シネマ小並館 その9:信頼がもたらす自由 『ヒックとドラゴン』 星3.9 (2についてもちょっとだけ)

先月くらいにちょっとした事情でGoogle Playにてレンタル視聴したら見事にツボってしまい、いつか買い切りで買おうかと思ってたらdTVの見放題配信に入ったので嬉々として再見。

時々ドラゴンの襲撃を受けるバイキングの島で、ヘマばかりの鬱屈した日々を送る貧弱少年ヒックは、ある日誰も姿を見たことがないとされるドラゴン『ナイトフューリー』を手製の機械で撃墜する。とどめをさせずにいるうちに、手負いで逃げることもできなくなったそのドラゴンと心が通じあい、他の村人が抱くドラゴンの印象とは別の一面が見え始めるが、同時期にドラゴン退治の訓練、そして父(族長)のドラゴンの巣の探索・掃討がはじまり…というお話。

主人公のヒックは『変わり者でひ弱で、人の言うことをあまり聞かない。注意力も散漫』なキャラとして描かれる。例えると『「ドラえもん」ののび太を斜に構えたキャラにした』感じだろうか。だいたい人と違うモノを見ていて、興味のポイントがズレてる、みたいな。
どうも、ヒックと自分を重ねてしまいがちになってしまう。『人とはズレていて、時に人から理解力のないダメ人間的な評価を受ける』あたりが、自分に似てるなぁ、と思うのだ(まあ、自分はヒックほど作図や工作に優れた能力があるわけではないんだけど)。

冒頭で彼が見せる『みんなといっしょのことをやって名をあげたいが、全くいっしょに、というとそういうわけでもない』という欲求や、『受け入れられたいんだけど、どうも、わかってもらえないんじゃないかなーと想定してちょっと皮肉っぽいキャラを演じてしまう(でも基本は素直)』みたいな態度。なんというか、中二病的にも見えるんだけど、背伸びしたいという気持ちでなく、ズレている結果こうならざるを得ないような感じというか、ミスマッチな理想像と否定的な自己像にとらわれてるというか。

そんな彼が、ドラゴンを見たり触れたり仲良くなったりする過程で、実は今までのドラゴン観と実際のドラゴンの生態は違うのではないか、という疑問を持ち始める。しだいにそれは確信となり、いままでぼやけていた彼の自己像がはっきりとした像を結び、進むべき道が明らかになってゆく。 訓練でドラゴンをてなずけ、 村人から受け入れられ、飛べなかったナイトフューリー『トゥース』にお手製の『義ヒレ』を作ってやり、大空を駆ける。
そして彼は後半、大衆の面前でこう言う。『僕はみんなとは違う』と。『バイキングはかくあるべし』という枠にとらわれつつも、みんなといっしょのことがなかなかできなくて、でも混ざりたくてたまらなかった彼が、自らの立ち位置を認識し、自らの意志で『みんなと違う自分』を選びとることを宣言する。

この映画は、端的に言うと、ヒック自身が、そして彼の住む村が(そしてドラゴンも)自由を得る過程を描いた映画ではないか、と思っている。
抑圧や恐怖からの自由、というのもあるが、それ以上に『ヒックの否定的な自己像からの自由』でもあり、『別の道を選びとる自由』でもある。

ただ、その自由も、ひとりで成し遂げられるものではない。きっかけはトゥースだったし、『みんなとは違う』と宣言したあとの苦難を乗り越えられたのも、アスティが彼を信頼して背中を押してくれ、またほかの若者たちがついてきてくれたからである。そして最終的に村がドラゴンの恐怖から解放された(?)のも、ヒックとトゥースの信頼関係の延長線上にある。
最終戦後に、トゥースがヒックを支えるシーンがあるが、そこがまた象徴的なシーンとなっている。

この映画の一つの見所が、トゥースとヒックのフライトシーンだろう。広い空を自由に駆けるスピード感や爽快感もさることながら、ヒックがトゥースとまさに『人竜一体』となって駆けるところもいい。このフライトシーンも、『信頼がもたらす自由』の一つの演出になっているようにも感じる。

それにしても、この映画に出てくるドラゴン、異様なほど『猫っぽい』。トゥースの姿なんて黒猫そのものだ。あの黒い体にちょっと黄緑がかった目。魚を吐いてヒックに与えるあたりなんて『あー!この吐き方どう見ても猫だwww』ってなる。
ただ、いちおう簡単な社会性を持ってたり(いちおうボスのようなものがいる)、悪意のない接触を続けることで人を信頼して慕ってくれるような性質も持っていたりと、多分馬とおなじくらい知性のある動物のように描かれている。
ドラゴンが神性を持った超自然の存在とか、純粋な邪悪の象徴だとか、社会性昆虫のようなシステムに則って動くだけの生物とかではなく、『飼うと人懐っこくもなってくれる動物』であるというところが、一つのポイントなのではないか。
そんなドラゴンの生態がヒックによってひとつひとつ明かされ、それがトゥースとの親密度の高まりと、バイキング内での評価の高まりをもたらす、というのもいい。しかもそれが『相手は理解不可能で憎むべき存在』であるという観念をつきやぶる楔となったのだから。

星は5つ中3.9。実は大人にこそ観てほしい、と思ったり思わなかったり。

ヒックとドラゴン2について

ちなみにこの映画、日本ではビデオスルーとなったが2が公開されている。自分も2を観たのでその感想をちょっと書いておく。
正直に言うと、2も確かにおもしろいんだけど、ちょっと個人的にはキツかったなぁと。1と比べると都合のいい展開というか無理のある後付けが多い。いくら1のころからヒックとストイックが『普段まともに会話できない』とはいっても、過去にそういうことがあったというのが2でストイックから明かされるのって後出しジャンケンもいいところではないか、みたいな。
あとマズいのは、最初のヒックの『何かほかに方法はあるはず』という考えが終盤で完全になかったことにされるところ。ラスボス(人間のほう)にもいろいろな悲哀があり、なのにバーク島関係者からは『あいつは話の通じない男だ』と言われつづけてて、そこを1でドラゴンと心を通じ合わせたみたいに『それ以外の方法』でなんとかするのかなーと思ったんだが、あんな終わり方でおしまいおしまい、というのが釈然としない(ベイマックスでたとえると『ベイマックス…やっつけろ!』のシーンでバーサクモードのベイマックスが教授を殺してそのままどっとはらい、みたいな感じ)。それがヒックにとってのなんらかの苦悩や後悔になるわけでもない、というのも。まあ、現実というのはそういうものだ、といってしまえばそれまでなんだが…
あと、最後あたりでトゥースが『やってしまう』シーンがあるんだが、そことその後の和解のところも、いろんな描写が不足していてもにょってしまう。
でもなんだかんだで『婚約の踊り再び』のシーンは好きだったりするのよね。

一度しか観てないからアレだけど、星は暫定で5つ中3。フツーに楽しかったけど、話の内容的に1みたく二度三度観たいという気にはなれない。

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