9月5日と9月6日と9月7日のこと ~その5 夜の光、そして食い物~

さて。

その3あたりで書いたとおり、電気が断たれた今、自室の中に熱源はない。

なのに、前回調達した食品の中にカップラーメンが存在している。
お湯無しでカップラが作れるのか。

それが、作ろうと思えば作れるのである。

注ぐのは熱湯ではなく、まあ当然というか水。
事前に「カップラは水でも20分程度で戻る」と聞いていて、かつ数日前には実際に試してもいた。
まさか興味本位で試したことが、実際の被災状況で役に立つとは思わなんだ。

とはいえ、「カップラの水戻し」も、飽くまでも「食える」というレベルであって、お湯と同程度に「おいしい」というわけではないこともわかっていた。

買ってきたカップラは、熱湯で作った場合ややスープにとろみがあり、スープの濃度もやや濃いめのものだった。

20分くらいの水戻しで確かに「食える」くらいに柔らかくはなってくれたけれど、熱湯ではないのでスープの流動性が低くて食べにくい。
そして、油なのか香辛料なのかわからんが何かが上顎に容赦なくくっついてくる。

まずいとは言えないがうまいとは口が裂けても言えない。
そしてなにより、あまり快いわけではない。
しかし、贅沢なんて言えるか。
食わなきゃ死ぬんだ。体だけでなく心も。

何よりも、まともにものを食えたことが、心を少し緩ませてくれた。

9月6日の昼から日没までの間のことは、あまり覚えてない。

なにしろ当日の朝は揺れのショックであまり寝られてなかったから、寝てたんじゃないかと思う。

ただ、起きてる時間が暑かったことだけは覚えてるのだ。
当日は気温が25度くらいまで上がってたはずだ。電気があれば扇風機を回せるが、あいにく電気なんてない状況である。なので、扇子と乾電池式のちっさいちっさい扇風機で、なんとか暑さをしのいでいた。

今回の地震と停電が冬でなくてよかった、という声がツイッターではかなり聞かれたが、夏の暑さが真っ盛りの時期でなかったのも幸いしてるのではと思う。
北海道の場合は本気で人を殺しにかかる寒さと比べると暑さなどそれほどでもない、と多くの人はお思いだろうが、ゆうても北海道の人間は暑さに弱いし、内陸部では年に一回二回くらい全国でいちばん暑くなるようなところもあるのだ。

ともあれ、夜がくる。電気が戻らないまま夜がくる。
部屋も徐々に暗くなっていった。

発生直後に外に出たときに使ったミニ懐中電灯(というかサイズ感はペンライトに近い)は、点いた状態で使ってない500ml透明なのアクリル水筒の中に、底を向けて入れた。水筒の周りをキッチンタオルで覆い、蓋を閉め、透明な底を上にして置く。
上向きの光は天井を照らし、部屋全体をほんのり照らすし、横に漏れた光もキッチンタオルがキャッチして、ほのかにだが灯りとして機能する。簡易型のランタンみたいな感じだ。

ただ、それだけではこころもとないので、スマホのトーチも使う。V20 Proのトーチを起動し、同じく天井に向ける。

灯りがある、というのはいいことだ。
灯りがあるとないとでは、全然違う。

もともと、寝るときでも基本電気をつけっぱにしてしまう自分だから、なおさらそう思うのかもしんないけど。

そういえば、部屋の片隅から、手回し式のラジオつき懐中電灯を引っ張り出していたのだった。数年前にダイソーで買ったもので、ろくすっぽ使ってなかったものだ。
とりあえず少し、一分くらい手回し充電をしてみて、点けてみた。
光る。なんとか機能はしてるようではある。しかしすぐ消えてしまう。もしかしたらもっと回して充電したらもっと長く光るのかもしれないけど、あまり体力は使いたくない。
手回し懐中電灯は、飽くまでも非常手段としてとっておくことにした。

ほのかな光の下で、買っておいたレトルトのお粥を開ける。
幸い調味料はいくつかあり、お茶漬けの素まであった。お粥にお茶漬けの素をぶっこみ、よくかまかして、スプーンで頂く。
暖かくはない。ただ、水戻しのカップラよりはわびしさを感じない味だ。

スマホ(ワイドFM)でSTVラジオを流していたが、当日の日ハムの試合がなくなったことにより、地震関係の特別番組が流れていた。

特別番組といっても、堅苦しいものではない。インフラ情報だけでなく、リスナーからの投稿を読んだり、ときにリスナーと電話でつないで、軽妙に会話したり、といったものだった。

ラジオをこんなに長いこと聞くのは久々だった。
ご多分に漏れず、自分も中高生時代にはよくAMラジオを聞いていた。昔よく聞いた声も、時折聞こえてきた。
ただ、懐かしさがあったのかというと、そういうわけでもなかった。
懐かしさより、困ってるのは自分だけではない、というのが実感できると、こんなに楽なのか、という思いが強かった。

