シネマ小並館 その12:苦難の波と、苦難を洗い流す波 『ビッグ・ウェンズデー』(星3.8)

まだレビューには書いてないが、『ロード・オブ・ドッグタウン』という映画が好きだ。いや、好きすぎる。
現在のスケートボードの基礎を作った集団『Z-ボーイズ』の日々を描いた映画で、青春映画の中では一番好きだ(もっともあまり青春映画を観てないからなのかもしれないが)。70年代中盤の空気感、ろくでもないけれど輝いている日々、主人公三人が袂を分かちそれぞれの道を歩き、最後には合流するところ、そういった要素が心に響いてくる。

…おっと、なんのレビューかわからなくなるのでここまで。
スケボーはもともと、サーファーのあいだで遊ばれてきた。なので、ロード・オブ・ドッグタウンが好きならこの映画も外せないな、と思って観てみた次第。

この映画は、マット、ジャック、リロイの三人のサーファーを主軸として、約12年という長いスパンを描いている。彼らが西海岸で青春を謳歌した1962年、時代の潮目が変わり、ビーチに監視所ができ、ベトナムへの徴兵が進む1965年、徴兵された奴らが(生死を問わず)帰還してきた1968年、そしてかつてない大波の到来に、もはや若くない一同が再び会する1974年の『ビッグ・ウェンズデー』。

冒頭は、思わず『リア充爆発しろ』といいたくなるくらい幸せで楽天的な彼らが描かれる。よく遊び、よく遊び、ときどき他人と喧嘩しつつ、よく遊ぶ。
よそから西海岸にやってきたある登場人物が語る『自分の田舎では、若さとは大人になる過程の一部でしかないが、西海岸では若さがすべてだ』といった話がすごく好き(思わずロード・オブ・ドッグタウンの『俺たちはこれから20年は毎日夏休みだ』というセリフを思い出す) 。本当に彼らはその若さという価値を最大限に楽しんでいる感じがする。ろくでもないことも多数…いや、サーフィン以外はたいていろくでもないことしかしてないが、本当に楽しそうなのだからしかたがない。

1965年以降、いや、62年パートの最後あたりから、彼らには『いい波』ではなく『時代の波』が襲いかかってくる。変化の大きな時代だからとはいえ、彼らに向かってくるはその波は乗りこえたり征するのが難しいほどに大きく激しい。

時代の変化に一番翻弄されていたのは、サーフショップのベアーだろうか。62年パートの最後で立ち退かされることになりこの商売から足を洗う、のかと思いきや65年では移転してなおも営業中で(しかもそれなりに儲けてるっぽい)、自由人気取りだった彼も出征を前に結婚。だが68年ごろに帰還したときにはカミさんには逃げられ財産もなくし、74年にはホームレスになっている、という始末。
そして皮肉なのは、わりと堅実でベトナムにも行ったジャックがカミさんを寝取られて、子供こそいるがわりといろいろとうまくいってなさそうでベトナムに行かなかったマットが逆に68年時点で堅実な感じになってるところ。
そういえばジャックが出征前ひとりで波に乗っているシーンで、一瞬波に飲まれたように見えるが実はそのまま波に乗り続けていた、というカットがあり、どこか示唆的にも見えたが、実際には彼もまた運命の波に飲まれていたのかもしれない。

個人的には映画の持つ『空気感』に惹かれることが多いので、時代の空気感がどんどん変わるところが興味深かった。例を挙げると、62年のカフェ(スターバーガー・カフェ)の雰囲気と、68年のカフェ(コズミック・カフェ)の雰囲気。楽天的な雰囲気があるものの、サイケデリック風に改装されてしまい、なぜか各テーブルに香炉が置かれ、菜食主義者がオーナなのかハンバーガーも扱わなくなった68年のカフェには、なんとなくうしろぐらく、厭世的なものを感じる。

で、この映画でいちばんの見所は、なんといってもサーフィンシーンだろう。ただすごい人がサーフィンしてる、というだけではなく、いちいち美しいのだ。
冒頭でマット、ジャック、リロイが波を目指してパドリングしてるときの、ライトゴールドの水面の輝き。青い波の壁に手をついて、なめらかに波に乗る姿。清涼感があり、思わず『自分も波に乗りたい』と思ってしまうほど。

サーフィンのシーンだけでなく、ときおり差し挟まれる波のカットもやはり美しい。空と海と太陽が作り出す、一瞬で形を変える自然の造形。ときに穏やかで、ときに激しく、人間の営みとは全く無関係に波は美しく訪れる。

クライマックスの『ビッグ・ウェンズデー』のシーンは、マジでズット目を見張りっぱなしだった。ホントに『どえらいものを観てしまった』ようなな気分にすらなった。小高い丘のようであり、かつ巨大生物のようにうねり、挑んでくる有象無象のサーファーたちを呑み込む大波。荒れ狂い、膨大な位置エネルギーを雪崩のように容赦なく浴びせかける白い波頭、ときに紺碧の絶壁として立ちはだかる水。

大波は立ち向かう彼らに否応なしに襲いかかる。暴力的に、残酷に、しかも美しく。だが、もしくはそれゆえに、大波は三人を引き寄せ、深い心の結びつきを浮かび上がらせ、時代の波によるものとはまた別の、心境の変化を呼び起こす。
それはまるで、果敢に挑む三人が味わった、12年間の波乱が具現化されたかのように見えてしまうし、逆に、時代の波に与えられ続けた彼らの苦難を、『ビッグ・ウェンズデー』が洗い流しているようにも見えてしまう。

『ビッグ・ウェンズデー』に立ち向かい生還したマットの姿は、オープニングでの彼と重なる。ボードを持たずにビーチに現れた彼が、ボードを持たずにビーチから出て行く。彼らのひとつの時代が終わったかのような、達成感と寂寞感の入り混じったシーンである。

(余談。物語の開始から終了までは12年ある。12年というと日本では干支が一回りする年だが…まあ、それは関係ないか)

評価は星5つ中3.8。実質マットが主人公ではあるが、基本的には群像劇であり、年代記であり、ただの青春譚ではないほろ苦さのある物語と、美しい波の描写、そして驚異的な大波『ビッグ・ウェンズデー』。こういうの大好き(ただ正直序盤のどんちゃん騒ぎはアレだけど)。心の映画がまたひとつ増えた、という思い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?