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ここまでの道のり #3 専門学校進学「夢から現実!」

専門学校進学してからの話です。

「きっかけの一言」

スポーツトレーナーを目指す専門学校は、私が探した限りでは福岡、大阪、東京にありました。
卒業後、どの専門学校に進学するか迷っていたとき、空手の稽古中に先輩の指導員から

「福岡に独立した後輩がいるから、空手を続けるなら声をかけてやる」

と言われ、それなら安心だと思い、福岡へ行くことを決めました。
その後、福岡の専門学校に資料請求し、オープンキャンパスに参加、受験し、合格しました。

「新しい生活のスタート福岡へ」

高校を卒業し、地元を離れて一人暮らしを始め、福岡での新生活がスタートしました。
授業、アルバイト、空手の練習と、もちろん個性あふれる友人たちと楽しく遊びながら充実した毎日を送ることができました。
洋食屋とイベント会社に登録し、主に現在のみずほPayPayドームでの野球の試合時の警備のバイトをしました。洋食屋のマスターは厳しかったですが、今となっては社会人としてのお金の価値や掃除の重要性など、彼の言葉の意味がよく理解できます。28年経った今でも、福岡を訪れてはマスターに会い、食事をします。

今でも食べるヤワラかつ定食

空手は続け、福岡にいる間に道場内の試合を含む3試合に出場しました。私が通っていた道場は師範が独立して新しく開いたばかりで、選手が少なかったため、師範と一緒に稽古をする機会が多くありました。
師範は全日本大会の常連であり、アジアチャンピオンで世界大会にも出場するほどの選手でした。彼の強さは当たり前で、ボディーブローを受けて背中が痺れ、立っていられなくなるほどの経験は今でも忘れられません。

福岡交流試合

「スポーツトレーナーデビュー?」

師範が全日本大会に出場した際、応援に行ったところ、スポーツトレーナーの勉強中だった私に試合でのケアやアイシング処置を任せてくれました。それがスポーツトレーナーとしての現場デビューだったかもしれません。
何の実績もない私を信頼してくれたことに、心から感謝しています。

授業では、スポーツトレーナーに必要な解剖学、生理学、栄養学、心理学、トレーニング理論、ストレッチ、スポーツマッサージ、テーピングなどを学びました。また、フィットネス理論、水泳、エアロビクス、レクリエーション、スキー研修、キャンプ実習、スキューバダイビングなど、多岐にわたる授業を体験しました。
専門学校では2年次になると、フィットネスインストラクター、スポーツトレーナー、幼児体育トレーナー、エアロビクスインストラクターを目指すクラスに分かれて専門的に学びます。
もちろん私はスポーツトレーナーを専門的に学ぶクラスに進みました。
特に、選手の怪我の処置や復帰のためのトレーニングを考えること、テーピング、スポーツマッサージ、ストレッチの授業が好きでした。これらは今の仕事にもつながっています。
学校にはトレーニングルームがあり、誰も使っていない時は自由にトレーニングができ、環境は最高でした。

専門学校で一緒にトレーニングしていた元ドラゴンゲートのJUN選手!彼はプロレスラーの夢を叶えた。


「現実的な就職活動」


2年次になると就職活動が始まります。当時は超氷河期で、就職先がなかなか見つかりませんでした。特にスポーツトレーナーとしてプロのチームや実業団に入ることは非常に困難でした。病院でスポーツトレーナーとして就職した友人もいましたが、それも狭き門でした。高校の進路相談で
「就職は?」「生計を立てられるのか?」
と言われたことを思い出します。時が経つにつれ、

「現実」


を直視し、将来について考えざるを得ませんでた。
しかし、就職先は見つからない。
せめて学んだことを活かしたいと思い、スポーツクラブを探しましたが、資料請求した段階で見込みが薄いところが多かったです。

「まさかの電話」


スポーツ業界(フィットネス業界)を諦めかけていたとき、地元のスポーツクラブからの1本の電話がきっかけで、欠員が出たため、働いてほしいとの連絡があり、そこから話が進み、就職が決まりました。

続く




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