべて森から学んだことです。 
お互いに競争しないで調和して生きる、持っている物を惜しみなく分ける。 夫婦はそのような森の心に触れ、自分達も森の心に似ていくものだと言います。 種を植えて、再び自然が返してくれた種を分かち合って生きていく夫婦は、 すでにその願いを叶ったのではないでしょうか。 
明日の芽を咲かせる夫婦がいるから森の緑色は益々濃くなるでしょう。



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