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エッセイ-1. 元エホバの証人2世としての半生(自己紹介)

こんにちはケンジです。
この記事では自己紹介も兼ねて自分のエホバの証人としての経験を書いていこうと思う。

1991年生まれの現在31歳。家族構成は3人兄弟の末っ子として生まれた。一番上に姉がいて真ん中に兄、そして自分。
父親は自営業を営んでいて、私が生まれた時にはすでに母親はエホバの証人で聖書の勉強を始めており、生まれた時からエホバの証人の教えを聞かされていた。父親は未信者だった。

兄弟3人ともエホバの証人の集会に引き連れられていて、物心つく頃にはエホバの証人の集まりの中にいることに何の疑いも持っていなかった。幼稚園や保育園は推奨されていないため行かせてもらえなかった。小学校に入学して友達出来るかな…とドキドキしていたらすでに周り子供が友達同士で驚いたのを覚えている。そこで幼稚園なるものがあることを知った。びっくりしたけどまあ友達は普通にできたし問題なかった。

エホバの証人の禁止事項で様々なハードルがあるが、まずエホバの証人は校歌が歌ってはいけない。小学校に入ってまず立ちはだかるハードル、でも口閉じてたらいいし目立たなかったのでそこまで苦でもなかった。次に給食の前に手を合わせて「いただきます」というのがあったがエホバの証人はそれができない、号令をかける子がまじめな子だと一人一人確認するのでそこで「なんでケンジ君は手を合わせないの?」と注目を浴びる、説明もうまくできないので先生が良くフォローで「あの子はやらなくていいの」とけん制してくれていた。その度にみんなと一緒のことができない謎の劣等感が染みついていく。
他にも七夕だったりクリスマス、誕生日などのイベントが禁止のためその度劣等感が襲い掛かってくる。
そんな中、友達の誕生日会が開かれることになってどうしても行きたかった自分はこっそりとその誕生日会に参加した、途中まで楽しく過ごしていたがどこからか兄にばれて誕生日会に乱入、すかさずトイレに隠れたが引っ張り出され強制的に帰宅、ボコボコにされた。

小学校入ったくらいからムチが始まった。たたかれる理由は集会で居眠りしたらだった。正直、話は小学生には難しくて頭に入らなかったので寝てしまうことはよくあった。うとうとすると横から母親にペンでつつかれて、「ああ帰ったらベルトでお尻を叩かれる…」とブルーになっていた。
今になっていろいろな人のムチの体験を聞く機会ができたが集会場に「ムチ部屋」なるもの(給湯室?)があるというのに驚愕した。自分が行っていた会衆では公演中に連れ出されて叩かれるなんてことはなかったのであくまで家に帰ってからだった。あと赤くなるくらいには叩かれたがみみず腫れになるまで叩かれるというのもなかったので、自分の家庭はまだ優しい方だったのかもしれない。それでも嫌だったが兄と自分で居眠りしない競争が繰り広げられてお互いが叩かれているのは笑って見ていたように思う(性格悪い)。姉が叩かれているとこは見たことはなかった。理由はよくわからない

小学校高学年になると神権宣教学校なる教育を受けさせられる、聖書研究をと称した会衆の兄弟(先生みたいなもの)のマンツーマンの勉強も力が入ってくる。割り当てという演壇にたって与えられたテーマについて発表するという中々に緊張することをやらされたが終わった後の拍手がとても気持ちよかったのを覚えている。認められている感じが心地よかったのだと思う。
逆に学校は心地よくないことばかりだった、奉仕活動で学校の友達と会ってしまって最悪な気分になるのは2世あるあるだと思う。まあそれでも小学校生活はすんなり終わった。

中学に入ってからはさらに劣等感を感じることになる。
できないことに対し証言がより細かく説明するように求められてきたからだった。特にきつかったのが音楽の授業での校歌のテスト。一人ひとり前に出て歌うという通常でも厳しい状況に加え、自分はなぜ校歌を歌わないかを説明し一人だけ謎に違う曲を歌うというトラウマ必須のイベントだった。

中学では部活に入ることはそれとなしに否定されたが、自分は「なんか入んないと内申にひびいてやばい」というよくわからない理由をこじつけて水泳部に入った。部活の友達はみんないいやつで宗教とかあまり触れてこない、いわゆる察してくれる優しいひとで楽しかった。教義の禁止事項についてはそこそこに守るようしていたが私の家庭は他の2世信者でみられるような厳しい家庭ではなくて結構ゆるかった。なので禁止されているイベントは行わなかったが、娯楽関係のもので世の友達と遊ぶであったり、ゲームや漫画は結構許されていた。母親は嫌な顔をして良くないと口に出してくるが無理に取り上げたり、ヒステリックに怒るということはなかった。

中学で劣等感をフルに感じていたが高校に入ってから激変する。
なんと同じ学年にエホバの証人が自分の他に4人もいたのだ。(男3,女1)その中の男子で1人が底抜けに明るいやつでクラスどころか学年で人気者になるような人だった。そこでカルチャーショックを受ける、今まで劣等感を感じながら証言していた様々なできないことに対しその友達はびっくりするくらい堂々と周りに言うし、なんなら笑い交じりに言うもんだから周りの生徒もそういう友達を認めて全く奇異な目で見ていなかった。自分もこんな風になりたいと強く思った。
エホバの証人は格闘技ができないため体育の授業で柔道ができないが学年に男子で4人もいるためだいたい被るのでおしゃべりしながら見学していた。なので劣等感も少なかったし、その友達のおかげで自分も周りに堂々とすることができて、一人で落ち込むのを防いでくれたと思うと運がよかった。
そんな底抜けに明るい友達の家に招待されて遊びに行くことがあった、そんな友達の母親なんだからそれはもう明るい家庭で一緒にいて楽しかったが
その友達の部屋に入ってまた驚愕することになる。

