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ライアー、うつくしい楽器

ライアーとの出会いは、山下りかさんを通じて、だった。
ルドルフ・シュタイナーの教え、考えに触れてみる、というワークショップで、りかさんがキンダーライアー(子供用に作られたちいさなライアー)を持ってきていて。
それを触らせてもらい、弦を弾いて音を出すことを体験させてもらった。
その時は、へぇ、きれいな音の鳴る楽器でかわいいねぇ(子供用のちいささ、ということもあって)、というくらいの感想しか持たなかった。
そのすぐ後に、りかさんがライアーの弾き語りをするライブを観る機会に恵まれた。
ライアーのぴんと張った澄んだ音に、りかさんの、聖母のような、静かだけれど芯のある、うつくしい歌声が合わさって、聴いていると身も心もきれいな水で洗われているようだった。
 
りかさんの奏でるライアーの響きとりかさんの歌声は、こちら側に押し迫ってくるような強引さが微塵もなく、
しんとした空気の中で、耳をよく澄まして傾けていないと、その大事な部分を聴きこぼしてしまいそうな、音だと思う。
それは、深い深い藍色の夜空のなかに点々と散らばっている、たくさんの星から発せられている白い光を音というものに変換したらこんな音楽が聴こえてきました、というような。

いつか、なにかの楽器(ギターやピアノなど。ちなみにギターは20代半ばの時にチャレンジしてみたものの、独学だったのもありすぐに挫折してしまった)で弾き語りというものができたら、すてきだろうなぁ、という希望を常々、持っていたぼくは、
このライアーという竪琴でなら、あまり声を張りあげる歌が似合わない声質(と自分では思っている)のぼくでも、弾き語りが出来るかもしれない、と淡く、その時感じた。

山下りかさんに、いつかライアーを弾いてみたい、とお伝えしたところ、僕の住んでいる街、鎌倉に、引っ越す予定があり、引っ越したらご自宅でライアーの個人レッスンをするので良かったら来てください、とお誘いいただいた。
念願叶って、ライアーレッスンを初めて受けたのが、昨年11月。
レッスンの中で、りかさんから、ライアーは元々はルドルフ・シュタイナーの考えに基づいて音楽で心身の治療ができるように、と、教わった。
ライアーの弦の周りを囲む木枠の部分を背中の、背骨の部分に当てて、音を鳴らして療法する、ということもなされていたそう。
ライアーの弦を指で弾いて音を出していると、
音を出しているのに、じぶんの中がしっとりと落ち着いてくる気がする。じぶんの中が静かになっていく。そして弾き終わった時には、なんだかすこし元気になっている気もする。
心身の癒しのための楽器、ということが、弾いていると実感としてよくわかるようになった。

初めのレッスンは、りかさん所有のライアーをお借りして、だったけれど、12月のじぶんの誕生日に、すこし奮発をして、自分用のライアーを手に入れることにした。
それくらい、これだ、と、感じるものがあった。
中古のものだけれど、前の持ち主が丁寧に使っていたとわかるような、ちょうど良いものが見つかった。
それからは、月に一度、レッスンに通いながら、日常の中のあいた時間に、ライアーをケースから取り出して、調音をして、ぽろぽろと弾いて練習をする、という日々がはじまった。
あいた時間に、楽器をすこし弾く、というのは、やってみると、なんとも心地よい。
練習を始めて9ヶ月経った今は、初めての弾き語りの曲に、挑戦してみている。
カッチーニの、Ave Maria。
Slavaという、カウンターテナーの歌手の歌うのをよく聴いていた、とても好きな曲。

今は、練習を重ねていって弾けなかった部分がすこしづつ弾けるようになっていくことが、とてもたのしく感じる。出来なかったことが出来るようになる、というのは人間の根源的なよろこびでもあるんだろうなぁ、なんて大きなことも感じたりする。



いつかおじいさんになったら、老眼鏡をかけて、朝のお茶を飲んだらそのあとにはひとしきりライアーを弾く、なんてことが出来たら良いな、と思う。
ぼくに似合う気がしている、静かな、楽器。

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