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ピンク色の絵本

「男の子がピンクやエルザを好きだっていいんです!」

この言葉が、Twitterのタイムラインに流れてきて、目を奪われた。
ちょうどそのころ、ぼくがピンク色の洋服を着ることについて、考えていたから。

上の言葉をtweetしていたのは、翻訳者の横山和江さん。
横山さんが最近翻訳された
「ジュリアンはマーメイド」という、アメリカの絵本についての言葉で、そのtweetには、小麦色の肌の男の子が、レースの長い布を腰に巻いてどうどうとポーズをとる場面の、穏やかなピンク色がうつくしい表紙の絵も、いっしょに載せられていた。
この絵本が、今のじぶんが読むのにすごく良いような気がして、さっそく注文をして、手にした。

ぼくは子どものころ、物心ついてすぐの頃にはもう、ピンク色が好きだった。
姉たちの着ていたレースが端についた小花模様の段々スカートがお気に入りで、抽斗から勝手に取り出して履いては、くるくると回ってスカートの裾がふわっと丸く広がるのがうれしくて、家族に見せて回っていた。

幼稚園に入り、生まれてはじめての社会的な場で家族以外の大人や子どもと接しなくてはならなくなって、
直接人から言われたのか?空気感を感じとってそう思ったのかはわからないけれど、いつしか、男の子であるじぶんが、ピンク色が好きだったり、姉たちが着ているようなかわいらしい服を着たりするのは、なんだかおかしなことなんだ、と気づくようになった。
ピンクが好き、というと、大人たちが微笑んではくれるけれど、困ったものねぇ、、という含みのあるような笑いをしているのを見て、その微妙な含みを、子どもながらに感じとっていたのだと思う。

小学校にあがる頃にはもう、ピンクが好き、と人前では口にしなくなったし、好きとも思わなくなっていた。
それは、ほんとうに好きではなくなったのか、成長するにつれて好みが変わっていったのか、好きだけれどそのことを隠そうとしているうちに忘れていってしまったのか、今となってはわからない。

今、の、数ヶ月前。
じぶんが普段着ている服装が、なんだか全然面白くなく感じられてきた。
白や黒、グレーや紺色などの、ただ無難な、面白みのない洋服をルーティンで着ているだけのように思え、そのこと自体が、すごくつまらないような気分の時期が続いた。
じゃあ、どんな服を着たら面白いと思えるんだろう。じぶんがわくわくするだろう?と、しばらく考えていて、ある日ふと、
カラフルな洋服を着てみたらどうだろう?と、考えが沸いてきた。
ピンクや紫や、きれいな黄色や、薄緑や…と、色とりどりの洋服を思い描くと、わくわくとした気持ちが生まれてくる。
そうだ、今この時にカラフルな服装をしてみるのは、すごく良いことな気がする!と。

そして、どうして今カラフルな洋服が着たいと思ったのだろう?と考えてみたらば、
幼少期にピンク色が好きだったけれど、それをいつしか抑え込んでしまっていたのではないか?と思い当たって、それを今、じぶんは解放したがっているのではないかな、と思った。

そんなことを考えていて、どんな服を着てみようか、こうなったら全身ピンク色のコーディネイトとかしてみようか!などと思っていた時に、
ちょうどこの、「ジュリアンはマーメイド」を紹介するtweetに出会ったのだ。
ぼくは、変わりたいと思っているじぶんに、この絵本と、きれいなピンク色のシャツとを、プレゼントすることにした。それは、子ども時代の、幼い「けんちゃん」へのプレゼントでも、あったのだと思う。

いったんピンク色のシャツを買って着てみたら、じぶんのカラフル欲(?)はなんだか満たされ、すこし色が加わっただけでも充分満たされて。全身ピンクコーディネイトの林家ご夫妻!みたいにはならなかった、けれど、うれしい気分が続いている。

「ジュリアンはマーメイド」は、幼いジュリアンが、おばあちゃんとのスイミングの帰り道に、マーメイド姿のお姉さんたちと出会い、そのきれいな髪の毛、きらめくドレスを見て、
おばあちゃんに「ぼくもマーメイドなんだ」、と打ち明けるところからお話がはじまる。

きれいな色調描かれたやさしい絵と、言葉少なだけれど、あたたかいメッセージが込められた、すてきな絵本。
一番初めに書いた、訳者の方のtweetの言葉のように、男の子だって女の子だって、どちらにも属さない子だって(さらに、大人だって!)、
みんなじぶんがほんとうに好きなもの、こと、服装、がそのままできると良いな、と思う。


ちなみに、ぼくが育った家では、ぼくがピンクが好き、と言っていても、気に入ってスカートを履いていても、両親は、かわいいねぇ!と言って、困るというよりはむしろ、よろこんでくれているような感じだった。(つまり、そのほかの、近所の人たち、まわりの大人たちとの関わりの中で、おかしなこと、笑われるようなこと、と察知していったのだと思う)。
両親が、男の子なんだから、と、注意もせずに、笑いながら育ててくれたことは、今思い返してもすごくありがたいことだったな、と感じている。だって、時代的には、男の子らしく!女の子らしく!と、強調するような空気が主流だったから。

この絵本を見ていると、子どもの頃のぼく(いまのぼくの中にいる)がほっとできるような、すくわれるような、そんな気分になる。




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