移住先での暮らしのコツは「気軽に楽しむこと」【気仙沼市移住・定住支援センター MINATO 加藤航也さん】
地方で根を張って生きる人たちのホンネとリアルをお届けする「ケンジン」インタビュー。今回は気仙沼市移住・定住支援センターMINATOの加藤航也さんにお話を伺いました。
加藤さんは、東日本大震災をきっかけに宮城県気仙沼市と出会い、現在は移住経験者として移住センターを運営されています。
ご自身も気仙沼市への移住経験を持つ加藤さんが考える移住者としての心構えや、宮城県気仙沼市の移住事情について教えていただきました。
加藤さん
一般社団法人まるオフィスの常務理事をしています、加藤航也です。
移住の際のご相談を聞いて、それぞれの各専門機関や業者さん、地域の人につなぐようなハブの役目をしている「移住・定住支援センター MINATO」の窓口をしています。相談を受けるだけじゃなくて、もちろん気仙沼のPRとして移住フェアに参加させてもらったり。「お試し移住」という、気仙沼に来て生活を体験してもらうプログラムの提供もしています。
本日はよろしくお願いいたします。
「失敗したら帰ってもいい」。地域での暮らしには向き不向きがあって、気楽に楽しめる方が長続きする
加藤さんご自身はどうして気仙沼にいらっしゃったんですか?
加藤さん
僕は東日本大震災の震災ボランティアがきっかけです。
2011年の8月にボランティアに来たんだけど、そのときは大阪の大学4年生。東北って全く来たこともないし、親戚もいないし未知の場所だったんだけど、そんな初めて来たまちに熱い大人がめちゃくちゃたくさんいて。
気仙沼はボランティアもたくさん入っていたけど、「本当に元気にするのは住んでる俺らだ」っていうプライドを持っているまちに、「俺たちのまちは住んでる俺たちが復興させる」っていうことを本気で考えてる大人がいるとか、凄いかっこいいなって思って。
とはいえ今大変なこの時期に僕が来ても足を引っ張るだけだと思うから、一旦ボランティアで来た後は社会人として働こうと。でも旅行者でもいいから気仙沼市には関わり続けようと思っていました。
でも社会人3年目になって、自分の仕事のタイミングと、まちの盛り上がりがいい感じになってきて、逆にこれを逃したらもう気仙沼の変化のスピードが速過ぎてわからなくなりそうだなと思って「これは今だ!」と飛び乗って移住した感じです。
移住は勢い派ですか? 熟考することも大事だと思いますか?
加藤さん
おすすめになるかわかんないけど、でも勢いも大事っていうことはやっぱり伝えいます。
全く考えなしに飛び込んで勢いだけで来るのはやっぱり大変なので、「じゃあ、生活どうするの?」とか、「ちゃんと自分で生きていく」ということの覚悟を持ってるのかはもちろん必要。なんだけれども、それって別に東京で暮らそうが、地方で暮らそうが、大事じゃないですか。甘えて暮らせるわけじゃないっていうことはありつつも「失敗したら帰ってもいいから実際に住んでみて、壁にぶち当たったらその都度考えよう」という意味で、割り切りとか勢いは大事かなと思います。
相談しにくる方は、移住する覚悟を決めてくる方が多いですか。
加藤さん
結構、そういうところで悩んでいる人は多いなというのはとても感じます。
そういう時に僕らは「別に覚悟を持って来なくてもいいよ」って言うんです。合わなかったら帰ってもいいし、そこからまた別のとこに住んでもいいと思うし、もし自分に合えば居続けてもいいと思う。一生居なきゃいけないと思いすぎることはない。あくまで選択肢の一つだと思ってくれたらいいと思います。
でも、実際気仙沼に住むとなったら車がないといけないとか、自分で家探さなきゃいけないとか、それなりにちゃんとやらなきゃいけないことがある。そういう点での覚悟っていうのは必要かもしれないんだけども、合わなかったら帰ってもいいっていうぐらいの気持ちで来てくれたらいいんじゃないかなと思います。
そういう意味で、別に「私はここで一旗揚げるんだ」みたいな覚悟とか、あればもちろんそれは素敵なことだけど、そういったのはなくても別にいいのかなっていうか。地域での暮らしって絶対向き不向きがあって、気楽に楽しめる方が長続きするだろうなって。そういった意味で、背負いすぎるような「覚悟」は必要ないかなと思っています。
「やっぱり合わないな」と、別の地域に行く方もいらっしゃるんですか?
