書くべきことなどもうないのだろう(か?)。
どうも、ブログは長続きしない。
昔から、ブログがなくWeb日記だったころからそうだ。
というか自分、長文を書くのが苦手らしい。
ツイッターはもう何年もやってるから文章を書くこと自体苦手ではないらしいが…
…長文がダメらしい。
集中力がもたない。疲れてるくる。
幼い頃は小説家志望だったけど、自分の長文嫌いが露呈したのはホントについ最近だ。
なぜ今まで気づかなかったのか。
自分には『書きたいことなど何もない』、ということに気づいたのもつい最近である。
ブログのタイトルもそれにしてるが、やっぱり『書きたいことなど何もない』ので絶賛放置放置中、である。
いや、正確に言うと、『書けること、書くべきことなどもうない』のだろう。
中学高校の頃は、書きたいことがあったんだよ。
いまでも、自分の頭の中には想像妄想各種ぎゅうぎゅうに詰まってたりもする。
でも、残念ながら人並みなんだよ。
おれがティーンエージャーだったころから、自分の想像は人並みだった。
それに気づかずに、いつかおれは新聞に小説が連載されるような小説家になってやる、とかいきまいてた。
でも、努力はまったくしなかった。しようとしてたが、長文がかけなかった。
書こうとすれば書けるけど、あちこち話が飛躍したり、支離滅裂の様相を呈してくる。
小説の書けるような、まわりに小説家志望の人間でもいたら、もっと努力できたか、なおかつもっと早く絶望できたはずだ。
…なんて、おそろしく自分本位他人本願寺的なことも時々考える。
あと、十代のころなんて、自分を正しく捉えようと苦闘するのでせいいっぱいだったしな。キレる少年と化して心療内科通いをさせられたのも今となってはいい思い出。
努力をしなかったのが七割くらいで、残りの三割は、努力の仕方がわからなかった。努力の仕方を探しあてられるまで、もしくは努力ができるようになるまでの努力がうまくいかない。みたいな。
まあ、これも努力しなかった言い訳でしかないんですけどね。
努力できるやつは、自分が何者かとか、努力の仕方はどうすれば、なんて考えて思い悩んであさっての方向に進む前に、やりたいことをしっかり見据えて努力してるんだろう。
(この時点で早くも支離滅裂になってきてるんだよなwww)
結局、おれは人並みの想像力しかなく、集中力が人並み以下で、なおかつ努力しなかった。
それを悟った時点で、おれからは『書くべきこと』などなくなってしまったのだろう。
後に残ったのは、脊髄反射でなんか書いてみせるだけの、賢しいように見えるバカ。何の変哲もない、いち愚民である。
でもね。
いち愚民でも、何も書けないわけじゃない。
もう一つ書き忘れたけど、 本当の絶望を知らないのか、 おれはあきらめがすごい悪いらしい。
だから、本当に絶望するまで、どこかでなんか書いてるんだろう。
というわけで、前から気になってたnoteとやらを始めてみようと思います。
…………しかし、どうしてblogとか始めるときに、おれはこういうステートメントから書き始めるんだろう。
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