灯りはあるから不安ではない。ただ、いつもよりは圧倒的に暗い。
これで安心、とは口が裂けても言えない。
時折、大きくはないが余震もある。
やることもない。

そして悪いことに、調子こいてこまめにスマホの充電に使ってたモバイルバッテリが力尽きた。

幸いスマホ側のバッテリ容量はまだそこそこ残っていたものの、それらも使い果たせばもう後はない。

情報源が断たれること、予備電力が断たれるということの絶望。

ていうかそれ、自分のやらかしのおかげではあるんだが。
うっかりDLしてたGoogle Playの映画を観てしまったことを、今更後悔しはじめた。

ただ、悪いことばかりでもなかった。9月6日の夜あたりで、携帯の電波が復活しはじめたのだ。

それがキャリアさんがやってくれたことなのか、ここ以外のどこかで電気が復旧したことによるものなのかはわからなかった。

電気もその他インフラも、何もかもが、自分にはどうしようもできない。
ただ祈るしかなかった。

内も外も闇に支配された中、祈るような気持ちと緩慢な焦燥を体に満たしたたまま、自分はいつしか眠ってしまっていた。

いかん、寝落ちした。
暗いのが苦手なので実はいつも電気はつけっぱなのだが(だから深夜の停電にも気づいた)、このいつものクセで貴重なスマホの電源まで無駄にしてしまうとは。
目覚めたときには、点けたままだったV20 Proのトーチが消えていた。バッテリは(正確には覚えていないが)20%くらいまで落ちていた。

ZenFoneのラジオもつけっぱだったが、幸い通信を切ってラジオのみにしたたおかげで、まだラジオを鳴らせていた。バッテリは半分以下にはなっていたが…

朝一で、地震発生以後ちょこちょこと届いていた会社の災害時同報メール(安否確認を兼ねている)を確認する。

まだまだ電気の復旧も完全でなく、交通機関も動いていないことから、9月7日も自宅待機。

9月7日は金曜日。今日が休みとなれば四連休である。
だが、災害でインフラが断たれた状況で喜べるはずもない。
それに、ただでさえ祝日の多い今月なのだ。祝日が暦どおりの自分の部署においては、あまり嬉しくないことである。

そして落としておいたブレーカを上げてみる。

まだ、電気は戻らない。

起き抜けに、トップバリュのはっか飴をなめる。
昨日確保した食料はもうない。幸い300円ほど金は残ってるし下ろせばまだあるわけだが、まだどうなるか状況は不透明だ。
全道で止まってた電気が徐々に復旧しつつあるとはニュースから聞こえてくるものの、どこまで楽観的に見ていいものか。

…そういえば、カセットコンロとかなかったっけ。

頭の片隅にほこりをかぶったまま放置されていた記憶が、今更、かつ唐突に、自らほこりをはらってすり寄ってきた。

あまり多く使ってなかったが、カセットコンロがあったはずなのだ。
とりあえず、まだ覚めきってない頭から「たしか押し入れに入れといたはずだ」という記憶を引っ張り出し、押し入れをまさぐる。あまり体力を使いたくないから、奥まで捜索しないと面倒なことになるなぁ、と不安になりながら探していたら…

…あった。わりとあっさり見つかった。
しかも一本だけボンベもあった。
やった!熱源だ!
飯だ!
おれは今プロメテウスになった気分だ! いや、プロメテウスに火を授かった人類になった気分か?そんなのはどっちでもいい!

カセットコンロにボンベをセットして、ダイヤルを点火の位置に回すと、「カチッ」という小気味いい音とともに透き通った青色の炎が上がった。
点火することを確認したら、一旦火を消しコンロにフライパンを置いて、スパゲティと水を入れ、火にかけた。
水の量が少なければ茹でこぼさずにそのまま炒めることも出来るし、水の量をさらに多くして茹で汁が残るようにすれば、めんつゆとかで味付けして「煮込みスパゲティ」にも出来る。
とりあえず今回は煮込みスパゲティにする。茹で時間が長ければそれだけ量も増える。可能な限り腹を膨らませたかったのだ。
とはいえカセットボンベ一本では心許ないので、沸騰して麺が多少柔らかくなったところで火を止めて、蓋をして放置した。そうすれば余熱で麺は戻ってくれる。

そんなこんなで十数分後に出来上がった煮込みスパゲティを食す。いつも食ってるものなのに、異様なほど旨い。そして安心した。

腹が膨れるにつれて、生きた心地というものがじわじわと戻ってくる感じすらした。

とはいえ、まだ予断を許さない状況ではあったのだけれども…


ちなみに、カセットコンロが押し入れに突っ込まれたまま長いこと使われてなかった理由だが、「初めて使ったときにガスのセットに失敗してやけどしかかった」ためであることを、生活が戻り始めたあたりで思い出した。そういう理由で、それまでずっと記憶から消えかかっていたのかもしれない。

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