シネマ小並館 その6:止まり木から飛び立つ女と落ちる男 『ラストタンゴ・イン・パリ』(星3.2)

dTVで視聴。前に同じベルトルッチ監督『シェルタリング・スカイ』を観てたので、流れでこれも観ておこうと思って観た次第。

フランスはパリ。とあるアパートの空き部屋で出会い、交(まぐ)わった中年男と若い女。それをきっかけに同じ部屋で、ただの男と女として何度も逢瀬を重ねる。男には妻に自殺されたという事情があり、女は恋人から求婚されていた。そしてそのうち二人の心はすれ違い、悲劇的な最後が…という話。

前回に引き続きまたおっさんをほめることになろうとは思わなかったが、主役(のひとり)のマーロン・ブランドがいい感じの哀愁を漂わせている。なんというか、人生に疲れてる感がすごい。酸いも甘いも知っているような雰囲気を漂わせておいて、女との逢瀬のときには無邪気でわがままな一面を見せる。
…ただし、後述するように、最終的には子供がえりしたかのような情けなさをも見せる。

そしてもうひとりの主役のマリア・シュナイダーもかわいらしい。ただ、かわいらしいからといって弱々しいわけでもない。はじめのほうで、ジーンズに上半身裸で男とじゃれてるのが個人的に好き(なぜか上半身裸+ジーンズというかっこが個人的に好きだったりするのだ)。
マリア・シュナイダー、セックルどころかアナルセックスまであるこの映画に出たおかげでその後は散々だったらしいけども、存在感はマーロン・ブランドに負けていない。

男と女(劇中では名前が出てくるけどあえて役名ではなくこの表記で)の逢瀬は、無駄話か、肌と肌の触れ合いか、ケンカに終始する。しかも突然男が女の肛門を犯したり、逆に男が女に肛門を責めさせたりもする。
男と女にとっては、逢瀬は止まり木のようなものであったんじゃないかと思う。 どこでもない場所で、誰でもない誰かと過ごす、いつでもない時間。

実際には、男と女にとってというより、おもに男にとって、ではあったが。
未来も、ほかに縋るものもあった女と、両方を失った男。その差が彼と彼女の運命を、不可逆的に決めてしまう。女は止まり木から飛び立ち、男は落ちてしまう。

個人的には、ポール(男)が自殺した妻に縋りついて嗚咽するところがすごく印象に残った。先に観ていた『シェルタリング・スカイ』でもかなり似たシーンがあったからかもしれない。

シェルタリング・スカイでは、妻が死にゆく夫に泣き縋ったあと、放浪することになる。その姿には(ほかに縋るものを見つけたかっただけというようにも見えなくはないが)心細さとともに、ある種の強さ、しぶとさを感じた。
しかしこの映画では、ポールは縋るように泣いたあと、最高の情けなさを見せる。もう情けないのなんの。妻の後を追うこともできず、かといってこの世界でとりあえず生きるということすらおぼつかない感じ。
そして、まるでなにかをねだる子供のように、女に縋り続けようとする。彼女はもうあの止まり木から飛び立とうとしているのに。

ちなみに、死んだ妻に泣き縋るシーンの直後に、年増女がポールの宿の部屋を時間借りようとして一悶着するシーンがあるが、その年増女の崩れた化粧がすごく骸骨みたいに見える。しかも旦那がいるらしいのにそれなりに若い男を連れ込もうとしている。立場的にはポールとほぼ同じだし、骸骨っぽく見えるというのが何らかの暗示のように見えてくる。

あと、個人的にはガトー・バルビエリの劇伴がかなり好き。むせかえるほどの哀愁の1/3は劇伴が醸し出してるんじゃないかと思ったり思わなかったり。

星は3.2くらい。なかなか楽しめた映画。ときどき思い出したように観る映画になりそうな気がする。というかやっぱりマーロン・ブランドとマリア・シュナイダーがいい。

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