加藤さん
いますいます。でも気仙沼の場合、地域に馴染めなくて帰るみたいな人は、そんなにいないです。
でもやっぱり帰っちゃったり移住できないなって思ったりする人はいて、それは地域が合わないというよりかは、仕事の給与が上がらないとか、思った仕事が出来ないっていうような理由が多いです。なかには気仙沼の地元の企業に就職して、でも仕事が合わなかったから仕事は辞めたんだけど、気仙沼は好きだから別の会社で転職をして残り続けてるっていう方もいました。
なので、気仙沼をすごく嫌いになるとか、こんなはずじゃなかったって絶望して出ていくみたいなことはあんまりないかなぁ。
加藤さんがしっかり説明されているからですね。
加藤さん
いやいや(笑)。でも僕らの方からは、「不便なこともある」ということは伝えていて。
気仙沼の「移住者リテラシー」の高さの要因は歴史と成功体験から。外から来る人を受け入れる地域住民のチカラ
加藤さん
でも、それよりも地域の人が結構、移住者を受け入れることに慣れてることとか、外から来た人にも「いいねいいね」って言ってくれることが大きいかもしれないな。
僕らは勝手に「移住者リテラシーが高い」って言うんだけど(笑)。外から来る人が1年しか気仙沼にいないかもしれないし、学生さんだったら復学するって言ってすぐ帰っちゃうかもしれないし。そういうことを「あーまた来たね」とか、「またどうせ帰るんでしょ」、「でもまた来るよね」とか地域の人も恨めしくなく言ってくれる。
なぜ気仙沼の人は「移住者リテラシー」がそんなに高いのでしょうか?
加藤さん
2つあると思っていて。まず、歴史は関係してると思います。漁師まちなので、たくさんの人が船に乗ってくるんですけど、気仙沼の船だけじゃなくて、宮崎県とか高知県とか別のまちの船がたとえばカツオを取ってこっちに来る。気仙沼に魚の水揚げをして、次の漁に出るまではまちの中で過ごしてる人がそれなりに多いのかな。
気仙沼は元々気仙沼に住んで気仙沼で働いてる人の割合が県内でも一番多いんだけど、でも漁師さんみたいに、気仙沼で生まれ育ったわけじゃない人もまちの中にはいる。そういったこともあって「外から来る人を受け入れるのに慣れている」という歴史があるなってすごく感じます。
2つ目は、移住者との関わり方かな。東日本大震災だけじゃなく、それより前にも震災はあって、その度に外から来た人が復興を手伝ってくれたということを聞いたことがあります。
外から来る人が一緒にまちを盛り上げるということが昔も今も何度かあったということは、受け入れ力、つまり僕らのいう移住者リテラシーの高さに繋がってるんじゃないかなと思います。
引越し相談だけなら移住センターはいらない。人と地域とをつなげる「移住・定住支援センター」の役割とは
加藤さん
移住者リテラシーの話でもしたけど、やっぱり、そうやって外から来る人の力を受け入れる、そして信じてくれる人達がいるっていうのが気仙沼の1番の魅力だなって僕は思います。
実際6年くらいお仕事をされて、想いの面でなにか変わったことはありますか?
加藤さん
それで言うと、変わったことより変わってないことの方がパッと思いつくかなあ。移住センターを立ち上げた頃から、「移住はゴールじゃない。その結果まちがどれだけ良くなるということが目指すべきゴールだと思います。」ということを開所式の段階からうちの代表(当時のセンター長)は言ってました。
加藤さん
なので、例えば100人移住者がいたとして、それは移住した人の数自体が大切なのではないと思います。移住した人の中で1人でも2人でもまちの人達と一緒に協働するような、そんな人が移住してくれたらそれはまちにとって大きなインパクトになると思ってます。そんなふうに外から来る人を地域につなげて、移住した後もちゃんとその人が地域に溶け込むってことをこれからもちゃんとやりたいなと思ってます。
外から来る人と地域とをつなげる。移住したその先も考えていらっしゃるんですね。
加藤さん
やっぱり移住って言ってしまえばただの引越しなので、別に特別なことではないし。住まいを移すだけであれば、特に移住センターっていうものが無くても人は引越しできる。もちろんそういう人のほうが世の中多いんだけど…。
じゃあなんで移住センターが必要かって言うと。まちに来た後に自分の人生をより楽しく過ごすためにも、地域につなげたり、案内してくれたりする人が必要だと思っていて。受け入れた地域側もハッピーになるし、移住してきた人も「あっ!このまちで、この人たちと、やりたいことが一緒にできて良かったな」って思える。そんなふうに双方が元気になることを、移住を通して実現させていきたくて。開所式で代表が言っていたけど、それは今も全く変わらず、そういう気持ちで今もこの事業に取り組ませてもらっています。