9月5日と9月6日と9月7日のこと ~その2 信号は消えるが新しい朝は来る~

凄まじい揺れに叩き起こされたときには、すでに電気は消えていた。

なにが起こったのかよくわからないまま、とっさに手元にあったもので頭をかばい、激しい揺れが収まるまで待った。

ワンルームの自室全体が悲鳴のようにきしむのをやめるにつれて、かすかな電子音が聞こえてきた。

…ヴィ、ヴィ…ヴィ、ヴィ…

「地震です」

言われなくてもわかってる、と思いつつ、真っ暗な部屋の中、エリアメールの警告画面を頼りにスマホをたぐり寄せた。

とりあえずスマホのトーチ機能を起動させ、手元をはじめとする照らす程度の明かりを確保。次にradikoを開き、NHKラジオ第一を選局した。携帯の電波は生きていたが、窓の外をのぞくと街灯はことごとく消えていた。

ラジオが災害モードになっているのも、震源が道内であることもわかったが、細かい震度までは頭に入ってこない程度には混乱していた。酔いも醒めてない。

そんな自分の内外の混沌をかき混ぜるように余震。しかも数分おきにである。
今が味わったことのないような異常事態の最中であることをわからせるには十分であった。

正直、怖かった。

そういえば7年前の3月も、シフト休で昼寝してたときに揺れで起こされて、余震を感じて恐ろしい事態であることを悟った。そんな嫌なことを思い出していたが、本気であのとき以上に怖かった。

気持ちを落ち着けようと、いつものようにツイッターを覗いた。同じ道内の人が、「停電のおかげで星空がきれい」とつぶやいてるのを見た。普段はツイッターなんて別に気分を落ち着かせてくれることはないんだけど、こんなことで気分が少し落ち着くなんて、と不意に和んだ。
よく考えるとその人は札幌でない道南の人で、そんな遠いとこまで停電してるのに気づかなかった自分も相当鈍感である。

こんなときに誉められた行動ではないのだろうけど、自室にいても落ち着かないので、ひとまず外の様子を確認しようと思った。夜の散歩用にバッグに入れてあった小さな懐中電灯を持って、外に出てみた。
意外にもアパートの廊下は非常灯含めて点いていた(これはバッテリーで駆動してたようで、停電の長期化により後に消えてしまう)が、アパートの廊下から一歩出ると、確かに尋常でないくらい暗かった。

自分の住むアパートと同じく、共用部分だけは照明がとりとめて点いている建物は多かったが、街灯はやはり見える範囲全てが消えていた。暗闇を強く照らすのは、時折通りがかる車のヘッドライトだけである、

スマホにつないだヘッドホンで、ラジオで繰り返し伝えられる地震の情報を聞きながら、気持ちを落ち着けるように空を仰いだ。
確かに、雲の切れ間から、札幌では有り得ないほどの星が見えた。
なんというか、新海誠の映画の背景画みたいだった。

幸い、まわりの建物は見たところ大丈夫そうではあった。周りでは特に火の手も上がってない。しかし、遠くからサイレンの音がわりとひっきりなしに聞こえてくる。

何となしに大きな通りへと歩み出したところで、気づいた。

信号が全部消えている。

アパートの前にあるボタン式の信号も、少し離れた通りにある信号も、街灯と同じく、ことごとく。

大きな通りの横断歩道についてる信号すら。

前の朝に見た、倒木のおかげで消えた信号のことはすっかり吹っ飛んでしまった。信号が全部死んでる光景なんて、そうそう見られないし、見たいと思うものではない。

別に気持ちを落ち着かせるのにふらっと外に出ただけだから、大きな通りを渡る必要などなく、その気ももちろんなかった。が、信号が消えた幹線道路を車がおずおずと、しかしそれなりのスピードで走り去ってゆくのを見ていると、川の増水で中州に取り残された人の気持ちがものすごくよくわかった。

やがて、徐々に空が白んできた。
自分は、そのまま外で30分か1時間くらい、幹線道路沿いでただただ呆然とラジオを聞きながら、夜が明けてゆくのを見ていた。

真っ暗な空がきれいな朝焼けの色に変わってゆくのもまた、新海誠の映画みたいではあった。だが、ラジオから聞こえてくるのは、そんな光景とは似つかわしくない話だった。

日高では、土砂崩れで何十人もが生き埋めになってるらしい。
札幌では、負傷し心肺停止になった人が一名。
北海道の広い範囲で、停電が発生している。

ツイッターからも、北電のサイトの停電情報やJR北海道のサイトが止まっているという情報が流れてきた。

ふと大きな通りの向こう側を見ると、大きなホテルの客室には灯りが灯っていた。
恐らく自家発電かなにかだろうか。
旅先で災害に遭遇したときのことを考えると、自宅や職場とは比べものにならないくらい不安になるだろう。そんなときでも灯りだけでも点いていれば、安全だけではなく、安心も少しは確保できるのは想像に難くない。
自分自身も、なぜかそのホテルの灯りに、少し安心してしまった。

とはいえ、やはり、楽しみにして訪れた観光地でとんでもない災害に襲われるのは、本当に恐ろしかったろうな…

そんなことを考えられるほど気持ちに余裕が出てきたところで、自分は自室に戻った。

で、ぼんやりとradikoでNHKラジオ第一を聞いていた。この地震の詳しい状況が少しずつ明らかになっていったが、しかしできることは特にない。全道が停電してる状況という情報も入ってきて、もう「ガチの非常事態」であることを否が応でもわからされてしまってはいたが、自分がこの災害状況の中で何もできない、「何となく無力な存在」であったのもまた事実だった。

そんなとき、radikoで流してたNHKラジオ第一から、不意に明るい音楽が流れてきた。

ラジオ体操の時間だった。
ラジオでラジオ体操を聞いたのは何年ぶり、いや何十年ぶりだろうか。

新しい朝がきた。
希望の朝だ。

漠然とした絶望感の中で流れてきたラジオ体操に、なんか知らんけどすごい泣きそうな気持ちになった。
こんなことがありがたいなんて。



さて。
まさかのラジオ体操で慰められたあとで、不安になったのは仕事だ。

JR北海道のサイトが停電で更新できないような状況だから、出勤すらできないし、出勤したところで会社も停電してれば、ガッツリIT的なものを駆使するうちらの仕事はお手上げである。

まあただ、最悪、前日のように徒歩でも出勤はできる。途中の経路に何もなければの話だが。

でもなぁ、2日連続で徒歩出勤(どころか徒歩退勤)はイヤだなぁ…

と、(今思うと有り得ないことを)思ってたところで、チームのLINEグループを通じて上司から連絡が入った。

「職場もガッツリ停電してるし出勤手段も電車的なものが全部止まってるんで自宅待機でおながいします」

やっぱりねぇ。
とりあえず2日連続徒歩出勤だけは避けられた。
でも、給料は減るだろうな。そこだけは不安か…
(なお、後日「自宅待機になった分は有給相当の補償はされる」ことに)

しかし、本当の不安はこれからであった。

(その3に続く)

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