入るとその友達の部屋の壁は穴だらけで、穴がない所を探す方が難しいくらい穴だらけだった。入った一瞬でその友達の心の葛藤を理解するには十分な時間だった。いつも明るいのに微妙な顔していたのでどうにか和ませなければ!と考えて「壁でビンゴなんてすんなよ(笑)一回きりしかできへんやん」と言ったら苦笑いされた。なんかごめん

そんなこんなで高校生活を過ごすことになるが部活には入らなかった。それはエホバの証人に止められたからというわけではなかったが、高校入学前に友達にギターを薦められてドはまりしてしまったからだった。お小遣いをためて買った中国製の安いアコギセットを買って四六時中弾いていた。エホバの証人の葛藤でうずまく負の感情をすべて吹き飛ばしてくれるくらい夢中になれたのがのめりこんだ理由だった。

聖書研究はずっと続いていた、けれど霊的に成長していないので司会する兄弟は何回か変わっていった。その中で質問を色々とされるがエホバの証人の聖書的な回答は何かはわかっていたのでそれを答えるがあまり行動が伴っていないことが見透かされていた。(集会に休みがちになったり、奉仕活動をあまりしていなかったり)なので延々と聖書研究は続けてあまり進展しないというような状況だった。

高校2年生に上がるころエレキギターを入手して、学校が終わっては練習してという生活をしているとそれを聞いた軽音楽部の友達が一緒にバンドやろうと誘ってくれた。そこからはライブハウスに出させてくれと交渉しに行き、機材代やライブ代を稼ぐためにバイトをするようになった。そこから卒業するまではバンド活動に明け暮れたが、エホバの証人の活動も不活発ながらもまだ続けていた。

そして高校3年生になり受験シーズンに入った。もちろんエホバの証人は大学に行くことは推奨されていない。でも大学へ行くことは両親ともに否定的ではなかった。これも運がよかったと思う。大学へ進学を希望して行かしてもらえるようになった。

大学へ入ってからは理系の勉強をしつつ、軽音楽部に入った。そこにいわゆるウェーイ系の人も多くちょっと馴染みづらかった。未成年でお酒飲みたくなかったので飲み会も参加せずだったが一部の人たちはとても優しく世の人でもいい人はいるのになと複雑な心境で家に帰ったのを覚えている。

大学生活を続けていく中でまだエホバの証人とのつながりは残っていたし、不活発ながらもどこかで教義を信じていた。だから聖書研究はしたし、集会には出ていた。でもそれもだんだんなくなって、ついに割り当てが当たっている時だけしか集会に行かないようになっていた。
それを見かねた長老が割り当ての時しか来ないならもうやめようかと言って割り当て自体もなくなった。残念なリアクションをしつつも心の中はほっとしていた。

そしてある日、聖書研究を司会してくれていた兄弟にいつものように書籍を読んで、その下にある設問を問いかけてくる。私はいつものように答えを文章のなかから探し出してあらかじめ線を引いていたところを読むと、いつもなら「その通りだね」って返してくるところがその日は違った。

「本当はどう思ってるの?」と付け加えて聞かれた。
言葉に詰まった。物心ついたころから教義を学び、教えをあたかも自分の考えかのように、用意された答えを言って周りのエホバの証人を笑顔にすることを繰り返してきたから、自分の本心なんて答えることがなかった。
なかったしできなかった。このちぐはぐ感が不活発な原因だったけど、自分の中でそれが原因だなんて理解もできていなかった。

しばらく黙って、言葉にしようとするが声が出なかった。
気づいたらボロボロと泣いていた。
人前で泣くなんてしたくなかったし情けなかった
けど止められなかった。
エホバの証人として物心ついたときから教義を教えられ、エホバの証人の正解しか選択が許されない中で、自分の気持ちが何かよくわからないこと、どうしたいかわからないからギターに逃げて、考えることを放棄していたことを話した。その兄弟はうんうんと心を開いてやったぜと言わんばかりの顔をしていたように思う。そこでこれからは自分の気持ちをしっかりと考えて活動すると決めて、その日の聖書研究は終わった。

たっぷり泣いた後、付き物が取れたように自分はエホバの証人になりたくないんだと気持ちに整理がついた。そこからはいかにフェードアウトするか考えた。大学在学中はすこしだけ集会にも参加しつつ就職を機に実家を離れてフェードアウト成功。兄も就職を機にフェードアウトしたが、姉はバプテスマ(洗礼)を受けエホバの証人になった。私と兄はバプテスマを受けるまでには至らなかった。現在は母と姉が現役として活動中。

そして会衆の人に手紙で状況を探られることがたまにあるがスルー、
姉からzoomでの集会や記念式に誘われるがスルー、
現在は宗教関係の話はシカトを決め込んでいる。けれど実家には帰るし普通に親と世間話は喋る。宗教の話は腫れもの扱いしてるから向こうから言ってくることはほぼほぼないけどね。

で現在に至る感じです。
ツイッターで様々な環境の2世の方の経験談を見ますが、比較すると自分の置かれた環境はとても緩かったんだな思います。
母親が信者で教えを強制していたことは事実ですが高校生~大学生~社会人になるにつれての色々な選択を押さえつけるというような強制をされなかったのは恵まれていたのかもしれません。

現在はエホバの証人(ものみの塔協会)は全く信仰していませんが、聖書は信仰しているような状態です。じゃあ聖書の教えをちゃんと守っているのかと言われれば全然守れていないです。でもできる範囲で続けていきたいと思っているような状態ですね。

以上長々とした自分語りをここまで読んで下さりありがとうございました。





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