惑星大アンドロメダ化する地球
トランスヒューマンという言葉をご存知だろうか。
日本語では超人間主義と訳されることもあり、掻い摘んでいえば改造人間とも言い表せる。
多くの人はこの時点で「所詮、映画やSFの世界の話」と考えるだろうが、実は既に技術として確立されており、トランスヒューマニズムという先進的な思想が世界で広がりつつある。
先日のアートシンキングの授業では、これを「人間と機械のハイブリッド化」と題して受講したのだが、このとき真っ先に浮かんだのが、松本零士先生作「銀河鉄道999 (ぎんがてつどう スリーナイン) 」だった。
名作 「銀河鉄道999」
「銀河鉄道999」は松本零士先生作のSF漫画であり、1900年代後半に日本で一大ブームを巻き起こした。
アニメ / 映画版では、主人公 星野鉄郎を、孫悟空役で有名な声優 野沢雅子さんが演じている。
日本屈指の名作であり、映画版主題歌は今のアニメソングのスタイルを築いた先駆者ともいわれている。ゴダイゴの「銀河鉄道999」は聞いたことのある人も多いのではないだろうか。(TVアニメ版の哀愁漂う主題歌も個人的に好きだ)
「銀河鉄道999」のあらすじは以下の通りである。
舞台は、銀河系の各惑星が銀河鉄道と呼ばれる宇宙空間を走る列車で結ばれた未来世界(テレビアニメ版では第1話冒頭のナレーションで西暦2221年と設定)。
宇宙の多くの裕福な人々は機械の身体に魂を移し替えて機械化人となり永遠の生を謳歌していたが、貧しい人々は機械の身体を手に入れることができず、機械化人の迫害の対象にされていた。
そんな中、機械化人に母親を殺された主人公の星野鉄郎が無料で機械の身体をくれるという星を目指し、謎の美女メーテルとともに銀河超特急999号に乗り込む。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
あらすじだけでも、トランスヒューマンを彷彿とさせないだろうか。
あらすじ内にある「無料で機械の身体をくれるという星」こそが、表題にもある「惑星大アンドロメダ」である。
この作品に出会ったのは私が小学生の時だ。
当時、アナログから地デジへと移行する最中、さようならアナログ記念としてアニメの再放送をしていたことがきっかけである。
ピックアップ放送で内容の全体像も分からないのに、小学生ながらにして無我夢中で、画面にへばりついて視ていた。
そして何の因果か、高校生になってからのある日に、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」をヒントに執筆したことを知った。
<公式サイト>
<公式YouTubeで無料公開されているアニメ第一話のリンク>
興味をもった人はぜひ一度見てほしい。
色褪せない名作の一つだ。
命の価値観とは(ネタバレ注意)
さて、話は表題に戻るが、この作品を知る上で外せないテーマが「命の在り方」である。
テレビ等で「銀河鉄道999」を紹介する際、必ずといっていい程使われるのが最終回のとある台詞である。(以下ネタバレ注意)
機械化を求めた鉄郎が、最後に導き出した台詞。
「——それは、限りある命の美しさだよ!」(一部割愛)
今も尚、作品を語る上で欠かせない言葉であり、名台詞として語り継がれている。(作品全てを語るならば、この台詞ひとつでは誤解が生じるため、ネタバレというほどではない)
けれども思うに、これはトランスヒューマニズムとは正反対の考え方だ。
先にも述べたように、トランスヒューマンとは人間と機械をかけ合わせたハイブリッド後の姿である。
これにより、今までの人類には考えられないような新人類が生誕し、未知の能力を手に入れ、不死に近い状態が実現可能となる。
これはいわば、過去からみた人間の夢である。
けれども、この作品では既にハイブリッド化された未来線を描き、これにより起きた貧富の差と命の価値の変遷を、見事なまでに描き切っている。
名言と賛美された鉄郎の台詞が、近い将来、苦言と定義される日が来たならば。その日を思い浮かべたとき、ゾッとした。
あくまでフィクションであるし、作品の素晴らしさに変わりはない。けれども、これは昭和の時点で、未来の姿を予知しているのかもしれない。
まとめ -共存する未来
トランスヒューマニズムは、捉え方を変えれば人を救うことに繋がる。
実際に「サイバスロン」という、「技術と人が協力し合い、いかにして、日常の課題を克服するか」を主題とした、パラリンピックとはまたちがう競技が存在している。(参考サイト)
私自身も、テクノロジーを用いて発達障害者支援を行いたいと考えているため、似たようなことを考えているのは事実だ。機械化することで救えるのならば、迷わず活用するだろう。
けれども機械化が私たち人類にとって、ユートピアであるのかディストピアであるのか、今一度、考えてみなければならない。
これはなにも、怖いからだとか、未知だからだとか、そういった感情的な理由から提言している訳ではない。
私たちの暮らしは、地球の土地をハイテク化したことで、より豊かになった。けれども代償に、地球温暖化が深刻化し、自然との共存が無視できない問題となって、今も尚、解決に至っていない。
人間の機械化が虎視淡々と進んだ未来の先で、似たような現象が起きるのではないだろうか。
テクノロジーの分野で、活躍を試む者の言葉としては不適切かもしれないが、「デジタルとアナログの共存」が必要だと考えている。
今回でいえば「マシンとライフ」の釣り合いをはかることが肝となってくる。
進化はいきすぎてはならない、コントロールすることもまた進化だ。
私は執筆が好きだ。
パソコンの画面越しにタイピング音を聞きながら書き続ける。ブラインドタッチが出来るようになってからは、より楽しくなった。
けれども、映画 三丁目の夕日 に憧れて買った万年筆で書く、昔ながらの原稿用紙も未だ好きだったりする。
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