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くすんでて綺麗じゃないけど無くしてない - 「心ひとつあれば」

ごきげんよう!今日も元気なインターネット中年、賢二です。こんな名前で誤解をさせて(わざと)おりますが、女として生き始めて30年経っています。

このブログの一番最初にやながみゆき氏の「祝福」を貼っておいたのですが、私がずっと心のお守りみたいに思っている曲があるので、今日はそのお話をします。2016年12月に投稿された、同じくやながみゆき氏の「心ひとつあれば」です。
※以下、字数削減のために語り口を変えています。

日ごろ「色恋よりも生死(いきしに)の歌の方が好き」と明言しているので、それを聞いたことがある人には「1曲目から失恋ソングかい」と呆れられそうだなと心配である。確かにこの曲は、交際していた相手に別れを告げて歩き出すという旨の歌詞ではあるが、その「愛する人との別れ」の部分より、やながみゆき氏の表現する「心」と「体」との向き合い方、その描き方が、本当に本当に大好き。今日はそういう話。なお、サムネイルに女性が描かれていること、歌詞の一人称が「私」で、「~のよ」の表現から、この記事では曲の主人公を女性であると判断する。

やながみゆき氏の世界において「心」と「体」は、ただひとつしかなく、いつでも失われる恐れがある。大切にしなかったり、嫌なことを考えていたりすると、蝕まれ、くすみ、やがて無くしてしまう。この「この心ひとつ」「この体ひとつ」という表現は、やながみゆき氏が2020年1月に発表する曲「その憎しみを抱きしめて」でも用いられる。

重要なモチーフである「心」と「体」という言葉は、曲を通じて繰り返し登場する。冒頭「この体ひとつあればいい/どこまでも自由に行ける」と歌ったあと「行けたらいい」と言い直すが、のちに彼女は確信を持って「私たちは強く歩いて行けるのよ」と言う。「私たち」が「心」を無くしていないことを確かめたからである。

2番「大切にしないできたけど/まだ生きてる」「くすんでて綺麗じゃないけど/無くしてない」のところは、何度聴いてもじんわり涙が出てしまう。まるで長い旅の前に、持ち物を確認するようなこの仕草、自分の体と心がここにあることを確かめているだけなのに、どうしてこんなに心が揺さぶられるのだろう。彼女が、自分のそのままの姿で生きていくことを選ぶその勇気と切実さが、自分の心を支えてくれる気持ちがする。彼女は決して強くはないけれど、そのひたむきさで私たちに寄り添う。

ここで、やながみゆき氏宅の初音ミクがすごいと思うのは、彼女「ねえ私は心があるよ」って歌っているのに、”ボーカロイド”のエモが全然ないのだ。「キタ!!ボカロには心なんてないのに”あるよ”って歌わせちゃうヤツ!!」と、私はならない(それはそれで大好物なんだけど)。そこにいるのは、愛して傷ついて、それでも愛することと生きることをやめない、心を持った女性がひとり。

やながみゆき氏の作る曲の中には、いわゆる「トラップ」というジャンルのものも多くあって(音楽に明るくないので詳しくは書かないが、初めて聴いてから完全に好きになった)、そこでの初音ミクは自分が人間でないことを存分に満喫している。一方で、「心ひとつあれば」の彼女の歌声、「心があれば生きていける」と確信する姿には、説得力がある。…とか言って、複数の初音ミクを使い分けていたらどうしよう。まあ良いか。もしそうだったら教えてください。

さて、この「心ひとつあれば」のアレンジ版が2018年に公開されているので、載せておく。こちらはよりテンポがゆっくりと、音もカセットテープで聴くような懐かしい感じ。くぐもった音が、なんだか沢山泣いた後ぼんやりしている時のような、鼻のかみすぎで耳が詰まったような、妙なリアルさを持って曲の世界に誘ってくれる。それに、素敵なMVもついている。アレンジ版のタイトルは「Love生き続けるエナジー」。

愛は生き続けるための力だから、どんなに辛くたって、無くしてはいけないのだ。「この心ひとつあればいい/愛を知ることがいつかできたらいい」とあるように、愛するには心が要る

1番と2番で、物語は少し進んでいると思う。「あなたも大丈夫 (心を)なくしてはないでしょう」という言葉、「強く歩いて行ける」ことを「寂しいこと」と思う気持ち、何より自分のたったひとつの心が「このまま無くなってしまったらどうしよう」と思うこと、その全てが愛だ。

彼女はもう愛を知っている。孤独を感じるのも、相手に期待をしてしまうのも全部心があるからだけれど、心をなくしたら、愛することもできなくなってしまうから、どんなにくすんでいたって無くしちゃいけないことを、彼女は知っている。

心ひとつあれば強く歩いていけることを、私たちも知っている。

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賢二

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